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就職前日に見た忘れられないテレビドラマのこと

25年くらい前に一度見ただけなのに、
忘れられないドラマがある。

「劇的紀行 深夜特急」というドラマ。

原作は沢木耕太郎による旅行記で、
当時は旅に出る若者たちのバイブル的存在だった。

わたしも学生時代に原作本を読んで見事に影響を受けた。
「深夜特急」に憧れて、
バックパックをかついでアジア旅行に出かけたりもした。

そのドラマ版はドラマと言っても半分ドキュメンタリーのような作りで、
大沢たかおが原作で沢木の旅した道のりを
同じようにバックパックを背負って辿っていくっていう作りだった。

忘れられないのはパート2にあたる
「第二便 西へ!ユーラシア編」という回で、
ネパールから始まりインド、パキスタン、アフガニスタンと巡っていく話だ。

この第二便だけ強烈に記憶に残っているのには理由がある。

この第二便が放送された翌日、わたしは就職した。
自由な時間を過ごせる最後の日に、このドラマを見たのだ。

放映されたのは1997年7月3日、木曜だったらしい。
翌日の7月4日が初出社の日だった。

大学を卒業して一年半くらい経ったときだった。
就職氷河期で就活は諦めて、
卒業してからはフリーランスでやっていこうと決めて、
初めての本のデザインをやり遂げた直後のことだ。

その時の話はここに書いた。

はじめてデザインした本を入稿して、その本が完成するのを待つ間に、
たまたま新聞社で書籍を作る部署で働かないか?という誘いを受けた。

かなりキツイ職場環境で、人がいつかないらしく、
つい最近も1人編集者がいなくなり、
パソコンが使えてすぐ働いてくれる人なら誰でもいいとか、
そういう話だった。

はっきり言ってみじんも魅力的な話ではない。

デザイナーとしての仕事の展望はほとんどゼロに等しかったけど、
フリーランスとしては最初の一歩を踏み出したばかりで、
これから何かワクワクすることが始まりそうな予感がしていた。

なんでわざわざ暗い未来を選ばにゃならんのだ!?

「一度くらい大きな会社に勤めてみるのは良い経験になるよ」
周囲の大人達はだいたいそういって勧めてきた。

でも正直なところ就職することには全然乗り気じゃなかった。

ただ、友人の「いいじゃん!新聞社!美味しんぼだ!」
この一言にはちょっぴり心動かされた。

当時、美味しんぼの主人公山岡士郎のような働く人に憧れていた。
新聞社勤務で、ぐーたら社員で、会社で昼寝してギャンブルして、
飲んだくれて、でもやることはそれなりにやるみたいな、そんな生き方。
ああ、そうか、新聞社に行けば山岡さんになれるかもしれないのか。

そのくらいの理由でひとまず働く事を決めて返事をした。

すぐに来て欲しいというので返事した数日後が初出社だったはずだ。
そう決めた直後に見たのがこのドラマ「深夜特急」だった。

原作者の沢木耕太郎は、もともと銀行への就職が決まっていたが、
入社初日に退職して作家になった人だ。
そのエピソードは「深夜特急」にも出てくる。

なぜたった1日で会社を辞めてしまったのか。<中略>丸の内のオフィス街に向かって、東京駅から中央郵便局に向かう信号を、傘をさし黙々と歩むサラリーマンの流れに身を任せて渡っているうちに、やはり会社に入るのはやめようと思ったのだ、と。

そして「深夜特急」に書かれている一人旅に出ることになる。

一人旅、それはすなわち、徹底して労働から解放された状態だ。
食べて、寝て、移動するだけの「自由」な時間だ。

旅にこそ出てはいないけど、この時のわたしのおかれている状況も、
ほぼその自由さの中にあった。
好きな時に起きて、好きな事をして、行き先がどこなのかはわからないけど、
フリーの仕事を始めて、いわゆる「自由」のまっただなかにいた。

どこかに勤めるってことは、その自由を手放すということだ。

このドラマがこのタイミングで放送されたことは、
「就職はやめておけ」というメッセージなんじゃないか。
そんな気がした。

入社初日にやめる。それもいいな。
そんな考えが頭をよぎる。

進むべき道は、沢木耕太郎か、山岡士郎か…
悶々と考え続けた。
そして一睡もできないまま会社へ向かった。

結局、駅直結の会社に行く途中には引き返すきっかけになる信号機もなく、
そのまま入社して働く事になった。

つまり自由を手放したということだ。

その時の気持ちはなんとなく消化できなかったものとして覚えている。
敗北感に近い感覚だ。

ただ、そこで理想を求める手もある。
つまり憧れの山岡士郎になる道だ。

よし、山岡さんになるぞ!そう決意を固めた入社初日だった。

ま、もちろん実際はそんな甘っちょろいもんじゃなくて、
壮絶な毎日が始まるわけだけど…

とにかく学生時代の延長のような数ヶ月の猶予期間、
モラトリアム最後の日に、
このドラマを見たってことがなんだかすごく忘れられない。
自由な時間への訣別のための儀式として用意されていたような気もする。

25年ほど経って、改めてDVDを買ってドラマを見直して、
当時の何とも言えない複雑な気分を思い出した。
井上陽水の主題歌が染みる…


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