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5.23 センチメンタル期~ビジャフランカ・デル・ビエルソ

サンティアゴ巡礼27日目、今日はビジャフランカ・デル・ビエルソという谷間の町に来ている。

しかし毎日見たことも聞いたこともない町に着いて宿を探し、そこで寝るという生活は刺激的で、そんな暮らしも早4週間、いよいよゴールまで200キロを切って野球で例えると7回裏の攻撃くらい、この調子で行くとこの旅もあと1週間程度で終了の予定――と、ここまで書いてしらじらしく「えええええ~!」と驚いてみる。この前ピレネーを越えて旅をスタートさせたばかりだと思っていたのに、いつのまにか1ヶ月近く経過。今のペースでいくとちょうど5月末日頃に聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラに着いてしまう。

「いやだいやだ~」「行きたくない~」とさんざん駄々をこね、はじまったらはじまったで「わあすごい!」「まあ素敵!」と無邪気に感動し、「足が痛い~」「マメができた~」など泣き言を言いながらもぐいぐい歩き続け、気が付けば600キロ走破。おまけにたいしたトラブルもなくここまで来てしまった。

え、俺このまま完走しちゃうの? 感動的エピソードとか残念すぎるやらかしとか全然ないけど、このままアッサリと「大成功でした~」みたいなことで終わってしまっていいの?――って人が文章書いてるのにさっきから俺の横でずーーーっとしゃべってるイタリア人うるさいなぁ!!!(いま宿の休憩室。基本イタリア人とブラジル人は話が止まらない)

数日前、スペインで出会った日本人巡礼者のLINEグループにメンバーの1人が投稿した。その人は私よりずっと先を進んでいたが、そろそろ終わりが見えてきて寂しいと書いていた。きっと日本に戻ったらカミーノ・ロスに襲われるだろう、と。

私はそれを読んで気が早いなぁと感じていた。まだ200キロ近く残ってるのに帰国後の心配って。それより目の前の風景をエンジョイした方がよくないですか?――と思っていたのだが、いやはや自分も同じ距離になると感傷的になっている。この日々が終わるのが惜しいような気がしている。カミーノを離れたくない? そう、気が付けば私は今の毎日に充実と愛着を覚えはじめているのだ。

楽しいか?と言われたら楽しいとはとても言えない。毎日25キロ近く歩くのはハードだし、身体はかつてなくぼろぼろだ。宿が決まってない日も多く、不安や気苦労は計り知れない。

象徴的なのは朝の時間だ。まだ暗い5時、その少し前から暗闇でゴソゴソと音がしはじめる。早起きの巡礼者が出発の準備をはじめるのだ。私は寝袋の中でその音を聞きながら、まだ起きたくないと思っている。昨日の疲れが取れていない。いつまでもここで寝ていたい。しかし今日は宿の予約が取れてない。公営のアルベルゲ(宿)を狙うなら、早い者順なので早く出発しないとベッドが埋まってしまう……。

「あー、いやだ。また今日も歩くのか……いやだいやだいやだ……」。そんな葛藤に苦しんだ後、一念発起して寝袋をはねのける。結局きちんと起きてしまう。

朝の宿はまるで試合前のボクサーの控室だ。多くの人が足にテープを巻いたりストレッチに励んだりして身体のケアに余念がない。この時期になると足に異常が出てない人などいない。みんな今日の足の状態を見ながら、まだ寝ている人を起こさないよう装備を整える。起床時間前なので声は出さず、目と口の動きだけで挨拶する。グッドモーニング。満身創痍はみんな同じ。同じ距離と同じ痛みの共有感。「また今日も歩くのか……」という憂鬱と「また今日もはじまるか……」という緊張は私が抱えているものと同じに見える。

そして準備を終えた者からドアを開けて出発する。グッドラックという想いを込めて「ブエン・カミーノ」と言葉を掛け合う。寝てる者は眠ったまま、先へ行きたい者は先に発つ。私も準備ができたら「ブエン・カミーノ」と周囲に告げて、早朝の町に踏み出していく。

基本、空はまだ暗い。ルートを示す黄色い矢印を見つけ、それに従って歩きはじめる。頭の中で今日の行程を反芻し、どこで休憩を取ろうか、アップダウンはどうなっているか、天気はどうか、宿はどこから攻めていくか――そうした事柄を整理する。

数十分前まではあれほど寝袋を出るのがイヤだったのに、歩きはじめるとだんだん憂鬱が消えていく。にぎやかな鳥たちの声を聴く。空の色が少しずつ明るくなり、朝焼けにため息をつく。木々の匂いを胸に吸い込む。町が動き出す。人が動き出す。身体があたたまり、血が全身を駆け巡る……今日はどんな景色が見れるだろう、どんなことが起こるだろうと楽しみな気持ちが湧いてくる――。

そんな日々がもう27日。私はいつの間にかこのシンプルでストイックな毎日に安寧を感じている。もっともっと続いてほしいと感じている。

それにしても面白いものだ。旅がはじまって以来、私は「イヤイヤ期」⇒「トキメキ期」⇒「倦怠期」⇒「ガムシャラ期」と来て、いま「センチメンタル期」に入っている。これはそれぞれ私の10代、20代、30代、40代に相当していて、確かに50代の今、私はとてもセンチメンタルになっている。自分の人生が終盤戦に入ったことを自覚して、メロウな気分に浸っている。

だとしたら、ここから心はどう動くのか? 1週間後、サンティアゴ・デ・コンポステーラに辿り着いたとき、何を思うのか? まあ、ここにはいろんな要素が絡んでいるので、そんなに簡単にはいかないだろうが……

って書いてる途中だけど、イタリア人の会話、あれからずーーーーーっと終わらないんだ! 頼むから私を挟んで会話するのやめてくれないかな! 1人離れたから終わったと思ってたら、今度は電話はじめちゃったよ。またその声がデカい。電話でそこまで声張る必要ある? よくそんなに話すことあるなっていうか、その延々と話し続けられる能力と気力には感心を通り越してマジ感動するわ。

あれ、耳を澄まして聞くと、これは……スペイン語? ポルトガル語?

今日のアルベルゲからは以上です!



♪浩司はまだ51だから~。しかし70代夫婦の健脚とかザラにいる。あ、スペインだけにZARAか。 



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