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なんて素敵な世界なんだろう

終電が西の闇に溶け込んでいく
うつむきながらホームを掃き清める
憂鬱な影も揺れている
聖者の眠りのように
ベンチに横たわるひとの寝息が聴こえる

交番前の横断歩道を渡ると
居酒屋から出て来た賑やかな一群
大切なことは見えないんだ
だれかが嬉しそうに叫んでいる
鞄の奥にしまい込んだ青い光を
今夜は封印しているんだね

冬のビルの一室に繋がれた
罅がはいった月が見えただろうか
始まりの物語を繰り返し読んだひと
家路を急ぐひとが見えない部屋
乾いた咳
堅いベッド
秘密をミントにくるんで噛み砕いて

だってあのひとだけが居ない
この十二月に
そう呟いたひとが坂を登って消えた
甘く発光する樹々たち
夜に濡れて黙ってしまう
動く気のない石粒になって
ミルクを沸かして眠りにつけたらいいのに

なんて素敵な世界なんだろう
あなたがぼくに
ぼくがあなたに
そっと置いてきた言葉を探す
どんなことがあっても
眠りの毛布にくるまれば
夢の井戸のなか
旋回するラジオがこの星の希望を集めて
囁いてくれる

赤い酒を血に
蜜を手離してしまった
終わらないお話
ふたりの少女がカルタ遊びをする映画を思い出した
冬の匂いがする町
消えた聖歌隊
ずっと逃げまわって来たからね
そんな話をしてくれた男が居るバーで
嗄れた声が聴こえて来る

古いレコード
褒めたたえる神は知らない
それでも
なんて素敵な世界なんだろう

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