見出し画像

本当の主体性とは

前回の投稿読んでくださった方ありがとうございます。これからも、空きの時間が作れましたら、気まぐれ投稿をしていきたいと思います。

ところで、題名の「主体性」とは、どこで使われたか。


これは大学サッカー部で掲げたモットーのようなものです。


前回の投稿は小学生時代の話でしたが、今回は、現在の大学でのことです。

私は、新たな目標を見つけたため、昨年度夏にサッカー部を早めに引退しました。ですが、大学サッカーは考えることが重要視され、今まで頭をヘディングにしか使ってこなかった私にとっては、苦労することもありましたが、逆に多くのことを学びました。

そんな私への第一の壁は、「主体性とは何か」でした。一年生として入部した時、代替わりがあり、これを掲げられ、投げかけられました。

単細胞の私は「自分が中心に行動すること?」などと考えていましたが、、

私は現在、この言葉は、部活動に限らず、社会生活においても適応されるべきであり、皆さんも意識していただきたいと思う事柄です。

私たちのチームでは、「主体性を持って、部活動・部活外活動をしろ」と言葉の使われ方をしました。


部活内で主体性を持った行動をとるのは、、すべての時間です

部活外で主体性を持った行動をとるのは、、すべての時間です


どういうこと!?となりますが、まず部活内から話していこうと思います。

部活では、新一年生がボールに空気を入れ、マーカーを並べ、ビブスを分けて準備、また片付けをします。それは、ヒエラルキーがあるから当然のことです。だが、練習になればそのヒエラルキーは無くなります。

先輩がミスをすれば、後輩の私たちでも強く言います。しかし、大学サッカーとなれば、ミスを指摘して終わりではないのです。

自分の技術的なミスであれば、何が原因であるか自分で考えます。連携としてのミスであれば、周りのポジションとのコミュニケーションが必要となります。連携の修正が求められます。

その話し合いは、「自分はサイドの選手だから関係ないや」「キーパーだしフィールドの人で解決してくれ」ということは一切関係ない。

自分がまだ一年生だからといって、引っ込み思案になってはいけない。この時、主体性を持って行動するのである。各個人の責任だとするのではない。チームの力を底上げするには、各個人が主体性を持つことは大切であるが、それ以上に、大学を代表するサッカー選手であることを念頭に、主体性を持って行動するのである。

つまり、個人が責任を持って行動することでは不十分なのであり、それはチームを強くすることには繋がらないということである。

社会(部活外)に於いても同様であると考えます。競争社会という言葉をよく耳にしますが、何よりも会社全体の底上げこそが、会社の利益へと紐付いていくと思います。(まだ社会人ではないから、実際の社会というものをはっきりと理解してはいませんが、、、)

少なくとも、部活、部活外、社会生活を含めすべての生活内において、主体性を持って行動をし、主張することが大切であると思います。

主体性とは、人が常日頃から持つべきものであり、脇役など関係なく自分の考えを持つことの他に、

部活であれば、学校の名を、

会社であれば、会社の名を背負って、

チームのために責任持って行動することだと、短い期間の大学部活動ではあったが、学ぶことができました。

皆さんも主体性に限らず、では「主体的」との違いは何かなど、言葉の解釈を自分なりに考えてみてはいかがでしょうか。

また内容がはっきりしない、終わりも中途半端なグダグダ記事となってしまいましたが、読んでくださりありがとうございました。記事をたくさん書いて、自分の能力も伸ばそうと、努力していきたいと思いますので、宜しくお願いします。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?