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鬼子母神 立ち上がることを教える

心を許すことと全身全霊を他人に委ねることは違う。友人であっても親ではない。家族であっても夫婦はあくまでも他人だ。受け入れてくれたからすべてをさらけだして、相手に依存してはいけない。

過干渉の結果、どうなったかというと自分の処理を自分でできない大人になり、問題解決が非常に困難で、結果、社会や周囲と摩擦が起き生きるのが苦しい。生きている意味がわからない。
なぜ自己を貶めてしまうのか。

ころんだ子を「痛いね、可哀想だね」とあやしあやされる親子の姿、弁天さんがみせたあのワンシーンにはいろいろな意味が含まれていた。

子供がころんだら、まずは立ち上がることを教える。痛みをおしえる。その痛みは次第に和らいでいくことを教える。
気持ちの切り替え方を教える。

泣き喚くことを対処するだけでは子供は成長できない。

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