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フランセスからの願い
今日はいろいろな意味でフランセスDayだった。
もう寝るから短く書くと、フランセスDayの就寝前、何だか強めにフランセスから願いごと(要求みたいな感じ)を言われてるのに気づいた。「ノリコ、ノリコ、お願いだから」って
あなたは私をどのようにでも使って構いませんよ、前からそう言ってるでしょ?どうぞなんなりとやっちゃってください。って答えて、
何を願われてるんだろう、聞こえればいいなぁと欲求を抱い
神と私の関係のメタファーの世界だったんだな
私(心)が見るものすべて、知覚するものすべて、世界全体が神と私の関係について
「自分はこの関係がどういう関係だと信じているか?」についての遠回しのメタファー(隠喩)だったんだな。
永遠に愛されるとか、永遠に愛し合うって可能なの?
神は私のことを愛してくれるのだろうか?
いや、永遠の愛なんて不可能だ。
私は知ってる、私がどういう者かは。
私のこの信念によれば、結論として永遠に続く愛は不可能だ。
【15】Jesus: A Gospel of Love まじでイエスはいる。
心のたゆまぬ訓練をやり続けるって、本当にすごいことだと思う。
この訓練の結果が、減ったり消えたりすることは決してない。
この結果は何からも影響を受けない。だから、この心の訓練をしない選択肢はないと思う。
もちろん、おびただしい誘惑は連続するのだけども、それでも想像を絶するほどの価値がある。最終的に贖罪も可能となるのだ。。
この滞在を始める以前から、ちゃんと警告はされていたけども、やはり「権威の
現代の神秘家・修道士生活の方が自然で普通な感じ。
2ヶ月以上過ごしてみて、やっぱりこの時期にメキシコに滞在してよかったと感じる。
メキシコのコミュニティーで滞在し、神を1番にする目的で集まった兄弟姉妹たちと共同生活をしながらファンクションとコミュニケーション、コラボレーションを中心に生活する。
割と毎日のように、大きなヒーリングの機会、浄化の機会、赦しの機会がある。
自我の声も相当デカい。そりゃそうだろう、自我のトリックで今まで以上に神の子
最も柔らかい場所を露出したままに
「ハートの奥の一番柔らかい場所をあらわにしたままに」という指令なのか、祈りなのか、決断なのかわからないけど、この声に従っている。
心の奥の、一番柔らかくて、隠したくて、防衛したくて、触られたくない場所を、あえてあらわにしたまま自力で保護するのをやめることで、神に対抗しなくなる心に戻っていくらしい。
神に対抗して、神から自分を防衛するのが良きこと、自分にメリットがあることだと信じてきた。
なぜか
愛されているのを本当に経験したいなら、実感したいなら、すべきこと。
「愛されていると実感したい。知りたい。愛しかないって教えてほしい。愛を経験したい」
という言葉を口にすることは、まあまあ簡単なのだけど、それが実際に経験される原因は、100%自分自身の決断なのだ。
誤解を生むかもしれないけど
聖霊がそれを叶えてくれるわけでもない。
なぜなら聖霊はもうその仕事を終えてるので、どっちかというと聖霊が私たちを待っているのだ。
「さあ、いつこの心はこの訂正を受け入
100%自分に力がある
毎日いろいろと、状況や予定に見えていたものが変化し続けていて
その変化しまくりの中、心の中の決断の主体である我に集中し続けていると
人も状況もストーリーもプログラムも自分の外側には存在していなくて
すべてが自分の中で、ひたすらねつ造しているもので、自分がそれらの作者であって
だからこそ、自分のねつ造したものをどう見るかは自分に100%力があって
それをどう見るかは、
見たいようにしか見てい
【14】Jesus: A Gospel of Love (2024年3月24日、今感じていること)
毎日色々なことがあるのでブログを書くのが間に合わない感じ。
何しろこの人生全体宇宙全体を映し出している心の浄化と癒しを第一優先にしている。
もっぱら、一瞬一瞬、一日一日を大切にすることを試みている。
今日が人生最後の日、このセッションが最後でもう二度とない。
と、覚悟を決めることに集中している。次はないと考えると、成功とか失敗とか、よく見られるとか勘違いされるとかの思考が遠のく。
今、愛だけを
【13】Jesus: A Gospel of Love (2024年3月20日春分の日、メキシコ半分経過した)
究極的に、この道は自分vs自分だなと思う。
本当に他者は存在していなくて、いると思っている外側は実は自分の内面がそこに現れているかに見えているだけなので、それをどう見るかは完全に自分の責任でしかないのだ。
デイヴィッドが言う例え話し
人を指差して何か言っている時に自分の5本指のうちの一本だけが外に向いていて他の3本指は自分に向いていると言ってくれるらしいけど、その通りで、他者について語っていて世
まさかの欺瞞100%の思考を信じていただけ
当然のごとく狂気的な思考は普通に湧き上がり続ける。湧き上がり続けても問題がないので歓迎してる。
いわゆる「裁きの思い」なのだけども
なぜだろうか?その「裁きの思考」に力がない。
投影する自分を眺めていて、その思考の無価値性を認識し眺めている。
投影しているし、無価値な思考が思考され、それが私の中で採用されている。
自動的にプログラムが流れ続けている。
そうやって、くだらない時間の先延ばし作
広大なる静寂の地点に留まれ
人間レベル、肉体・知覚のレベルでは赦しは起きない。水平レベルでは無理で、垂直に真上に突き抜けないと全然無理。
「それは起こらなかった」
「起きたと思っていた世界は、起きたと思った時点ですでに終わっていた」という、その認識の場所でないと赦しは起きないな、不可能だな、という強い感覚が続いてる。
真の赦しが起こる地点に留まるように言われている感覚が続いているのだけど、もしそこにいるとあれこれ語れない
【12】Jesus: A Gospel of Love(2024年3月某日 🎬映画The Proposal)
この日の夜はマルセラのインスピレーションで映画を観ることになった。
今のみんなにとって観るとよい映画だと思うのよ、と言っていた。
今まで観たことなかった映画だし自分では選ばないタイプの映画。
終始コメディー調の展開なので甘くみていたのだけど、最終的に思いのほかガツンとやられたのだった。
正面から愛を受け入れること、愛を与えること
そこから逃げない。防衛をやめる。マスクを外す。正直になる。心を開