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「heart bookmark」を聞いて ~「Dreamy Stories」でも感じたこと~

承前


今回は昨日のようなあほみたいなこじつけ記事は書かないつもりでいますが、それでもどこかしらこじつけ的になってしまうことをお許しください。

引き続き、水瀬いのりさんのハーフミニアルバムについて執筆しようと思いますが、渕上さんの「Dreamy Stories」(DSと略す)への副論を兼ねているところになります。というか、DSについての記事書いてねぇ。

本題

さて、今回そのミニアルバムの中でお題とするのはこちら。


表題曲になりますね。
そう、こんなタイトルから感じられるのは、心のしおりというか、書籍系を催したような、思い出のしおりみたいな。そういうイメージですよね。
歌詞を紐解いていくと、今まで自分にかかわってきた、すべての人たち、みんなへの「ありがとう」を伝えている。そしてそのみんなとの思い出、それがしおりになっている。そういう形であろうと感じています。

さて、ここで「Dreamy Stories」の話をしよう。


実はタイトルからはイメージつきませんが、この曲も書籍、本っぽいものが関係しています。

こっちでちょっと書きました。
このDreamy Stoiresというタイトルには、絵本が関係しています。

その絵本について、内容をざっくり説明すると、
独りぼっちになっているお姫様がいて、そのお姫様が淋しくなってお城の中を出てしまった。お姫様は迷子になってしまったり海の中にぼちゃん。
でも大きな鳥が助けてくれた(?)り、ずぶ濡れになっている状態で歩いていると道行く人たちが髪を乾かしてくれたり着替えをくれたり、最後はみんなで歌う。そして最後は「歌うって楽しい!」というお話。そう、結局、周りの人達が助けてくれていることへの感謝を伝えたいのだ。

そんな絵本になっているのですが、ここでこのDSの中で大事なのは、実は「独りぼっちだと思っていたけど、そんなことなくて、いろんな人たちが私を助けてくれる」というところ。

――絵本はどんな物語にしたいと考えたのでしょうか?
 スタッフさんと話しながら、自分の音楽活動に携わるまでと携わってからを彷彿とさせるようなお話を考えました。私は多くの人と関わりを持とうとするタイプではありませんが、そんな私でも支えてくれる方がいて、音楽活動を始めて出会った方もたくさんいます。絵本の主人公のお姫様は私を投影しているわけではないのですが、私の経験や皆さんが導いてくださった過程も盛り込み、物語を考えていきました。

そんなみんなへの「ありがとう」は先述の通り、「heart bookmark」にも表れています。
こちらの曲の中にも「誰も味方がいない日も味方になれるそんな歌を歌って」っていう。そんなフレーズがあります。実は、こっちも独りぼっちになる瞬間があった?でも彼女は味方をつけた?

みんなとの思い出、みんなへの「ありがとう」を謳っている。

更に言えば、どっちの曲も「「もう嫌だ」と泣いたあの日のことさえもううろ覚えで」も「楽しかった出来事も眠れなかった夜も」とか。
「心の隅はさむ栞増えてくよね」とか、「ひとつひとつまた増えていくDreamy Stories」とか。
「ガラスの靴」とか「ダイヤモンドみたいな瞬間」っていう言葉も、実は少し対応しているのかな、とかいろいろ考えてしまう。
いのりちゃんの述べるダイヤモンドみたいな瞬間については、明確に渕上舞さんのDreamy Storiesに似通う部分があります。


――それはどういった部分でしょうか?
水瀬 例えば“ダイヤモンドみたいな瞬間が“せーの”で降り注ぐ“という部分は、1年目の私だったらファンの皆さんの声だけにフォーカスを当ててしまっただろうけれど、今はファンの皆さんだけでなくチームのみんながいて、決してソロアーティストは1人ぼっちではないということを知っている。“降り注ぐ”という言葉も1粒じゃなく絶え間なく降り注いでくるものなので、たくさんの人たちが自分と出会ってくれたことで、 私の思い出が反射するように降ってきているのだろうなと思うと、苦しかったことや悲しかったことにもちゃんと意味があって今に繋がっていると感じられて。それを『heart bookmark』の制作のために訪れたパリで聴くという状況も含めて、自分の中ですべてがエモい感じで繋がってしまって、感情がバーッとなってしまいました(笑)。

https://www.lisani.jp/0000264444/?show_more=1

より。
というところに、輝くダイヤモンドという意味では、渕上舞さんの「ガラスの靴」という存在も、みんなの存在がキラキラした何か、履き物と考えると足を手助けしてくれる、つまり自分の助けや力になれる存在と比喩できます。

そしてどちらも「青」が好きだ。



ここまで述べて、だいぶ、曲のメッセージ性が大筋として一致していることが見えてきたと思います。
どちらも、本にしたいような思い出とそれを残してくれた皆さんへの感謝なのだろうと思います。




補論(実はこっちが本題だ!!)


よい記事を提供してもらいましたので、ちょっとだけ補足的に。

水瀬いのり 注目の声優アーティストが人生と音楽でいつも大切にしていること、新作に込めた想い(田中久勝)
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/97b91ca29f45851411e82138f5fcdebd15328aab

この記事の中ですごく引っかかったのは、二か所ほど。

「ネガティブすぎず、希望的すぎず、悲しみがあるから希望がある、陰があって光がある…そんな歌詞を歌いたい」
歌詞についてもこだわりがある。

「自分の性格も影響していると思いますが、ネガティブにしすぎずにネガティブにしたなら希望を残して欲しいし、でも希望的すぎずに、悲しみがあるから希望がある、陰があって光があるんだということが混在している歌詞にしてくださいということはこだわって、書いていただいています」。

闇がなくちゃ光れないから…っていう歌詞どこかで聞いたな!?
そう思うと、実は渕上さんもそんな曲が多い。
むしろ舞さんの場合はネガティブな曲、というか陰鬱とまでは言わないけれどちょっと絶望しているような、希望もないような。
なんなら「雪に咲く花。蜃気楼」なんかがそうで。

でもこの曲にしても、実のところ陰鬱で終わるわけではなくて、むしろ曲調は温かくなるようなシーンも多い。そして舞さん自身の歌声がどこか救ってくれるような温かさがあるから、結果的に歌詞が影になって曲が光っている。そんなイメージになる。


さて、一番引っかかっているのはここ。

「頑張りすぎないことを推奨したい派です。頑張っているから価値があるのではなく、頑張ろうとしてる気持ちにも価値はある」
優しく背中を抱いてくれるような歌詞と、親近感のあるメロディを歌い続けてきた。それは本人の「なんとかなるさ」精神が歌にも出ているからだ。自分らしくいることが大切ということを伝え続け、聴き手は励まされている。

「たぶん私は熱血な前向きタイプではなく、基本的にはなんとかなるさ精神で生きている気がします。あまり期待もしていなくて、こうなりたいという理想もあまりなくて、それよりもこのままでいたいとか、このままの自分を好きでいたいという気持ちが軸にはあって。なので曲を聴いているときも、『頑張れ』って言われるより『頑張ろうよ』って言われる方が嬉しくて、一緒がいいんですよね。ただ無責任に背中を押すのは私らしくないというか、私も頑張ってるからみんなも頑張ろうとか、あとは頑張りすぎないことを推奨したい派です。頑張ってる人が偉いというわけではなく、一人ひとりのペースがあるので、頑張っているから価値があるのではなく、頑張ろうとしてる気持ちにも価値はあるという考え方なんです。私の音楽を聴いてくれる方やライヴに来てくれる方は結構10代の方も多くて、自分も学生時代そうでしたけど、やっぱり誰かと比べてしまいがちで、誰かに合わせることで、結構抱え込んでしまう友達も多くて、その中でも私は一貫してあまり他者と自分を比べて、落ち込んだり悩んだりはしてこなかった人生だったなと今改めて思います」。

多分、このあたりの人間性が、すごく渕上さんと似ていて。というかおそらくアーティスト活動の中で伝えていきたいところがすごく渕上さんと合致している。
多分、共作をしたらとんでもないものが作りあげられるんじゃないかと思うほどに。

今回、渕上さんが作詞をされている曲が5曲ありますが、作詞をするうえで心がけていることはなんですか?
渕上 書き始めて日が浅いのでまだまだ勉強中の身ではありますが、自分らしさを思う存分、詞の中に入れ込んでいくことを意識しています。頑張っている人に「もう頑張らなくてもいいんじゃない?」と少し休息をしてもらって、また頑張ろうという思いになってくれたらいいなと考えながら歌詞を書いているので、ところどころプラスにはとれないような歌詞も出てきますが、それはネガティブがプラスに変わればいいなという思いがあったりするので、それが作詞をするうえでの自分らしさかなと思っています。

自分らしさを大事にし始めているのを、いのりちゃんファンはお気づきかと思います。そしてその自分らしさの軸に「頑張っている人に頑張らない」ことを提案しようとするその価値観が、双方にあります。
「頑張ろうとしている気持ちに価値がある」とか、「また頑張ろうという思いになってくれたら」とか。
間違いなく、同じような価値観を持っている。
そしてそれが自分らしさだ。

だから結局このお二人は似たような人間性、自分らしさがあって、だから近い、同じような構成の曲もできてしまうのだなと感じました。
それがすごくうれしくある。

先日もこのような記事を書きましたね。

多分この部分も、「自然」に出来上がったものであり「必然的」に出来上がったものであろうと思います。

だからこそ双方の「ブック」そのものに、みんなへのありがとうがとか思い出とか栞とか、そんなワードがちりばめられるんじゃなかろうかと感じます。
今回のheart bookmark 、間違いなく『glow』の正当な続編となったことでしょう。



追記:


――それはどういった部分でしょうか?
水瀬 例えば“ダイヤモンドみたいな瞬間が“せーの”で降り注ぐ“という部分は、1年目の私だったらファンの皆さんの声だけにフォーカスを当ててしまっただろうけれど、今はファンの皆さんだけでなくチームのみんながいて、決してソロアーティストは1人ぼっちではないということを知っている。“降り注ぐ”という言葉も1粒じゃなく絶え間なく降り注いでくるものなので、たくさんの人たちが自分と出会ってくれたことで、 私の思い出が反射するように降ってきているのだろうなと思うと、苦しかったことや悲しかったことにもちゃんと意味があって今に繋がっていると感じられて。それを『heart bookmark』の制作のために訪れたパリで聴くという状況も含めて、自分の中ですべてがエモい感じで繋がってしまって、感情がバーッとなってしまいました(笑)。

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