【日曜日の初耳学】米津玄師 まとめ
たまたま、youtubeで米津玄師を検索。
スクロールしてみると、とあるサムネイルが目に留まった。
米津さんと林修さんが対面している!?
サムネイルの正体は初耳学というバラエティ番組らしく、
無断転載なのにもかかわらず、反射的にそれをタップしてしまいました。
内容は米津さんの人生観が語られているようなものでした(ざっくり)。
米津さんは数年前からちょいちょいテレビに出ていたけど、そのほとんどがニュース番組だった印象(違ってたらすいません)。
ところが
今回はなんと約45分のバラエティ番組。
無断転載動画を観ておいて言えることではないかもしれないけれど
本当に感動した
自分はファンと言えるほどではないですが、彼の楽曲はそれなりに聴いているし、今一度TVerインストールして改めて観直しました。
ということで、その内容をまとめていきます!
冒頭
「音楽も絵も素晴らしく、
空間を視覚と聴覚で支配できるすごい人だという印象」
すごく腑に落ちる表現で褒める林先生。
それに対し、
「恐縮です。好きなことだけやってきたらこうなってしまったっていう それ以外のことは何もできない人間として生きて来てしまったなという 負い目のほうが大きいかもしれないですね」
と、ものすごい謙虚ぶりを発揮する米津さん。
すごく穏やかな雰囲気があって素敵でした。
米津さんの私生活
米津さんのご飯=ウーバーイーツ
食事は自炊でも外食でもなく、なんとあのウーバーイーツだそうです!
中華、カレー、寿司が大好きで
この三つをローテーションしているとのこと。
とりわけカレーが好物らしく
「ココ壱番屋のカレーが世界一うまい」
と豪語し、林先生は「ココイチ大変なことになるんじゃないか」と心配に。
優雅な食事ではなく、
あくまで庶民的かつ誰もが知っている食べ物を好む米津さん。
恐縮ですが、親近感を感じられるところが素敵ですね!
お酒好き
King Gnu の常田さんや井口さんと仲が良く、
夜中にふらっと飲みに行くそうです(さらっと豪華メンバー)。
5~6年前にはyoutuberのヒカキンさん等とも飲みに行っていたので
交友関係はとても広いと思われます。
不健康の極み
楽曲制作にあたって、カーテン閉め切って部屋に籠って出てこなくなる
このことを「不健康の極みみたいな」と発言。
10時間睡眠
さっきは不健康の極みでしたが、睡眠はしっかりとっている!
楽曲制作が行き詰ったときは「寝る」!
寝て起きたら感じ方が違っていたりするそうです。
私もこれめちゃくちゃわかります(※黙れ)。
10時間睡眠とらないと気が済まず、
寝過ごしてパソコンが再起動され、楽曲が無くなったこともあるそうです。
林先生「やっぱそう言う時に『夢ならばどれほどよかったでしょう』とか思われるんですか?」
米津さん「ずっと思い続けていますけどね(笑)」
米津さんの過去と楽曲
「さよーならまたいつか!」MVの裏側
「三つ編みはずっとやってみたかったんですよね」
「さよーならまたいつか!」MVにておさげ姿をお披露目した米津さん。
三つ編みやってみたかったって発想がもう常人の域を超えております。
林先生「思い通りのものができたんですね」
米津さん「思い通りではなかったんですけど(笑)」
思い通りではなかったようです。
「実際にやってみるとイメージしたのと違った、
みんな驚いたと思うけど何より自分が一番驚いた」らしいです。
名曲「Lemon」の背景
なんと、高校の音楽の教科書にまで載った「Lemon」
この話を受けた米津さんは「本当に光栄な話です」と謙遜
この曲はドラマ「アンナチュラル」の主題歌でもあり、
ドラマのテーマである「人の死に向き合う」ことと
Lemonの制作中に母方のおじい様が亡くなったという出来事に
米津さんは必然性を感じたと言います。
米津さんの中で、この出来事が
「Lemon」制作を加速させるトリガーとなったのかもしれません
米津さんはおじい様との思い出を振り返り、このように言います。
「じいちゃんの家がすごい好きだったんですよね
そこの光景は今でも思い返すくらい大きな影響を及ぼしているなと」
山の斜面にへばり付くように並ぶ家々、朝もやに隠れる山々
そんな地元の印象的な景色は、米津さんの作品に大きく影響している。
「Lemon」は確実に人生のターニングポイントとなった楽曲だと
おっしゃっていました。
パプリカと宮崎駿監督
子供たちへの応援ソングを作ってくれと依頼を受けた米津さんは
「子供が子供に向けて歌う応援歌とは?」という疑問に悩み、
そこで宮崎駿さんの「子供たちに『この世は生きるに値するんだ』ということを伝えるのが自分たちの仕事」という言葉を一番に思い出しました。
じゃあ、子供への応援歌って「夢をかなえよう」とか「がんばれ」なのか?
いや、違う。
米津さんは自身の過去、田舎の地元で遊びまわった日々を思い出します。そして
「『この世を楽しみながら生きていく』ことに意味がある」
これが結論として浮かび上がったそうです。
子供たちに夢を叶えろと言うのは無責任で
残酷にも子供の夢は叶わないことのほうが多い。
かといって、夢に破れたら不幸になるわけじゃない。
米津さん「夢をもって、夢から付随して生まれる運動や感性みたいなもの 実はそっちのほうが重要なんじゃないか」
素晴らしい。
米津さん自身は日本のトップアーティストで、成功者であるのに
傲慢にならず、むしろ謙虚に、これほど世の中を俯瞰的に捉えているのです
「地球儀」宮崎監督からのオファー
偶然にも、「パプリカ」を聞いてくれていた宮崎監督。
そうしてプロデューサーを通して、主題歌のオファーが米津さんのもとへ届いたそうです。
大量の絵コンテとともに。
「これを見て自由に感じたように作ってくれ」宮崎さんの言葉から相当なプレッシャーを感じ取った米津さんはその時の心情を
死刑台に上るような気持ちだったと表現しました。
「がらくた」壊れていても
米津さんが子供の頃から、耳に残っている言葉があるそうです。
「壊れていてもかまいません」
廃品回収の車から発せられるその音声に、米津さんはこんな印象を抱いています。
「すごいニュアンスがある言葉だなと思って 寂しい響きもあるし 同時に包み込むような懐の広さがあったり」
それに続けて、
「別に壊れていたっていいじゃないかっていう 人間だれしもどっか壊れている部分があるし そういうものを一人一人抱えて生きているわけだし」
幼少のころから生きづらさを抱えてきた米津さんだからこそ
重みのある言葉として刻まれているのだなと感じました。
幼少期からボカロ時代
不調和と創作
「周りの人間が何を言っているのか分からない」
その不調和からの遣る瀬無さを埋める手段が絵や音楽だった。
中学までは漫画家を目指していたそうで
林先生の「漫画家になられてもよかったのでは」という問いに対して「漫画家大変じゃないですか 本当に寝られないし 到底自分には務まらない」とへりくだって答えています。
中学からはバンドを組んだものの、だんだんと人と一緒にやることの苦手意識に気づき、結局は一人でやることに。
そこで、米津さんはボーカロイドに出会います。
ボカロ時代を振り返る米津さんは「ボカロは半分故郷みたいなもので、出会えて本当に運がよかった、ちょっとでもズレていたら全然違う人生になっていた」としみじみと語りました。
この故郷は、バンドを辞め一人になった米津さんの受け皿になってくれていた。しかし、
「この故郷の中だけで生きていくのは心地良いことではない」
人間関係に疲れ、流れ着いた故郷。
ただ、米津さんが音楽を始めたのは
「顔を出して、自分の名前で歌う」という憧れがあったからで、
「それを無視して音楽を作り続けることはできない」という思いが募り、
閉じこもることを許容してくれた故郷を離れようと決意したのです。
「閉じ切らないこと」
これを楽曲制作において最も大切にしているとおっしゃっていました。
だからこそ、彼の楽曲は広く届いているのですね。
感想
今回の初耳学を観て思ったことは、
本当に観てよかったなという感想です(そのまんま)。
和やかな雰囲気でお二人とも楽しそうに話していて
とてもよかったです。
最も印象に残っているのは、「夢に向かっていく過程にこそ豊かなものがある」というところです。
ハッとさせられる言葉です。
叶えたい夢、目標があるけれど、そこに執着するとやっぱり苦しくなる。
でもそれは米津さんも経験されたことと思います。
また、「目的を達成するかどうかって、さして些細な事なんじゃないか」という言葉からは、「自分が楽しいほうに向かってもいいんじゃないか」というメッセージも含まれているのかなと感じました。
これらが、冒頭での「好きなことだけやってきたらこうなってしまった」という言葉に収束する。そのように感じています。
最後に、ここまで読んでくれた方
本当にありがとうございます。