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36年ぶりに劇場でナウシカを見たら洪水のようにいろいろあふれてきた

先日「風の谷のナウシカ」を映画館に見に行った。

「ナウシカ」はもう数え切れないくらい見てきた映画なんだけど、
劇場で見たのは公開された時以来だった。

つまり36年ぶりの劇場「ナウシカ」。

映画館で見たことで、過去の記憶やら何やら、
突然色んなものがあふれてきた。

映画館で見るというのはやはり特別な体験なのだなと思った。
何度も見たはずの映画なのに、テレビで見るのとは全く別物の体験だった。
というわけで今回はあふれてきた思いの雑多な書き起こしだ。

ざっと以下のようなこと。

●ナウシカと最後のおもらし

「ナウシカ」が公開されたのは1984年3月だ。
1984年、村西とおるがAV監督としてデビューしたことで有名な年。
ぼくは小学4年生から5年生に上がろうとしていた。
つまり村西とおるの存在はこの時点では知らなかった。
知るのはもう少しだけ先の話だ。
この頃ぼくが夢中だったのはアニメだった。
アニメ好きへの扉を開けようとしていた頃だった。

当時一番好きだったアニメは、「装甲騎兵ボトムズ」だった。
1983年4月〜84年3月まで放送されたロボットアニメ。
ハーボイルドな世界感と、およそ主人公らしくない無口で、
無表情な男が主人公の大人っぽいアニメだった。

この作品でぼくは初めてアニメをアニメーターで見る面白さを知った。
同じアニメでも回によってアニメーターが違うと
作品のクオリティが全然ちがうということを知ったのだ。

初めて好きになったのは谷口守泰というアニメーター。
アニメアールという作画スタジオを作った人で、
ボトムズでは作画監督を担当した。
毎回ではなく何話かごとに担当しているのだけど、
この人が作画監督する回は、メカの挙動がエレガントで美しかった。
主人公のアゴをめちゃくちゃとがって描くクセがあったので、
とがったあごの主人公が出てくると「アゴーーー!!!」って盛り上がっていた。
そしてエンドクレジットを確認して「やっぱり谷口さんだ!」
って答え合わせするのが当時の楽しみだった。

そんなボトムズが終盤にさしかかって放送終了しようとしている時期に、
「風の谷のナウシカ」は公開された。

ナウシカは3月11日(日曜)の公開。
ぼくが見たのはその1週間くらいあとだ。

正確な日付は覚えてないけど、
「風の谷のナウシカ」を見る直前に、
テレビの水曜ロードショーで
「ルパン三世カリオストロの城」を見た記憶があるので、
初日より後だったのは確かだ。

「カリオストロの城」がテレビ放映されたのが3月14日だった。
「ナウシカ」の宣伝のためにゲストで宮崎駿が来ていた。
ぼくはこのとき初めて「カリオストロの城」を見た。
前々から雑誌などを読んで存在だけは知っていたけど、
当時はビデオもなかったので見るすべがなかった幻の作品だった。
とんでもない衝撃だった。
こんな面白いものが世の中にあるのか!?という面白さだった。
そんな宮崎駿の新作が「ナウシカ」だ。
見る前から大変な期待でふくれあがっていた。

一緒に見に行ったのは父親だった。
両親はぼくが幼い頃に離婚していたので、
父親はたまに映画を一緒に見に行く
よく知らないおじさん的な存在だった。
アニメだと「ガンダム」の劇場三部作、
「クラッシャージョウ」「幻魔大戦」あたりは父親と見に行った。
大体アニメと洋画と交互に見に行く感じだったと思う。

ナウシカを見たのは渋谷東急だった。
平日の夕方の回だった。
渋谷駅の東横線の改札で待ち合わせをしていた。
ただ、待てど待てども父が来ない。
携帯電話はもちろんない時代だし、連絡のとりようもなく、
行き違いになるのが怖くてトイレにも行けず、
おしっこを我慢しながらひたすらそこで父を待ち続けた。
相当な時間待ったはずだ。
仕事で遅くなった父が現れた時には、
ほっとして思わずその場でもらしてしまった。
小学4年の終わりのこれがこれまでの人生で最後のおもらしだ。

急きょパンツとズボンを買ってもらい
着替えてから映画館に向かうことになった。

入場したのは途中からだった。
同時上映の「名探偵ホームズ」の途中からだった。
このときはTVアニメとして放映されていた
名探偵ホームズの宮崎駿の監督作が2本同時上映されていた。

「ナウシカ」はきちんと見ることができた。
どこまできちんと内容がわかったかは定かではないが、
とんでもなく感動したことは覚えている。

でも「ホームズ」は全部見れなかった。
時間的に2度目は見れなかったのだと思う。
これが心残りで仕方なかった。
なので春休みにこっそり一人でもう一回ナウシカを見に行った。
これが人生で初のひとり映画だった。

小学4年生の終わりに、
最後のおもらしと、最初の一人映画がセットになった。
それがぼくにとっての「ナウシカ」体験だった。
今回劇場で見て、一気にその時の思い出がフラッシュバックした。

●罪悪感とメーヴェの記憶

見ていてもうひとつ思い出したのが、
同じ年の4月に「第6回アニメグランプリ」に行った記憶だ。

「アニメグランプリ」はアニメ雑誌「アニメージュ」が主宰していた
毎年のアニメの賞を決めるイベントだった。
授賞式とライブイベントがセットになった大がかりなイベントで、
会場は武道館だった。
この年は三ツ矢雄二がクリーミーマミの「デリケートに好きして」を歌ったり、
戸田恵子がザブングルの挿入歌「HEY YOU」を歌ったり、
なかなか豪華でぶっ飛んだイベントだった。

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公開から間もなかったので、
グランプリの候補作にナウシカはノミネートはされてなかったのだけど、
ナウシカのステージタイムがあって、
島本須美(ナウシカ)と榊原良子(クシャナ)が
公開アテレコをする場面があった。
それを映画を見ていて突然思い出した。

ナウシカ「あなたは何をおびえているの?まるで迷子のキツネリスのように」
クシャナ「なに?」
ナウシカ「怖がらないで。私は、ただあなたに自分の国へ帰ってもらいたいだけ」

このシーン。ガンシップで腐海に不時着したところ。
見ていて、鮮明に当時の記憶がよみがえった。
ステージの様子まで思い出した。

この頃、お小遣いは総動員でアニメグッズに使っていたのだけど、
アニメグランプリの会場では見たことのないナウシカのグッズを売っていて、
迷子になった時の予備のお金として渡されていた
「使ってはいけないお金」を全部グッズに使ってしまった。
たぶん1万円くらい渡されていたのだと思う。
それでこっぴどく怒られて、
その後アニメイベントに行くことを禁止された。

買った中で覚えているのはペーパークラフトのメーヴェのオモチャで、
再現度は低いんだけどよく飛ぶ設計になっていて、
団地の前の広場でよく飛ばしていた。
だけどこのメーヴェを見る度に罪悪感がよみがえってきて、
悲しい気持ちになるグッズだった。
中学生くらいまでは持っていたはずだけど、
たぶん引っ越すときになくした。

今回ナウシカを見終わって、最初にしたことは、
メーヴェのグッズを探すことだった。

あの時のペーパークラフトは見つからなかったけど、
フル可動のメーヴェのフィギュアを見つけた。
ちょっと高かったけど即買いしてしまった。
36年前に団地の広場で悲しい気持ちで遊んでいた自分への供養のようなものだ。


●究極の農法映画との共通点

当時から何度も見てるナウシカだけど、
今回改めて見て、驚くほど今日的なテーマを描いていてびっくりした。

少し前に劇場で「ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方」
という映画を見た。

ずっと休業していた映画館が再開して最初に見に行ったのがこの映画だった。

この映画はアメリカのある夫婦が“究極の農場”を作るドキュメンタリーだ。

自然の循環を使った農法をゼロから作り上げる8年間の記録。
これがえらく大変な道のりで、トラブルが頻発する。
害虫が湧く、植物がダメになる、害獣が出る、家畜がやられる、
水害が起きる、山火事が起きる、もう災難だらけ。
そうして何か問題が起きたときに人が手を加えて対処すると、
一時はそれが沈静化するんだけど、別の所でもっと大きな問題が起きる。
ようするに何かすると悪循環が生まれるのだ。
そこで夫婦は対処するのをやめて、ただ観察することにする。
すると害だと思っていたことが実は別の機能を果たして、
他のところで別の不具合を補っていたことに気づく。
ようするに世界は循環していて、手を加えるよりも、
自然にゆだねる方が時間はかかるけどゆっくり循環していくのだ。
そうした自然の力を利用した農場の話。
人にとっての害悪が、自然にとっての害悪ではないということだ。

ナウシカを見ていて、思い出したのはこの映画のことだった。
まさに腐海ではないか。
一見すると人にとっての害悪だけど、
それが実は世界を循環させる機能を持っているという。

ナウシカが腐海を再現して実験していたあの部屋は、
「ビッグ・リトル・ファーム」に出てきた自然農法のような世界だ。
「ナウシカ」は36年も前にそのことを娯楽映画の中で描いていた。
改めてすごい映画だ。

すごく小さな話なのだけど、
最近自分の身体でこれに通じるような体験をした。

ちょっと前から生まれてはじめて、肩こり、
いや正確にいうと「首こり」になってしまった。

座り仕事っぱなしで1日10時間以上PCに向きあってる生活で、
いままで肩こりと無縁だったのが奇跡のような話だったのかもしれないけど、
「ついに来たか」という感じで、ものすごい精神的ダメージだった。

朝、起きたときに首が痛かったので、
最初は寝違いかと思ったのだけど、1週間以上経っても治らなかった。
あまりにも痛いので、もんだり、たたいたりして、ほぐしてみた。
生まれてはじめて肩たたきを気持ちいいと感じた。
首や肩をほぐすとその時はラクになるのだけど、
翌日の朝には痛みが少しひどくなっている気がした。
これを繰り返していくうちに
今度は肩までこりが出てくるようになった。
長時間座って仕事ができなくなって集中力も落ちた。

これは困った。何せ仕事は激務で、締め切りは待ってはくれない。

どうにかしようにもどうすることもできないので、
とりあえず2日間、肩や首を触るのを徹底的に我慢して放置してみることにした。
座り仕事の合間に2時間に1回くらい伸びをしたり、
首を少し動かしたり、ストレッチを挟むようにした。
3日目の朝、起きたときに少しだけ痛みが引いていた。

まだ痛みは続いているのでしばらくこのまま放置を続けようと思う。
痛みに対処するのではなく共存してみようと。
この痛みに意味があるのかは知らないが、ストレッチをする習慣ができた。
ショボい話ではあるんだけど、これも自然の循環に通じる話だなと思った。
ま、早く医者に行けって話でもあるんですけどね。

●ぼくの脳内ファンタジー世界のルーツだった

今回ナウシカを見ていて感じたのは、
思った以上にファンタジーな世界感だなということだった。
なんだか子ども頃からこがれていた
ファンタジー世界の原点がここにあるような気がした。

それで気がついたのはデザインがドラクエ2だなということだった。
「ドラクエ2」「ドラゴンクエスト」の2作目。
ファミコンで1987年に発売されたソフトだ。

ナウシカが最後に着ている青き衣の紋章はロトの紋章そっくりだし、
ペジテの女性の衣装はムーンブルクの王女の服によく似ている。

ドラクエ2のデザインはここから引用されているのか?
もしかしてすごい発見をしたでのは!?
と思ってネット検索してみたら意外に有名な話だったみたい。
鳥山明はアニメがあまり好きでないが、
風の谷のナウシカは14回も見たらしい。
そしてドラクエ2のデザインに影響を与えたようだ。
出典が不明なので真偽のほどはわからないけど、
多少なりとも影響は受けてはいるのだろう。

ドラクエは日本にファンタジーの世界を広めた
最初のきっかけの作品だったと思う。
少なくともぼくのファンタジーの入り口はドラクエだった。
同じ頃に登場した「ファイナルファンタジー」も
飛空艇の存在とかやはり宮崎駿作品に影響された世界感の
ファンタジーRPGだった。

ぼくのファンタジーの基礎イメージはほぼこの2作の上に成り立っている。

だからなのだろう、ナウシカを見ていて、
なつかしいファンタジーRPGの世界にひたっているような気分になった。

中学生の頃、ドット絵のファンタジー世界を
脳内で補完して空想していたファンタジー世界。
あの世界のベースは宮崎駿的な世界感だったんだなと思った。
懐かしさに包まれて、思わず「ただいま」と言いたい気分になった。

36年ぶりに、ナウシカを見て自分の中からあふれ出してきたのは、
こんなことだった。

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