飯田正人さんの話・3

タイトル戦決勝の「投了」とは

以前、「はこパラ」という、マージャンに特化したSNSがありました。
ちなみに私も、2006年~2012年まで利用させて頂きました。
そこで書いた日記のお話です。
日記の内容は、タイトル戦決勝オーラスにおける「トータル4位による、トータル4位が変わらずのアガリ」の考察みたいなもの。
ちなみに書いたのは2010年の事。もう10年経つんですね~。

これは私の実体験でもありまして。
その時、私はトータル2位で、
トータル首位から役満を直撃
が優勝条件でした。

残り2巡、私の手牌は四暗刻単騎のリャンシャンテン。
こんなの成就するわけないと思いながら、一応目指しはしました。

そこで、トータル4位の人が、「タンピン三色ドラ1ツモ」のハネ満アガリで締めくくったわけです。
ちなみに、この半荘自体はその人がトップになりました。

その時の正直な感想としては、
元々、ほぼ勝負はついていたから、きれいな最終形のアガリで終わって、まぁ仕方ないかな
という程度だったんですね。
ところが、そのアガリに対する否定の声が、私が予想した以上に多かったんですよね。
現在なら、どのくらいの賛否の比率になるのでしょうね。
個人的には少し気になるところなのですが、今回は本題ではないので、また別の機会にでも。

で、その日記に対するコメントを、いくつか貰ったわけですよ。
その中に、飯田正人さんのコメントがありました。
実は飯田さんも、はこパラやっていたんですよね。

飯田さんは、2004年の最高位決定戦において、最終戦のオーラスに、
「自らのアガリでトータル4位を確定させて終局」
した事がありました。

その時の逆転条件は、
トータル2位の人は、役満直撃
トータル3位の人はラス親なので、ひたすら連荘(あと20万点くらい稼がなくてはいけない)。
トータル4位だった飯田さんの優勝条件は、なし

ちなみにその時の出来事も、私の日記に引用したんですね。
それを受けた、飯田さんのコメント(原文のまま)です。

私の所謂『アガラス』について説明すると、最終半チャンのオーラス、親の村上プロが先行リ-チ、私は完全なベタオリ体勢。向かう気力もないし、意味もない。
ところが、その内に役無しテンパイが入ってしまった。一巡だけ 、一瞬だけのテンパイ。
この瞬間私は考えた。
次のツモでアガリならアガってしまおう。勝負の体勢は決まっている。ここでアガラない方が逆におかしいのではないか?勝負をゆがめることになるのではないか?
そう考えて私はトータル四位ではあるがアガったのです。悔いはありません。

実は、その年の最高位決定戦最終日、私も観戦していました。
その時の飯田さんの「どうしていいものかと言いたげな困った表情で、一瞬戸惑いながらの「ツモ」の所作が、私には強く印象に残りました。

その出来事から、およそ6年後。
飯田さんから、その時の心境を聞き出せた事が、私にとっては凄く嬉しかったですね。
私が書いたこんな日記に対しても、丁寧にコメントをくれた飯田さんの真摯さが伝わってきました。

飯田さんとのお別れ

2011年から体調の不良が伝えられた飯田さん。
そして2012年の5月18日未明、天国へと旅立ちました。享年63歳。
早いもので、あれからもう8年経つんですね。

その1ヶ月後。
飯田さんにとって思い出深い場所でもある、池袋でお別れ会が開かれました。
若き日の飯田さんが脱サラして、マネージャーとして働き始めたマージャン店が、池袋にあった「ハッピー」。
その後、立教大学の近くに「リツ」というマージャン店を、長年に渡り経営していたのです。

リツを閉めた後は、主に「マーチャオ」のゲストプロとして、お客様に卓上を通じて「マージャンプロの強さ」だけでなく、「マージャンの楽しさ」も伝えていました。
もちろん、池袋店にもよくいらっしゃいました。

リーグ戦を休場した後も、亡くなる数ヶ月前までマーチャオのゲストプロとしての仕事をしており、一見元気そうな仕事ぶりを見たファンや後輩選手からは、飯田さんのリーグ戦復帰を願う声もたくさんありました。
それを聞いた飯田さんは、
お店なら代走を頼めるけど、競技マージャンは代走を頼めないからね
と、苦笑いをしながら話していたそうです。

もうリーグ戦に復帰できそうにない体調にもかかわらず、最期までマージャンで生きていたかったのだと思います。
簡単に言いますが、なかなか出来ないですよね。

マージャンに対して溢れんばかりの愛情を持っていた、飯田さんだったからこそ、その日のお別れ会に、多くの人が集まったのでしょう。
今頃、天国では誰と打ってるんだろうな~。

飯田さんが亡くなった後にデビューした選手、競技の世界に興味をもった人が、どんどん増えてきています。
「そういった方々にこういう昔話を伝えるのが、私のようなオッサン選手の役割なのかな」と、数年前から思うようになりました。

また何か思い出したら書くかもしれません。
飯田さんと関わっていた方々のために。
飯田さんを知らない若い方々のために。
そして、飯田さんのために

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