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自己紹介②中学時代

こんばんは。田島です。

先日小学校までの自己紹介(遍歴)を書きました。
記事がまとまったらマガジンにしてみましょう。

妻からも言われたのですが、自分のことを長く書きすぎだとは思います。
ただどこの馬の骨かは分かった方が良いんじゃないかなあと思っています。

馬の骨ってなんですかね、中国の故事とか関係あるのでしょうか。

メリとハリ

中学入学と同時に僕はソフトテニスを始めました。
同期は総勢10名の男子で、皆穏やかで気の優しい仲間たちでした。

僕らの学校は特別部活が強い学校ではありませんでしたが、
運動部ならサッカー、野球、バドミントン、バスケあたりが人気の
部活だったような気がします。

わがテニス部は地味ながらもそれまでの歴史で最も良い成績を残しました。
とはいえ横浜市は学校数が多く、区大会、ブロック大会を経てようやく
市大会に進める規模感でした。

団体戦は3ペア6人で行うんですが、
市大会に進んで三ツ沢公園で試合が出来たのは嬉しかったですね。
(実は戦績についてほとんど詳細を覚えていない)

僕自身は中学入学前に背が伸びて痩身になったものの
持久力とかクイックネスがかなり乏しくて、ステップワークが出来ない
ほぼ棒立ちのプレーをしていたと思います。
それでもネット際でのボレーはなぜか得意なプレーだったと覚えています。

もともとのんびりした部だったものの、
試合となると気持ちが入り、それが比較的うまく作用するチームでした。

顧問の先生のやり繰りなどの影響があり、
僕らの卒業と共に廃部になることが決まっていたことも、
僕らの結束みたいなものを強くしていた要因かもしれません。

今でもこのメンバーはお互いの結婚式に参加したり、飲み会をしたり、
子どもの誕生を祝ったりと20年近くも細く長く繋がっているんですよね。

中学の部活の仲間と今もなお、というのは貴重な財産です。

学園ドラマに毒された一味

中学の多くの時間はのんびり楽しく過ごしていたものの、
学年主任だった教師がかなりの曲者でした。

世代だったのか学園ドラマが彼の教師像に大きな影響を与えているようで、
事あるごとに「皆で話し合おう」というスキームを多用していました。

時には授業を潰して、時には部活時間を潰して、
議題はクラスがまとまっていない、とか、誰それちゃんが人間関係で
困っているとか、本当に些細なことが多かった。

ことクローズアップされるのは件の教師のお気に入りの生徒だったり、
彼の指導している部活に所属している生徒のことだったりしたんですね。

毎度感情的な言い合いになるため、精神的疲弊、時間の消費が酷く、  
そういう意味で学校に行きたくないという鬱々とした気持ちと、
僕たち生徒同士が分断されるという著しく不健康な状態になっていることが多くありました。

その話し合いがなんとか丸く収まると、やれみんながまとまったとか
分かり合えたとか吹き上がるので、僕は今でもそういうのがダメなんです。みんな誰もかれも仲良く、というのが全然無理と思っています。

僕はテニス部の仲間とよろしくやっていたのでそれだけでよかったし、
この仲間たちはそういったポジションからものを言うことがなかったので
気が合ったのかもしれません。

そもそもそれだけ気が合っていたので、
わざわざみんなで手を取り合って、ということをお題目にしなくても
自然とお互いを思いやってフォローできていたんですよね。

わざわざ冠つけるのは、そこに気持ちがないからだと、思います。

なんでもそうなんだけど、大事なことは大抵、
静かに脈々と流れているものだと思うんですよね。

勝負できる道へ導いてくれた人

先般、小学生時代に放送委員会に入ってお昼の放送なんかを
友人のさとくんと一緒にやっていたと書きました。

このさとくんとのお昼の放送は中学校でも続くことになりました。

僕は単純に声を出して本を読んだり文章を読んだりするのが
「好きだった」というよりも「得意だ」と思っていました。

小学校時代に国語の授業でひと段落ごとに席順に音読しませんでしたか?
僕はあれが妙に得意だったんです。

中学に上がればより文学的な作品を皆の前で読むことがありましたが、
皆よりも声変りが早く目立ったため、先生に褒められることがありました。

そしてそれを聞いて、放送部があり、偶然にも同じ中学から進学した
先輩もいた高校を薦めてくれたのが国語の本間先生でした。

本間先生は定年間近の女性の先生で、すらっとした細身の、
女優の野際陽子さんのような少し怖い雰囲気のある先生でした。

たじくん、こういう先輩がいるんだけど、
と呼ばれた職員室の机で新聞のスクラップを見せてくれました。

先輩というのは僕の4つか5つ上の男性で、NHKコンテスト(通称:Nコン)
というアナウンス技術を競う大会で全国大会に出場、準優勝して、
高校野球春のセンバツの開会式の司会をしたという人でした。

僕はそれまでサッカーにしろ、ソフトテニスにしろ、
素質があったとか人より出来たということはまるでありませんでしたが、
この「文章を声にして読む」、ということに関してもしかしたら他人と勝負できるかもしれない、となんとなく思いました。

僕は本間先生の薦めがなかったらいわば普通の入試を受けて、
中の中くらいの高校に進んでソフトテニスも続けるほどではなかったので、この進言というのは僕の人生に大きく関わる、唯一受け入れたアドバイスと言っていいと思います。

若かった(子どもなので)ということもありますが、
周囲の大人が適切に、よい距離感で自分を見ていてくれたというのは非常に大きなことなんだなと今になって思います。

その他の用語集

・ベータチタン
ミズノのソフトテニスラケットで一時代を築いたシリーズ。
10人の部員の内3人が所有しており、オリジナルTシャツがもらえた。

・手書きゼッケン
他校はプリントされた名前のゼッケンをユニフォームにつけていたが
わが校はお母さん手書きのゼッケンが伝統になっていた。

・カズさん
テニス部で同じ前衛ポジションだった友人。
プレーのセンスが良く、ナイキのシューズがかっこよかった。
卒業後も一緒にフットサルをしたり、お互いの大学祭に遊びに行った仲。
カズさんの結婚式では二次会の司会をやらせてもらった。
先日はオンライン飲みをやろうとして僕が寝落ち。
二児のお父さんで小学校の先生。

・土手
テニス部の素走りの通称。
町内を回るロード、半分の距離の半土手、がある。

・ロング缶
自販機で売っていた500mlのコカコーラ。
夏場、部活終わりに飲むのが最高に美味かった。

・偏頭痛
試合後など極度の疲労から視界にチラつきが入り、
人の目など2つあるものの片方が欠落する怖い前触れがある。
激しい頭痛と嘔吐があり、小学校高学年から中学卒業まで悩まされた。

・バックストリートボーイズ
世界中でヒットした90年代〜を代表するボーイズボーカルグループ。
「I want it that way」を聴きすぎてハマり、その後2度の来日ツアーに参戦。

・FIFA99
ゲームを買ってもらえない我が家で許されたPCゲーム。
好んで使っていたのが当時プレミア所属のウィンブルドン(通称ドンズ)

・MDコンポ
当時皆が持っていたMDを聴くサウンドシステム。
ビクターの3CD&4MDを買ってもらい、MDtoMDのダビングが出来た。

・地理
唯一と言っていい得意だった科目。
デカン高原、ウラル山脈、消雪パイプ、は身震いするほど好きなワード。

・サクラさん
僕の事を好きと言ってくれた稀有な女の子。
町内のマンションに住んでいて、家に電話するとお母さんが電話に出る。

・合唱祭
年に一度行われるクラスが最大級に紛糾するイベント。
本番を迎えるまでに意見が衝突し、クラスの半分が泣き出す。

・デサント
総合スポーツメーカー。
当時モーニング娘の映画でデサントのジャージが使われており、
印象が良かったため黒いデサントのTシャツを着てテニスをしていた。

・オリコンスタイル
放送委員会の部室に定期的に届くオリコンの雑誌。
中のランキングを参考にして昼の放送に反映。

・マキシマイザー
ミズノの廉価ラインのランニングシューズ。
靴を選ぶのが面倒になり、勝手に指定靴に選定して履いていた。

・1310,2409,3510
上履きにマジックで書いていた、年、組、出席番号を繋げた数字。
ニューバランスみたいに番号が入っているとかっこいいと思っていた。

・ビーバー
1年時に担任だった英語の男性教師の愛称。
素行に問題があったようで、10年ほど前に窃盗で逮捕された。

・アズイズ ウォーターヘアクリーム
東戸塚のオリンピックで初めて買ったマンダムの整髪料。
サッカーの前園真聖がCMキャラクターだった。

・クレアラシル
ニキビの治療薬。
年頃だったので髪の生え際やこめかみ、鼻などニキビが多発した。

・ビフナイト
同上

・ナイキ ユービークテュースマックス
東戸塚オリンピックで買った初めてのビジブルエアのシューズ。
1年生の課外学習で長野へ行ったときに履いていたが、
名前を間違えて覚えているようで検索でヒットしない。

・サワノくん
サッカー部に所属していた顔のかっこいい男の子。
彼が水泳が苦手というのは、泳げない僕にとって精神的に大変助かった。

・ミヤザキ先生
テニス部の顧問。
勝ち負けよりも礼儀や試合へのアプローチを大事にした人情派の先生。
担当は数学、当時の愛車はホンダのプレリュード、愛称は「大仏」。

・エネルゲン
大塚製薬の持久力を保つという触れ込みのスポーツドリンク。
前述のミヤザキ先生が「すごくいい色のお茶だな~」というくらいの
オレンジ色が特徴で、サッカー川口能活がCMキャラクターだった。

・ウィンザーラケットショップ
横浜東口のスカイビルにあるテニス用品専門店。
中学生にはちょっと敷居が高かったが、専門性のあるグッズが買えた。

・ブブカ
クラスのとっぽい男の子が読んでいたアイドルやグラビアアイドルが
掲載されている若年男性向けの雑誌。僕は買ったことがなかった。

・FIELD OF VIEW
代表曲「君がいたから」「突然」などがあるビーイング系バンド。
小学生時代に8cmシングルを地元の新星堂で買うほど好きだった。
TBS「筋肉番付」のエンディング曲だった「青い傘で」を昼の放送で選曲。

・THE RANKING
FM Yokohamaで平日19時から放送されていた音楽情報プログラム。
DJは中村義昭とシンディ鈴木。学校で話題になるほど皆が聴いていた。

・ブロックバスタービデオ
自転車で20分ほどの場所にあったレンタルビデオ&CD店。
当日料金が安かったので学校が終わった後借りに行き、
すぐ録音して夕方再び店に返却に行くという苦行を行っていた。
(中学在学中に近くにTSUTAYAが出来たので行かなくなった)

・グリップテープ
テニスラケットの手で持つ部分に巻いているテープ。
パンチング加工されたものや凹凸のあるもの、タオル地などがあった。
僕はプレーンなウェットグリップを使っていたが
ショッキングピンクのテープを3年間のほとんどの時間巻いていた。
(白いグリップテープを巻いている人が部活カーストの最上位だった)

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