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「すみません」より「ありがとう」を回す社会がいい 〜弱者のコンテクストから


旧友と久しぶりにリモート飲みをした。

子どもが3歳になる彼女は、最近新しい仕事の勉強を始めたらしく、それは社会福祉の一部に関わるものだった。子育て中に色々な場面で周りから助けられることが多かったから、「自分も誰かの役に立ちたいと思って」と
チャレンジし始めたんだそうだ。

ところが、彼女が同じことを別の友人に話した時は、「そんな壮大な話なの?」と少々驚かれてしまったようだ。でも、私はその思考の流れ、すごく理解できるなあと思った。私も絵本の仕事を始めた理由のひとつには、同じ心の動きがあるから。

実際、育児を経て何らかの活動を始めるお母さんは私の周りにも沢山いるし、皆似たような想いを話す。そういう点でかなり共感性が高い。

それは、ただ「育児の苦労を知っている」という共通点だけじゃなくて、【社会的弱者】を経験したからじゃないかと、ふとその時、思った。

なぜそう感じたのか。たぶん、最近読んだ本に出てきた<弱者のコンテクスト>という言葉、それがとても印象に残っていたから。

「コンテクスト」とは「文脈」という意味だ。文の流れ、話の流れ、状況、背景・・・そういったものがあった上で、言葉の意味や受け取られ方は変わってくる。弱者を経験した人は、その経験があるからこその思考の流れ、文脈を通じて、言葉を発信する。それが<弱者のコンテクスト>

ネガティブな含みは無く言うけど、幼い子のそばにいる母親は【社会的弱者】に近いと思う。だからこそ、社会や周りの人から、一般よりやや強めのサポートが必要になるし、産後、急に生活がそのゾーンに突入した私たちは、面食らい、心許なく、不安になる。

そして問題は、世間一般も、母親自身も、それをそこまで自覚してないことじゃないかと思う。

子を産み育てる、ということが、あまりにも昔から自然に行われてきた(ように見える)営みだから、助けを必要とする存在だという意識が薄い。

だから母親は、幸せなはずなのに「しんどい」と感じる自分を責めるし、自分だけで解決しなければいけないと思い込んで自分を追い詰める。確かに産んだら責任は親にあるけど、もっと遠慮なく周りに助けを求めたり、差し伸べられた手を掴んで良いと思う。

だって弱者なのだから。

世間からも、もっとハッキリと「助けてあげなければいけない存在」と見られていいと思う。

電車のベビーカー問題だの、公園の子供の声問題だの、正直、私は下らないと感じる。大半の親は節度もあるし、「すみません」と言い過ぎてる。

私も外出先で困っていて、何度となく親切な人に助けてもらったことがある。本当に涙が出るほどありがたいと思った。何度も「ありがとう」と言ったし、助けてもらったから、私も絶対助けられる人を助けようと思った。

日本人は「迷惑かける/かけられる」ばかりにフォーカスしてるから心が荒むし、しんどいし、息苦しいんだよなあと思う。「すみません」って、つい言っちゃうけど。

「すみません」より「ありがとう」を回していく社会の方が断然気持ちいいはず。

私はなるべく、そうなりたい。

そうありたい。


最後にいつもの。絵本紹介を。

そんな気持ちいい社会が可視化されてると思うのが、この絵本。

ウサギさんが作って野原に置かれた「どうぞのいす」。そこを訪れたロバさんが、カゴいっぱいのドングリを置いて、ついお昼寝。そこへ次々と動物がやってきて…

「ごちそうさま、どうぞならば、えんりょなくいただこう」

「でもからっぽにしてしまっては、あとのひとにおきのどく」

そんな風に、椅子の上の食べ物と、自分の持ってた食べ物が入れ替わってぐるぐる回っていく。

「どうぞ」という言葉だけで、感謝と親切が回っていく。

目の前に居るわけでもない、いつかここへ来る「ほかのひと」に気を配る、っていうのが良いですよね。なんて優しい社会なんでしょ。

私が上で考察したことが全部集約されてる!

しかも、こんなにシンプルに、
優しいことばで、
可愛らしいユーモアを添えて。

こういう世界を子どもに伝えられるっていうんだから、
やっぱり絵本って最高だなって思うんですよ。
(結局、絵本が好きって話かい)


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