スピリットに支配されるとインスピレーションに満ちた幸せな夢しか見れないのかもしれない
11月勉強会でも少し話したけど(ブログにも書いたかな?)
「あ、これ前にやったことあるやつだ。え?兄さん、まさかアレをこれからやるんすか?マジっすか?それはすごいっすね!!!兄さん」
という感覚が11月くらいから来ている。
その直前に結構真面目に聖霊から「いいからそろそろ本気出せ」的なニュアンスを言われたようにも感じて心身共に凍りつくような感覚があった。(その聖霊の言ってる意味は、使われるままに使われる覚悟をしなさいよ。という感じ)
凍りつくのだけども、私にとってはそれに抵抗する意欲の方がないので言う通りにする以外の選択肢はないから、犠牲者感覚なしに、仰るままにするしかないですといった感じで、徐々に言うことを聞いてると思う。
それは幸いなことだなと思う。
もしも私が人間として世界を眺め生きるなら、この人生の無意味さ、無惨なまでの果てしなさしかここには感じれないだろう。
けど、この世界や人生を
「幻想閉じ込めトリック」から自分を抜け出させるために使うことができるという唯一の幸せな世界の使用方法に気が付かせてもらえた光栄さ。
そりゃ
「兄さんそれはすごいっすね!?」という気持ちになるはずだ。
そして、もうそれは起きたし、以前やったことがある。という感覚がやたらと強い。
「この声に耳を傾けて従っていれば絶対に大丈夫」という妙な確信がある。
だから、兄弟の顔色を見ながらインスピレーションについて言い控えするのもしなくなってきた。絶対に言わない方がいいというタイミングですら、言う。
もちろん何もかも、言うことやることはガイドされているかどうか祈る必要があるので紙一重だとは思うけど
昨日までやってた映画プロジェクトファンクション最中に経験させてもらったことは
インスピレーションについて何も語らない方が無駄でしかない時間遅延を発生させるんだ。としっかり理解させてもらったから、「間違ってるかも前提」で、強く来てるインスピレーションについては口に出さねばと思うようになった。
従うと、こんなにも常にインスピレーションの連続で一日を過ごすことになるのか?と経験をすることになる。
以前これをやらなかった理由は
多分だけど、保身ゆえだったのだろう。痛みを避けて感じないようにするのがプライオリティだったからだろう。
保身を最優先させている時
「私」には気付けない。
今、最低最悪レベルでこれ以上ないってほどに痛々しい状態なのだということを。。
上も下も内も外も、どこにでも神を見れない状態は最低最悪の悲惨な痛々しい心の状態なんだよね。
贖罪を受け入れる以外は、すべて取るに足らないことで、何もかもかすり傷程度のお話なのかもしれない。って本気で思うようになってきてる。
気を抜くと神に包囲される感じ、溶けちゃう感じ。だけど気を抜かないように懸命な部分がまだまだ降参しない。
でも降参したい。
デイヴィッドが言ってた通りに「実在なるものにサレンダー」したい。
その一体性にしか価値がないのは明白になってきている。
価値なきものをすてて
価値あるものにサレンダーしたい。
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