強さとは

昔むかし、信濃ぽよがまだ信濃にすら出会っていない頃、私はずっと強くなりたいと思っていた。それと同時に強くなければいけないと思っていた。なぜ社会的にも経済的にも精神的にも自立が不可能な年端もいかない女の子であった私が、そんな事を思わなければいけなかったのかは特に説明しなくてもいいだろう。しかし私はある時を境に「もう無理だ」と思った。限界を感じてしまっていたのだ。同時に周囲から求められていたものに応えなければいけない理由が、私にはもう理解出来ないものになっていた。私が「強くない」のは私のせいではないのだと気づいたからである。人間、出来なかったことに対してそれを失敗だと認識する事が多いと思うが、私はあの時の私の判断が間違っているとは思わない。それでよかったと思っている。

しかし、私は今、「強くなろう」と思うのだ。過去の自分を否定するわけではないし、あの時の私は間違いなく正しかった。ではなぜ、今私が強くありたいと願うのか。それは自分の幸せを掴むため、人生において最終的に自分が勝つためである。ではここで言う「強さ」とは一体何なのか。それは『知識』である。一概に知識とは言ってもその範囲が広すぎるのでここで改めて説明しようと思う。ここで言う『知識』とは、自分が生きていく上で自分を守り、優位に立たせてくれる知識の事である。もっと具体的に言うのであれば、法律や礼儀作法、言葉遣いなどである。その知識は、私を大きく支える柱となってくれると私は思っている。なにも、その学んだ事全てを吸収しそのまま従えばいいという話ではないしそれは本当の意味で『知識』という枠に縛られてしまう。わたしが言うここでの『知識』とはそうではなく、その『知識』を踏まえた人格形成である。やがてそれは私の強みとなるだろう。

ではなぜ、私は今、強くなりたいと思ったのか。私は今まで他人との関わりを通して、または自分自身を見つめていてそう感じたのである。その理由の1つとして私は昔から、決して正しいとは言えないような恋愛を体験してきた。確かにその事で沢山の人を苦しめただろうし、何より自分が苦しかった。しかしなぜ今までそういう自分を変えようと思わなかったのかというと、厳密には変わろうとしていた。しかし方法がきっと違ったのである。変わること、つまり強くなることが怖かったのだ。期待され、誰にも助けて貰えず、私が出来ることは出来て当たり前のあの日々に戻りたくなかった。弱い自分を言い訳に逃げていたかった。しかしそれにも限界がきたのである。これ以上自分で自分を苦しめて嘆くのは馬鹿馬鹿しいと思った。つまり、他人を大切にする為、ずっと一緒にいる為には私自身がもっと1人の人間として「強く」ならなければいけないと思ったからである。

2つ目の理由は、これでは上にいけないと思ったからである。今の私は、なんでも思った事をTwitterに書き殴り発信をしているが、元より私は自分自身を上手くSNSで発信することに向いているとは思っていない。文章が人の心を打つ事もある。でも実際に誰かの体験や経験の1部として残り続けられるのは直接関わる他ないのだと思う。だからこそ、このSNSで頑張る事よりも、直接人と関われる場所で頑張る事の方がよっぽど自分をアピールできると思ったのだ。


ここまで私の文章を読んでくれてありがとう♡もちろんnoteは無料で読めるものだけれど、読む時間や労力は0じゃない。だからこそ、ここまで読んでくれたあなたの存在は私にとってとても嬉しい存在です。またね♡