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エッチなサイトを見ていたことが親にばれた

当時中学生の僕は、夜な夜なエッチなサイトを見ていた。
そのために生きていたといっても過言ではない。男諸君ならわかってくれると思う。誰しもそういう時期はある。
エッチなサイトを見ている僕には怖いものなんてなかった。性欲という勇者の剣を片手にどんどんとインターネットの森の奥地へと足を踏み込んでいった。そんな僕のパソコンがウイルスに感染するのは時間の問題だった。

「今すぐ8万8千円を指定の口座に振り込んでください!!」
「残り時間48時間!!!!!!!!!」

この表示がデスクトップから消えなくなった。

今見ると、ばかばかしい類のウイルスだ。しかし、当時の僕からすればこの世の終わりだった。

数分前まであんなに楽しかった時間が一変する。
減っていく残り時間。あせる僕。

「このまま放っておくか、、?それとも恥を忍んで親に言うのか、、?」

人生で最も難しい決断だった。
さっきまで、下半身を巡っていた血液はすべて脳へと向けられ、人生最高速のスピードで頭をフル回転させて考えた。「ガリレオ」のテーマソングが後ろで流れていても不思議ではなかっただろう。

そんな頭切れきれの僕はウイルスの脅しのメッセージの下に小さく書かれたこの表示を見逃がさなかった。

「あなたのIPアドレスはXX:XX:XX:XXです。」

幸か不幸か、先週僕は学校でIPアドレスについて教えてもらったばかりだった。優等生の僕は当然先生の話をしっかり聞いていた。たしか先生はこう言っていた。

「IPアドレスはインターネットの住所みたいなものですよ。」

それを思い出した瞬間、僕は負けを悟った。

終わった。住所を特定されている。きっと48時間後には闇金ウシジマくんみたいな怖い人たちが僕の家のところへやってくるに違いない。そうなる前に大人の力を借りよう。

こうして、僕は親にエッチなサイトを見ていたことを告白した。



当時の僕に言ってあげたい。「ほっとけ」と。
結局、その言葉は相談した父親に言われたのだけど。
その言葉の後でさえも、当時の僕はその後1週間くらいは、いつかやってくるかもしれないウシジマくんにびくびくしていた。

誰が読んでもわかる。これは僕の「失敗談」だ。
当時の僕は本当に死にたいと思っていた。今思うとどうしようもないほどばかばかしいことなのに。「十年後くらいに、その話を人に面白おかしく話してるよ」と言っても絶対信じてくれないだろう。

もし、僕の「失敗談」を読んで、少しでもクスリと笑っていただけたのなら、本当に嬉しく思う。
僕の過去の「失敗」は今の僕の微笑ましい話のネタになったのだから。

自分の人生を思い返してみると、昔の失敗は今となってはほとんどが「いい思い出」や「いい教訓」になってしまった。過ぎ去ってしまえば、いつの間にか辛さも消え失せている。いくら時間がたっても起こった出来事は何一つ変わらないはずなのに。

もしかして、「失敗」はそんなに悪いことじゃないのかもしれない。「上司にめちゃめちゃ怒られた」「彼女にこっぴどく振られた」など、たしかに「失敗」は今この瞬間は辛い。でも、「失敗」はいつか必ず「いい思い出」や「いい教訓」に変わる。「失敗」の価値は失敗したこの瞬間が最低値で、あとはひたすら上がり続けていくだけだ。

だったら、「失敗」してもそんなに落ち込まなくていい。むしろどんどん「失敗」して面白エピソードをため込んでおこう。その「失敗談」がいつか人を笑わせ、そして人の心を動かすのだから。

思えば、成功している人のスピーチって絶対過去の失敗談を語ってない?失敗談は人の共感を呼びやすいのだ。「この人でもこんな失敗するんだ」って。じゃあ僕も失敗してよかった。5年後、10年後、偉くなった未来の自分に、今の失敗談を偉そうに語ってもらおう。

「この人でもエッチなサイトを見ていたことが親にばれたことあるんだ」って。


参考:


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