
だいたいさぁ、人の魂魄って食料なんだよね。
物理の世界では人は辛うじて食物連鎖の頂点に居ることになっているけれど、非物理(魂魄)の世界ではそうでもないだよね。
食物連鎖的には比較的下の方なんだよ。
まぁ、物理の世界で言うならば、雑木林に生えている樹木みたいな感じなんですよ、人の魂魄って。
質量と体積を持たない意思のあるナニカ(以下単にナニカと記す)のうちの何種類かは、人の魂魄に取り付いて暮らしているし、それが健全な姿。いわゆる共生ってやつ。樹液を求めてカブトムシがやってきたり、キツツキが巣を作って虫を啄んでいたり、そんな風景と一緒。
だから、ナニカに取り付かれているのが魂魄には健全な姿なんだよ。取り付いたナニカは魂魄を包み守ってくれるし。
ただ、ナニカの中には悪趣味な奴もいて。伐採を趣味とするニンゲンとか、後先考えずに食って枯らすマツクイムシとか、根幹にまで菌糸を侵食させてしまうある種のキノコとか、そういう奴らも居るわけで、こういう輩に狙われたら厄介になるけれど、そうでない場合は大丈夫なんだよ。
人の魂魄なんて、所詮はその程度の、格としてもそんなに高くない存在なんだよ。まぁ、有象無象?その他大勢?モブ?みたいなもの。まぁ、こんなことを言うと、少なくない人が嫌な顔するけれどね。
なんで、人の存在をそんなに高尚なものとして扱いたいのかな?と不思議なんだよ。特にね、神様とか、スピリチュアルとか、物理でないものに重きを置いてものを思う人がそうなんだよ。逆に、物理側に思考が深く傾倒している人の方が人というもの低級性を受け入れてくれる。
物理でない世界の風景をしっかりと見つめることができたら本当にわかるんだよ。如何に人がつまらない格しか持っていないか。
上を見たら、果てしなく上まで、それこそ銀河の先、宇宙の先まで、格上が連なっているし。周囲を見ても、人の格よりも確実に上な存在がウヨウヨと居るのにね。
なのに、なんでか人は、自分たちは神様に愛されているなんて、自然(神)から守られているなんて思い込むだよね。それも無条件にそうなんだと思っている。本当に無邪気というか、無思慮なんだと思う。その無根拠なプライドがどこから来るのか、私にはわからない。
人はもっと劣等感を持つべきなんだよ。健全な劣等感をね。
自分の立っている足元、アイデンティティ、価値観、倫理観が、如何に脆弱で、思い込みによる代物なのか。それを受け入れるべきなんだよ。
人は、太陽系は、銀河系は、宇宙は、神様的な存在からは愛されていない、絶対的な意味での価値なんてない、ただ存在することを許された程度のものでしかないということを受け入れるべきなんだよ。
それを受け入れて、はじめて、正しい風景を見るための最低限の資格を得られるんだよ。
まぁ、そんなことを伝えても受け入れてもらえないんだよね。だって、心地いいじゃない、神様に愛されて、食物連鎖の頂点(近く)に居るっていう幻のを見ている方がさ。