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限界を決めちゃう話。

こんにちは!川崎にある屋上グランピング場で副店長をしている竹本慎と申します!ここは学生だけで運営しているという一味違ったアルバイトなんです。

中にいる人も少し変わっていて、オーナーは大手企業から脱サラをして事業を始めた経歴を持った人で、店長は4年生を休学して住み込みで働くひとです。

いわゆる、「常識」に囚われない方々がいます。

今日はそのオーナーから深い話を聞くことが出来たので、忘れないうちにインプットの整理をしたいと思います。

今回の話は、前述した「常識」についてのアウトプットでした。

私たちは日々生活している中で、新しい価値観に触れたり、新たな知識を得ることで今まで自分の中になかった考え方が生まれるという、今どきで言うと?「ビビッと来る瞬間」に出会うことがあります。

このような体験は、本や経験豊富な方からのアウトプットによって生まれるケースが多いかと思います。その内容が自分自身の経験と一致した時初めて腹落ちすると思います。 

人はついついそう言った出来事を、「この考え方は正しい」などといった押し付けや自分の誇示に使ってしまうようです。

(実際に今書いている僕自身、そのような伝え方にならないように慎重に書いています笑)

なぜこの誇示する事や押し付けることが宜しくないかというと、「自分の常識に限界を決めるきっかけ」になってしまうからです。

抽象度が高いのでもう少し噛み砕いてみます。

人の成長というものは知らないことに触れアウトプットしたり、今まで出来なかったことが出来るようになることだと思います。

にも関わらず、そこで私の正解はこれであると決めつけてしまうとその先、或いはそれ以外に存在するまだ見ぬ価値観への可能性を自ら断ち切ってしまう事になるのです。(抽象度変わってない気がする)

さらに良くないことがあって、この押し付ける行為は周囲の人の受け取り方にも影響が出てしまいます。

自分の考えは素晴らしい、完成されたものだと偉そうに言われても、正直響きませんよね。伝える相手への配慮や尊重が欠けているとその時点で人は聞く耳を捨ててしまうようです。

いわゆるマウントを取るというやつです。

あくまで自分の考え方はこうで、私は私、あなたはあなた、といった受け取る側に自由を持たせる話し方の方が伝わりやすいのです。

実はこういった経験は僕自身よくあったなと気付かされました、、、

学生団体で人事という役職についており、そこではメンバーのさまざまな悩みを一緒に解決していくということをしています。

僕より所属歴が浅い子、年齢が低い人に対してやはり僕の方が知っている量も経験している量も多いのは必然的だと思います。(全てそうではなく、だいたいがそのケースというニュアンスで)

そう言った人間関係のとき、どうしても自分が得た経験は正しいと、まるで世界を悟った神様のように語ってしまうんですよね、、

経験ベースで得られたものだからこそ、自分の中の確固たる正解であると、傲慢にも思ってしまいます。

でも受け取る側からしたら、まだその経験をしたことが無いのに、ましてや同じ出来事から同じ感じ方をするかも分からないのに、それをこの世の真理のように言われると嫌な気分にしかならないですよね、、、

今回の話を聞いていかに自分が19年間のちっぽけな価値観を、この世の全てかのように扱っていたかを痛感させられました。

もちろん自分の経験から得られた学びは納得いくケースが多いと思います。しかしそこで限界と決めずに、自分の考えを信じながらもその先の可能性に猶予を持たせられるかが、その人の「器の大きさ」を決めるのだなあと思いました。

今日オーナーから得られたものはまだ教科書の知識に過ぎず、本当の意味で自分のものになったとは到底思っていません。これからの活動の中で心の底から納得できた時初めて学びとなり、あくまで成長段階だと認識できれば、僕はさらに先に進むことができるのかなあ。

圧倒的な経験とアウトプット力をもったオーナーに打ちひしがられつつ、限界を決めなきゃいくらでも先に進めるという希望に触れられたことを本当に幸せだなと感じました。

昨日はネガティブな話をしてたのに、今日は希望に満ち溢れた話をしている。今改めて自分の情緒が不安定なのかを実感しています。笑

これからも低姿勢で愚直に壁を乗り越えていこうと思えた、そんな1日でした。

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