面白いけど、好きではない。

最終回の1話前は特に興奮した。
これまでやってきたことが、必ずしも目指していた完璧な形ではないとはいえ、報われたからだ。

初めのうち、主人公だけが持つ強い意志は多くの他者にとって異物でしかなかったのだが、それに絆(ほだ)された人たちが気づけば仲間となり、フォローアップをしあうことで、ようやく事態は帰結したのだ。私もその熱意にあてられたうちの1人であることは間違いない。村人Aの立場と大差はないが、影ながら遠くで応援していたうちの1人だ。

たとえ私がその「応援」を持ってして主人公の仲間であるなどと吹聴したとしても、主人公である彼は私のことを認めてくれるだろう。そういう器のデカさが彼にはあったのだ。

創作物において、主人公補正はさほど気にならない。というのは、主人公に補正がかかっているのではなく、何かに秀でていた者の記録が後世まで語り継がれ、結果として私の手元にまで伝わってきたと考えれば納得ができるからだ。無論、あまりにも受け入れがたい話もあるにはあるが。

さて、大団円だ。
物語のクライマックスは、最終回より少し前にあることが多い。と、私は思っている。だから、最終回は話の整理と取りこぼしの回収に尽きることが多い。と、私は思っている。あまり物語を読み聞きしてきたとはいえないから、自信はないのだが。

主人公の不器用すぎる真っ直ぐさは、時として道理をも無視した。歪みの生じた世界を、誰にもどうすることもできなかった世界を、正面突破でぶった切る彼のやり方には、爽快感を覚えた。それは多分、物語内の人物たちも同じだ。だから彼に賛同し、協力したのだろう。人はわかりやすいものが割と好きなのだ。

非常に面白い作品だった。今、街へ出て知人と遭遇しようものなら、面白かったと言いたくなるはずだ。興奮冷めやらぬとはまさにこのこと。

とはいえ、胸につっかえた何かがある。主人公が持つ呆れるくらいの純粋さは、世界をクリーンにし、再構築するための礎を作り上げた。そうして誰もが満足気な顔をしていた。エンディングテーマ曲でさえ、そう歌っていた。

はたして私はどうだろうか。鏡を観る。スッキリはしているが、満足気ではなさそうだ。はたまた生まれもった顔つきがそうさせているだけなのか。

たしかに、主人公によってもたらされた平穏は素晴らしいと思う。それに、数々の仲間に恵まれていることと、その立場にふさわしい人間性も素敵である。

はじめ、私はただ主人公に嫉妬しているのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。あるいは、こんなこと現実にはありえないと見放しているのか。ただ、だとしたら、面白いと感じるだろうか。あるいは、どんなものからでも面白さを発見できるというアイデンティティが欲しいがために、あえて面白いと言い放つ、余裕をぶった態度を取っているだけなのだろうか。そう言われると反証しきれないのだが、なんとなくこれも違う気がする。

この作品が好きかと問われたら、多分そうでもない。もちろん、面白かったと言える自信はある。どこが面白かったのかを説明することができる。どの場面の誰の台詞回しが、その際の演出やトリックが、それらが巧妙に合わさっているのがとても面白いと思った。などと説明しようとすればするほど、この作品の面白さは表現できるし、私自身がが面白いと感じていることについても表明できる。

だが、この作品が好きかどうかと問われると、「好き」とか「嫌い」とかの数文字で表現することはできなくなる。私はこの作品が好きではないのだ。嫌いということでもないのだが。

面白いと感じたことは間違いない。一方で、面白くない部分も多々あった。要するに、腑に落ちなかった部分をすべて受け入れられるほどの魅力は感じられなかった、ということだろう。

それらをまとめて「面白くない」とひと言で切り捨ててしまうにはあまりにもったいない作品だったのだ。良品、とでも言えばいいのだろうが、どうも偉そうな口ぶりに聞こえてしまって、ばつが悪い。

最初から何もかもが面白いと思えない作品であれば、そもそも最後まで観終えることなどできなかっただろう。一方で、違和感を抱えながらも終焉を見届け、自身の興奮を説明することはできる。

この曖昧な状態を表現するとしたら「面白いけど、好きではない」なのだ。

何がこうも納得できていないのだろうか。
頭にこびりついたモヤモヤを、主人公ならどうぶった切ってくれただろうか。もちろん、創作物の世界は創作物の世界であって、いま私が生きている世界とは異なる。常識や価値観が違うのだから、違和感が残って当然なのだ。などと割り切って納得をしてしまえるのであれば、初めから物語など見たりしないはずだ。一体私は、何を好ましく思えていないのだろうか。

要するに、私は彼に憧れていなかったのだ。
彼を主人公たらしめる要素はたくさんあり、それは彼に対して敬意を持つだけの十分な理由となった。ものすごく単純に言うとすれば、「本当にすごいしカッコいい」と感じているのだ。

だが、だからこそなのかもしれない。
私は私であって、彼は彼なのだ。彼のような人間でありたいとは劇中何度も思った。が、同時に、彼のようにはなれないことも知っていた。

あのような真っ直ぐさはあいにく持ち合わせていないし、仮に不器用さが共通項であったとしても、それを補って余りあるほどの純粋さは、残念ながら彼のようには身につけていない。
正面突破などとても恐ろしいし、不器用なりに逃げ回り、通りやすい道を探し続けるような生き方をしているし、それを良くないことだとも思っていない。

もし彼が現実世界にいたら、あるいは、もし私が彼の世界にいたら、また違ったのだろうか。それはわからない。
ただ、ひとりの人間として彼を見ていると、敬意はあるが仲間になれる気はしないのだ。

物語というのは、そのほとんどが人間の話である。
であれば、こちらの世界と同じように、キャラクターを私と対等な存在として見ていいはずだ。

この作品は面白かった。だが、彼のようになりたいか、彼らのような世界にいたいかというと、そうは思わない。

とても魅力的で面白いのだが、好きではないし、憧れないのだ。






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