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【シリアス】たい焼きと祈り

二人の女性は、それぞれ違う理由で、ある記憶がありません。

ひとりは、孝美。
孝美は失った時間を求めて、長年離れ離れになっていた人に会いに来るようになりました。
その人が、幸依。
でも、幸依は孝美のことを知りません。

二人の間には他人には窺い知れない溝があり、そして、二人とも傷ついていました。
たい焼きをきっかけに二人の時間が動き出したとき、悲劇が始まるのです。

*************
▶ジャンル:シリアス

▶出演

  • 孝美:岡田陽子(スターチャンネル)

  • 幸依:塚口百合子

▶スタッフ

  • 作/演出:山本憲司(東北新社/OND°)

  • プロジェクトマネージャー:大屋光子(東北新社)

  • プロデュース:田中見希子(東北新社)

  • 音効協力:小林地香子

  • 収録協力:オムニバス・ジャパン

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『たい焼きと祈り』シナリオ

登場人物
 孝美たかみ(45)
 幸依ゆきえ(70)

孝美「こんにちは」
幸依「えーと……」
孝美「小林です」
幸依「ああ……よろしく」
幸依M「私は慎重に言葉を選ぶ。騙されないようにしなくては。私のような年の者に気安く声をかけてくる子は、私の財産を狙っているか、またはなにか別の魂胆があるはずだ。だから笑みを絶やさないようにしながらも相手の服装や髪型、表情や顔色を観察する。見たところ、私に心を開いているようだ。しかしそうした態度こそが私を油断させようとしているものかもしれない。だからやはり私は気を抜かない」
孝美「これ、どうぞ」
幸依「たい焼きじゃないの!」
孝美「たつ屋の。幸依さん、好物でしょ」
幸依「たつ屋……ああ、私ね、下町に住んでたから若い頃はしょっちゅう行ったの。よくご存知ね。いただこうかしら」
孝美「どうぞどうぞ」
幸依「(食べて)うん、全然変わってない。大ぶりの小豆で、柔らかくて優しい甘さ。昔のままのたつ屋のあんこ。嬉しいわ」
孝美「よかった」
幸依「娘が好きでね。よく二人で買って帰ったもんだわ。でもお父さんの分は買わなくて。そしたらお父さん、プンッてふくれちゃって。ねえ、お父さん」
   ×     ×     ×
孝美「こんにちは」
幸依「えーと……」
孝美「小林です」
幸依「ああ……よろしく」
孝美M「私は慎重に言葉を選ぶ。私の顔から何かを探ろうとしているようだ。もう私のことわからないんだな。娘の顔を完全に忘れてる。でも、それを責めちゃいけない。母にとって私は娘ではなく今日初めて会った人。信用できる人間かどうかもわからない。まずは安心してもらわなきゃ……」
孝美「これ、どうぞ」
幸依「たい焼きじゃないの!」
孝美「たつ屋の。幸依さん、好物でしょ」
幸依「たつ屋……ああ、私ね、下町に住んでたから若い頃はしょっちゅう行ったの。よくご存知ね。いただこうかしら」
孝美「どうぞどうぞ」
幸依「(食べて)うん、全然変わってない。大ぶりの小豆で、柔らかくて優しい甘さ。昔のままのたつ屋のあんこ。嬉しいわ」
孝美「よかった」
幸依「娘が好きでね。よく二人で買って帰ったもんだわ。でもお父さんの分は買わなくて。そしたらお父さん、プンッてふくれちゃって。ねえ、お父さん」
孝美「そう」
孝美M「母が今のような姿になって、約三年。やっと母と娘として向き合えるようになったなんて、不思議な感じ。前だったらこんなこと考えられなかった」
幸依「うーん、ほんとにおいしい」
孝美M「少しずつ、母との時間を取り戻していく。母がたい焼きが好きだったことだって最近ようやく思い出したことで……」
幸依「あなたもどう? おいしいわよ」
孝美「はい。じゃあ、いただきます」
幸依「たい焼きを食べるとね、いろいろ思い出すのよ」
孝美「娘……さんのことですね」
幸依「孝美っていうの」
孝美「はい」
幸依「というよりも孝美と通った日々のことね」
孝美「通った……」
幸依「電車で一時間はかかったかしらね。まあ今考えたら大した距離ではないけれど、あの頃は、孝美にとってはちょっとした遠足気分だったんじゃないかしら」
孝美M「母が何のことを言っているのか、皆目見当がつかなかった。母とのことはほとんど思い出せないのだ」
孝美「どこに通ったんです?」
幸依「うふふ、とっても楽しいところ」
孝美「楽しいところ……」
幸依「またあの頃に戻りたいわね。ねえ、お父さん。あ、お父さんは一緒に行ってくれなかったか。だからたい焼き買ってあげなかったのよ。うふふふふ」
孝美M「私が幼すぎたから思い出せないのだろうか。それとも……」
幸依「どうなさったの? 食べたら?」
孝美「あ、はい。(食べる)あ、うん。ほんとにおいしい」
孝美M「そのたい焼きの一口が、一瞬で私を四十年前の時間まで引き戻した」
孝美「うっ(咳き込む)」
幸依「大丈夫? お茶飲む?」
孝美「い、いえ。大丈夫です。お気遣いなく」
孝美M「うかつだった」
幸依「毎週日曜、私と孝美の一番幸せな時間だったわ」
孝美M「……違う!」
幸依「私の味方は孝美だけだった」
孝美M「味方じゃない」
幸依「あの頃に戻りたいわね」
孝美M「違う違う違う違う!」
幸依「顔色が悪いわよ」
孝美「平気です。お構いなく」
幸依「あらそう?」
孝美M「どうして……どうして今まで記憶から抹消されてたんだろう。思い出したくなかったから? いや、でもその頃幼い私は何もわかってなかったから、つらい思い出ではないはず」
幸依「私もね、もうずいぶんと道場にはお参りできてないのよ。もちろん、お祈りだけは毎日欠かしたことはないんだけどね」
孝美「そうですか……」
幸依「そうだ。あなたもいらっしゃいよ」
孝美「え?」
幸依「一緒に行きましょ。あなたをお連れしたいわ。道場に」
孝美「け、結構です」
幸依「そう?」
孝美「たい焼きまた買ってきますから」
幸依「あのね、社交辞令で言ってるわけじゃないの。私と孝美はね、毎週きちんと通ってお祈りして、天の国の歌を歌って、神身一体の踊りを踊って魂を清めたの。おかげでうちは、幸せな家庭だったの」
孝美「幸せな家庭ですって?」
幸依「そうよ。なあに」
孝美「いえ……」
幸依「あなた、幸せではなさそうね」
孝美「私は幸せですよ」
幸依「そういう人に限って、自分が幸せではないってことに気付けてないのよ。あなたにも教主様の尊いお言葉を教えてあげるわ」
孝美「いえ、大丈夫です」
幸依「ちょっと待ってて。入門用のハンドブックがどこかに……」
孝美「いいですいいです」
幸依「とりあえず人の話は聞くものよ」
孝美「いいですから」
幸依「私はあなたのためにと思って言ってるの」
孝美「いいですって!」
幸依「どうしたの」
孝美M「私はその時気が付いた。手の中の湯呑みに刻印された車輪のような金色のマーク。あのマークに」
孝美「キャッ!」
   落とした茶碗がガシャーンと割れる。
   その音の中に記憶の会話が響く。
孝美(5)「パパー!」
幸依(30)「孝美、もういいの。パパは帰ってこないの」
孝美(5)「どうして? どうしてパパは帰ってこないの?」
幸依(30)「パパは地獄に落ちてしまったのよ。いい、孝美。孝美のことはお母さんが守る。パパのことは忘れなさい」
孝美(5)「パパー!」
   茶碗の破片を集めて。
孝美「……すいません。割ってしまって」
幸依「気にしないで。割れた器は強くなる。教主様の教えですからね」
孝美「……」
孝美M「大人になって親戚の人たちから聞いた話では、家を出ていった父は私を取り戻そうと近所に住みながらいろんな方面から働きかけたらしい。でも結局、父が私を取り戻すことはできなかった。そもそも父と母が別れる時、私は母を選んだのだ!」
孝美「すいません……私、帰ります」
幸依「あら、次はいついらっしゃるの?」
孝美「それは……」
幸依「お父さん、帰るって。またお会いしたいわよね」
孝美「あの……」
幸依「はい?」
孝美「……なんて言えばいいんだろう」
幸依「どうしたの?」
孝美「お父さんなんて、いないでしょ」
幸依「……え?」
孝美「あなたの言ってるお父さんって、一体どこにいるんですか」
幸依「お父さん……あら、どこに行ったのかしら」
孝美「お父さんはね、死んだの!」
幸依「死んだ?」
孝美「お父さんは、家を出て、すべて失ってホームレスになったの」
幸依「何を言ってるの?」
孝美「多摩川の橋の下で誰かに暴行を受けて死んでるのが発見されたのよ。当時新聞にも載ったわ。あの宗教の人たちがやったんだろうって大人たちは噂してた」
幸依「……かわいそうに……」
孝美「あなたの旦那さんの話をしてんのよ!」
幸依「あなたがかわいそうだって言ってるの。私の旦那さんは、一緒にいるわ」
孝美「いや、だから、亡くなったんですって」
幸依「なんであなたはそんな知りもしないことを言うの? お父さんは一度は私から離れていったけど、その後ちゃーんとわかってくれて、戻ってきてくれたの。私はいつもお父さんと一緒にお祈りしてるのよ」
孝美「え……?」
孝美M「私の頭からすっかり記憶が消えていた理由がようやくわかった。私の大事にしておきたかった家族の記憶を上書きしてけがされたくなかったのだ。それは、父への罪悪感なのかもしれない。私は中学を出ると同時に、精神的に追い詰められて家を飛び出した。なのに、どうして私はまたここに戻ってきたんだろう……」
幸依「あなた、もしかして」
孝美「な、何ですか」
幸依「孝美のこと、知ってらっしゃるの?」
孝美「いえ……」
幸依「そう……」
孝美「あ……知ってます」
幸依「どこ? どこにいるの?」
孝美「孝美さんは……孝美さんは、死にました」
幸依「死んだ……?」
孝美「もう二度と帰って来ることはないです」
                              〈終〉

シナリオの著作権は、山本憲司に帰属します。
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【脚本:山本憲司】
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