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創造と破壊(詞、短文、フィクション)

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主に詩や短文、フィクションなど書き連ねています
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#日記

SenseとTaste

日本語では洋服の着こなしなどが上手い人に対して「センスが良い」と言うけど、どちらかと言うと「趣味が良い」 のような気がしていて、英語なら You have good taste, 持ち味が良い、みたい感覚だろうか。 その意味で「センスが良い」の本質は 「感じ取る力」「感度が高い」と解釈することが出来ると思っている。 この「感じとる能力が優れている」という認識が僕には重要で、ともすればアウトプットする能力よりも重要かもしれない。 音楽は身近な例として説明できる。 演奏する

俺たちは、 心からムカツいている

俺たちは、 心からムカツいている 俺たちは、 心からムカツいている ”お前らは歌って踊るだけのこの世のクズ” マジでそう思われているのか? 果たして俺らはマジでそうなのか? 夜の街から光が消え、行き場を失った情熱は 裏道を彷徨いドブ川に墜ちる 同調圧力に潰された独立心も、世界を変えて見せる と意気込んだ真っ直ぐで蒼い正義感も、 繰り返されるロボットのアナウンスにただ飲み込まれる このままじっと手をこまねいて傍観するのか? それとも死ぬ気で戦うのか? 準備を始め

人生から嘘をなくす。 完全にとは行かずとも努力はしたい。 人を傷つけたり陥れたりする卑劣なものは当たり前、日常的にほぼ罪のないもの、しかし本質的には反対の意を隠し表面を取り繕うもの、敢えて言わないと言う嘘まで含めると、 実生活で向き合う事象の全てでやりきるのはほぼ不可能に思える。 ここで重要なのは自分の人生に必要な関わるべき人の種類や数だと考えている。 大抵の場合恋愛のパートーナーや配偶者、親友、家族には嘘をつかない。 生活の距離が近いほど嘘をつかないほうが結局楽になる。

コルコヴァド Getz/Gilberto

彼女と出会ったのは僕がまだ20代前半、世間で大人と認められて間もない頃。当時働いていたバーの客だった彼女はいつも女友達と二人で飲みにきていた。 僕と同年代に見える彼女達はしかし僕より遥かに精神的に自立をしているのが二人の会話から読んで取れた。同じ大学を出て、同じ化粧品販売の仕事に従事している自他ともに認める親友だった。 はじめから何かしら互いを意識するムードはあったものの、バーなんて商売そんなの日常茶飯事、とりたてて気にも留めなかった。 客とスタッフが頻繁に会話をする類いの

短文 #001 #002

#001 古代遺跡の中に入った。 綺麗な円を描く太さ20センチはある枠(リム)は鍛造で形成されたようなものでとても美しく、その当時どんな金属が存在し加工にどれだけの労力を要したのか想像を掻き立てられる。 テニスコート3つは飲み込めるその円を二つに分断するように一本のフェンスが設けられていて、枠と同じ高さのそれは人の身長の2~3倍はあるように見えた。 太陽と逆側の半円の端の一番てっぺんから、灘らかな曲線と直線を融合した面を持った透き通った液体が地面へと連なり、留まっている。 ま

ファミレスループ

ファミレスにて。 山登りを計画しているサラリーマンを海へ誘うサーファーを逆ナンしようとしている場末のホステスが発する安物の香水に吐き気をもよおす二日酔いの絵描きが描くクリムト風のスケッチを盗み見る女子高生の左右不揃いのソックスが気になって考えがまとまらない山登りを計画するサラリーマン。

言葉にまつわる自由、

フォーマルに言っても平たく言っても 恩人と呼ぶべき方の受け持つ雑誌の対談コーナーに招かれた。 聴く音楽も趣味も結構違うし、人生のステージや立ち位置も違う。 何かで共鳴、共感しているのは明らかなのに、ハッキリと言語化出来ないままかなり長い間お世話になりっぱなしだ。そして心の中で、しかしハッキリと勝手に恩を返そうと誓願している。形はまだ分からないけど、自己満足かも知れないけれど達成するだろう。 インタビューの間じゅう僕と彼との共通点を考えていた。そこから何でもって共鳴、共感

アーカイブ#01 "12.18.2018"

写真のデータから2008年12月18日、要するに10年前の今日の撮ったもの。 恐らく早めの時間自宅で時間を過ごし何かしらのプライベートなパーティーぽいことのために外出した。 本当はこの後にいろんな写真があって、その中には自分を含む楽しげな光景が展開されている。でもその中に若くしてこの世を去った友人が写っていて載せる気にならない。 人生の長さや内容が平等かどうかは個々の物差しで変わる、しかし死は平等にいつか必ず皆にやってくる。 悔いのない人生とは何なのだろうか。 突然やってくれ

間(あいだ)

極端に反するふたつの方向性に憧れ 結局は中ごろに甘んじる 生まれ育ちの良さを羨んでも 反逆児を気取ってみても 現実は、無限に連なる「間」にいる 人生は生と死の「間」 僕らは、全てでありゼロであり 居場所はその「間」なのだ 諦めるまで失敗でなく 死ぬまで死ねない

電脳日記

2013年の2月9日から日記を書き始めた。 人生で日記を続けることに 成功したがなかったけどクラウドで管理できるDAY ONEという日記アプリで昨夜までに1796回記しているらしく、1日に二度は書かないの1796日間書いた事になる。 今回はいまの所成功している。 忘れてしまって思い出して書くこともしばしば。読み返して忘れている事実や心持ちなどに気づくこともあれば、当然ながら恥ずかしい事柄や文章も散見される。 うまく言えないけどこの読み返す行為はとても有益だ。知ってるようで

事実

ベッドから起き上がり 割と毛足の長いカーペットに踏み出す、 両手両足に軽い痛みと痺れを感じる。事実だ。 昨夜までひとしきり思い悩んだ末に 今すぐ結論するのをやめたことを忘れた、 まるでスゴロクのスタートに戻されたような気分。事実だ。 エアコンの温度感が要領を得ず、子供の頃意識さえしなかった湿った空気を呪う。 東京、夏。事実だ。 不安、焦燥感と渇感のアンバランスが胸奥を支配し、トライアングルの内側を一定間隔で打ち鳴らす。事実だ。 ネットを見、日々垂れ流される