見出し画像

写真の意味 ざっくり芸術写真-その①

自分の中で写真史を整理しています。その作業の一環です。ざっくり写真史を振り返ります。

深すぎるテーマなので、まったり何回か分けていきます。私の中でも完結していないため何回で終わるかは謎です。


写真を撮る意味はカメラもとい写真機をもつ人ならみんな考えることでしょう。芸術的観点から見た写真は特に顕著です。

歴史上の偉人たちも良く悩んでおられました。

現代的思想に近いものが生まれたのはやはりボードレール「1859年のサロン」。よく引用されると思います。(近年、悪の華で一気に知名度が上がりましたね。)

時代はカロタイプが生まれた程度の頃でしょうが、もう既に写真が台頭して絵画での肖像記録の意味がなくなりつつあった時代だったわけです。ましてや、ファインアートとして描かれた絵画でさえもその立ち位置が危ぶまれていたとのこと。(カロタイプの時代で、非常にクオリティの低い複製ができるようになりました。ネガの概念が生まれます。)

「もしも写真が、芸術の諸機能のいくつかにおいて芸術の代行を果すことを許されるならば、写真は間もなく芸術の地位を奪ってしまっているか、芸術を完全に堕落させてしまっていることでしょう、それが群衆の愚昧の裡に見出すであろう自然なる同盟のおかげをもって。」(「1859年のサロン」ボードレール)

なんとなく意味はわかりますね。延々とこれに付随する事が書いてあるかなり難しい文章群なんですが、150年ほど前の時点で私達が日々ぶつかっている写真と絵の違いについてかなり深く鋭い視点で考察されていた事がわかります。ボードレールが指摘した「芸術の地位を奪う」は現在、ほとんど世間のスタンダードになってしまいネイティブにこの感情を持つ人間はこの世界にはいません。

この後、写真機のサイズはどんどんと小さくなっていき彼の言う通り芸術写真が繁茂。この傾向を主にピクトリアリスムと表現します。絵画にあった所謂フォトリアリズムの位置関係はよくわからない感じに。写実技術のアイデンティティが消失してしまいました。

画像2

きれいですねー。19世紀末。僕のたまに見返す作家さんLeonard Misonneの写真です。紹介しているサイトがあります。https://buzzap.jp/news/20170911-leonard-misonne-pictrialism/

ちょうどボードレールが警鐘を鳴らしていた通りの作品です。

しかし、ボードレール自身はそこまで写真には否定的では無かったのかも知れません。彼の肖像は写真で残っているのですから。

画像1

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これはまだいわゆるフィルムのネガの生まれる前の話。今みなさんが思い浮かべるフィルム写真では無いのです。ネガの持つ特徴は主に複製と言っていいでしょう。すこし語弊がありますが。複製、コピーによって写真の持つ意味合いは目まぐるしく変化します。

次はピクトリアリスムの衰退からです。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

4
デザイナー、写真家、イラストレーター。TAUと略される美大に通うデザイン専攻の学生です。写真表現とデザインの新時代を見つめていきたい。自分の住む街の記録が今の所のライフワーク。https://twitter.com/shimkarom_photo