04-いわし雲

芭蕉遊行 フィンランド篇


たとえ記憶が失われても人生はまえにしか進まない
                 「過去のない男」
         しあわせはここにあるのかないのか
               ーーーーカウリスマキ

空港からの風景 それはヘルシンキ
芭蕉と取り巻きの旅はすでに北欧にまで及んだ
旅をはじめてからこれ三百数十年
荒地の詩人もサヨナラしたこの世紀
よもやここまで生きさらばえるとは

われもまた百代の過客にして
旅人こそが行きかう年月

世界各地の俳諧巡礼の旅
片雲の風ふく砂漠や海原や草原をこえ
かぞえきれない戦役を踏みこえて
老いさらばえた見者の哀しみ淋しさ
もう定型に結べなくなったこの想い

ヘルシンキの安宿のテレビ
砂漠の彼方から偶然のように目撃されたのは
インチキな大統領の像がひきずり倒される
まるでツクリモノのような
砂嵐の国の戦役の一部始終
かつて独裁者と名指しされた男の
巨像の残骸
これが、二十一世紀の正義の巨大帝国の
最初の戦利品とはあまりに愚かなことだ

行く春や
     ことばはそこで永遠にブレイク
        切れ字に垂直のミサイル
       砂漠の神の慈悲もかなわず
           芭蕉は知っている
        定型に見捨てられた世界
         涙の井戸は枯れ果てた

長生きなんかするもんじゃない
深くため行きをつきながら芭蕉と取り巻きは
港のそばの旧市場内のノリマキという
実在の鮨屋にしけこむ
江戸前の小鰭に二似たこぶりなひかりものを
ひょいと口にほうりこむ
江戸でもまだ早鮨なんて食したことはなかったのに

ノリマキ
そうか、カウリスマキと韻をふむなと
芭蕉はめずらしくひとり笑いして
ヘルシンキに向かう機内で観た映画の監督の
名前の響きを思いだしながら
また小鰭のようなひかりものを
ひょいと口にほうりこむ

ノリマキ カウリスマキ
            くちびる淋しき
             波止場のさき
(と、これは、取り巻きのひとりの駄句)

だれもがそんな駄句をながしては
ひょいと口に
ノリマキの夜に
あとは新しい世紀の歌を
正気を保つためKARAOKEに繰り出して唄う今宵も
ながれて

まずは曽良が一曲。極東の二十世紀中盤のムード歌謡に似せて、エコー最強に
切々と。

人生の
             ああ 人生の
               悲哀とか
                孤独を
   だれも癒すことなんかできやしない

夜霧、夜霧
             ヘルシンキの
                 夜霧
             夜霧よ今夜も
             グッ、バーイ

もうそれ以上 唄うな曽良
郷愁を響かせて
いまは世界中の路上で
高速のステップを踏んでいる
その韻のささやきを
胸におさめなさい

世界はまえにしか進まない
インチキでも
ヘルシンキでも
夜霧でも
結局のところ
まえがあって うしろがない
定型に結べぬ詩もまたあるということを
今宵はおさめておこう
この胸に

安宿のテレビでみた
あの砂嵐の町にも
やがて
つぶらな瞳の預言者たちが未来の韻を踏む
たとえ音曲を好まぬ神の住まう国
だとしても
新しい世紀の韻を
まえに進みながらスキップする、と
ここは思い定めて
北欧の白夜に流されていけ

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