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もしも自分が、あなたの立場だったら

シーズンがまもなく始まるJリーグ。こんな記事が目に留まりました。

その前にこの映像をご覧ください。

両チームのサポーターはもちろん、選手にとっても忘れることのできない「世紀の大誤審」と揶揄する人もいるかも知れません。完全にボールがゴールに入っていたにも関わらず、判定はノーゴール。プレーは続行されました。

主審を務めたのは山本雄大レフェリー。

試合中も抗議は受けました。試合が止まっている間にも「ゴールだったのかもしれない」と感じていました。ただやっぱり審判は見えてないものを判断できないんです。周りからどんなに何か言われても、最終的に信じられるのは審判団の仲間だけなんですよ。だから「入ったんだろう」では判定を変えることはできなかったですね。
引用元:主審人生はこれで終わった……レフェリー山本雄大にはその後何が起きていたのか
Jリーグに戻ることができたのは2019年6月14日の川崎vs札幌でした。そのとき、本当にありがたいと思うことがあったんですよ。キックオフの90分前にスタジアムのいろいろな確認のためにピッチに出て行くんですけど、そうしたら等々力のメインスタンドのお客さんが名前を呼んでくださったんです。いろんな方が「がんばってね」「応援してるから」って叫んでくださって。それまでそういうことってほとんどなかったですね。
試合前に選手が整列するとき、僕は「何を言われても自分がやってしまったことなので受け入れるしかない」と思ってたんです。きっと厳しいことを言われるのだろうと思ってました。
それで選手の用具チェックをしていると、いろんな選手が「大変だったね」とか「がんばってね」とか言ってくださるんです。「心配したよ」「よく戻ってきたね」とか「すごい叩かれようだったけど大丈夫だった?」とか。
その後、別の試合会場でもいろんな選手がそういう声をかけてくださった。選手誰1人責めてこなかったんですよ。それにはビックリしたというか、すごい感謝でしかなくて。
引用元:ピッチ内外で多くの支援、助けがあったから復帰できた

ある瞬間、1億人から針で刺される立場に変わることも

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レフェリーという立場はどのスポーツ、どの職業においても賛辞を浴びるより、批判されることが多い仕事ではないでしょうか。

議論となる判定に何かいうつもりはありません。きっと自分自身も観戦していたら、山本雄大レフェリーに対して批判していた1人かも知れません。

大誤審が起こってしまったシーン直後から、山本さんの心情が書かれている上記の記事で感じるのは、たった一度のミスが今まで見ていた世界を変えてしまうという部分です。

これまでどれだけ優秀なレフェリーだったとしても、たった一度のミスはすべてをひっくり返してしまうリスクが伴います。

それは家族を巻き込み、自分の身の回りの人間にまで影響を及ぼす可能性があるということが記事からも読み取れます。職業「レフェリー」から「山本雄大」に戻っても、消せない過去として背負っていかなければいけないのです。


その後、復帰する際には観客や選手から励ましの声があったと書かれていました。このとき、声をかけた観客や選手にとってはその場にいたわけではない第三者だから声をかけれた。という一面もあるかも知れませんが、それ以上に、

「自分もそんなときはあるよ。だからこれからも頑張ってね。」

という思いやるメッセージが強かったのではないでしょうか。世界ではサッカー選手という職業もまた、ミスひとつで殺されることもある職業の一つです。

レフェリーの気持ちがわかる。

という言葉では言い表せないほど、選手も心境を理解できる立場にあるはずです。背負っているものがそれぞれにあるため、起こった瞬間はプレーに対して主張することは必要なことかも知れません。

それでも、もしも自分が起こってしまった出来事の当事者だったら。

と相手を自分に置き換えて考える時間を与えられたら、次に当事者にお会いする機会、またはメディアやSNSを通じて自分の意見を述べるとき、少しだけ相手の気持ちを考えた言葉が出てくるのではないでしょうか。

今の世の中、自分が正義だと思ったことは1秒後に誰かの不義と変換され、総攻撃を受けることもあります。

起こってしまった出来事に対して、自分の意見を主張することが悪いわけではありません。そして、それは必要なことでもあるべきです。

ただ過剰に相手を責める必要はあるのか。もしも自分が当事者だったら、どんな心境になるのか。少しだけ考えると、言動や態度、行動も変わってくるのではないでしょうか。



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