2020年月記・師走

 十二月六日。エヴァオンリーのワンフェスが開催された。夏頃開催予定だったイベントが流れに流れた結果の開催だけれど、開催場所も新宿から幕張へと大幅に変更されている。新宿だったらよかったのに。
 オフィシャルではだいたい三十卓くらいの参加がアナウンスされていたものの、いまいちネットで情報が得られない。「エヴァワンフェス」で検索すると、「エヴァワンフェスに(客として)参加予定」というツイートないしはアカウントばかりがヒットする。先月もこんなことがあったぞ。
 ただ、なんとなくだけれど「たいして混雑しない」という直感めいたものがあった。参加ディーラーが三十程度で、しかも人気ディーラー(キットがフィギュアとして一般販売されるクラス)はほぼいない――となると、ガレキを買い求める層よりも「エヴァのイベントを楽しみたい」層のほうが多い可能性がある。
 そんな理由で、十一時頃に到着するように家を出た。案の定、会場内はガラガラだった。見た限り、僕が入ったタイミングで五百人ちょっとくらいの集客だったと思う。エヴァストアでCDを買うと高橋洋子のサインが貰えたのだけれど、限定五十枚にも関わらず当たり前に手に入った。(ただ、六万円するボークスのガレキは売り切れていた)
 イベントの目玉でもある高橋洋子のステージは、五百席が用意されていたらしい。ただ、そもそもの入場者が目測で五百人程度だったので、座席も三百少々しか埋まっていなかった。僕の席は舞台から三十メートルくらいの距離だった。思ったよりも近くである。三十分のステージと発表されていたので「残酷」「ルフラン」「慟哭」の三曲くらいは披露するのだと思っていたら、あにはからんや「残酷」をバージョン違いで二回唄っただけだった。残念至極。ただ、司会のお姉さんが噛み噛みな上にまるで言葉が出てこない瞬間などあって、イベントとしては面白かった。
 メインであるガレキのほうは、かなり悩んだうえで二体だけの購入に留めた。二万円のデカい綾波も欲しかったのだけれど、さすがに高さ三十センチを越すキットは置き場がない。
 イベント後は渋谷まで移動。幕張からだとさすがに移動距離が長い。朝から飲まず食わずだったので空腹も限界に達しつつある。東京駅でホームを移動したときは、構内の飲食店に入りたくてしかたなかった。
 渋谷に到着後、「らぁ麺田じま」に向かう。去年出来たばかりのラーメン屋で、僕はまだ入ったことがないのだ。いざ店に行ってみると、「こんなところにテナントスペースがあったんだ」という印象。都心の繁華街はどこもそうだけれど、以前にどんな店が入っていたのかも思い出せない。
 食券機で「まぜそば」を購入する。超空腹だったのでガッツリ食べたかったのだけれど、大盛りは出来ないらしい。残念至極。

 十二月十日。FGOの劇場アニメを観に行く。まったく宣伝を見かけなかったので、どこかの誰かの「観にいってきた」というツイートを見なければ見逃すところだった。同時に「イマイチだった」というツイートも見てしまう。観る前にテンションが下がることおびただしいけれど、前売り券を買ってしまっているので観にいくよりない。
 いざ本編を観終えると、確かに「イマイチ」という評判も分かる。全体的に展開がもったりしているからだろう。TVアニメの構成をそのまま百分の映画に当て嵌めたような編集になっているので、余計に間延びして感じる。名前すらないキャラクタとろくに会話もないまま長々と旅をするシークェンスは本当に必要だったのだろうか。
 戦闘シーンはよく動いていたのだけれど、いかんせん「よく動くだけ」のアニメはいまの時代、見飽きるほど見ている。ナルト走りで接近して互いの武器で鍔迫り合いに持ち込み(カメラアップ)、弾かれた瞬間(カメラパン)にどちらかがトンボを切って距離を空け、そこから一気に飛び込んでくる――みたいなお約束のアクションには、もうまったく昂奮は感じなくなっている。

 十二月十一日。レイトショーで「魔女がいっぱい」を鑑賞した。原作を読んだのは小学校四年生くらいの頃だったと思う。同級生の菊地君が読書感想文で紹介していたので興味をもったのだ。抜群に面白いジュブナイルだった。ロアルド・ダール特有のかすかな猟奇性が、そろそろ新たな嗜好の扉を開きつつある小学生のハートをずばずばと刺戟したのだ。
 劇場版もまたそれを踏まえていて、ドタバタ活劇の奥にはどこか後ろ暗い英国趣味の嗤いが見え隠れしていた。一見すると品がなくわめき散らしているような魔女も、何故かスペイン語風の巻き舌の発音になっていて、不思議と耳に馴染む。
 最初の三十分でガンガン掴みにくるタイプの作品ではなかったけれど、緩やかなスタートが逆に観客に没入感をもたらしたように思う。このあたりのノウハウはベテラン製作陣ならではなのだろう。

 十二月十二日。年末年始に読むために、積みっぱなしにしていた漫画や小説を掘り起こす。半端に揃えている作品は、このさい買い揃えてしまう勢いだ。それ以外にも新刊で買っている本を合わせると、十二月の書籍購入費は楽に二万円を越えてしまう。とはいえ、外出に伴う浪費がほぼないので、支出そのものの金額は変化していないのかも。

 十二月十七日。「ヱヴァンゲリヲン:序」を鑑賞する。劇場で観るのは十二年ぶり四度目。やはり自宅で観るのと比べると没入感が雲泥の差だ。加えて、「Q」まで鑑賞しているという下地があるので、物語の浸透具合もずいぶん深まっている。如何にも隠喩じみたカットやセリフや各キャラクタの行動原理といったものが、割とするっと飲み込めるようになった。(それでもミサトがくるくるとシンジへの応対を変化させることに違和感はあるんだけど)

 十二月二十三日。「ヱヴァンゲリヲン:破」を鑑賞する。作画から物語展開から、本当に神がかった作品だと思う。冒頭から畳み掛けるアクションシーンに続いて、キャラクタと物語にディテールを加味する日常シーン。そして、思いっきり落とされたシンジが、それでもレイを救済するというカタルシス。総てのシークェンスが完璧に配置されている。こんな編集をやってしまったら、そりゃあ向こう十年くらいはなにも手につかないだろう。

 十二月二十四日。「ヱヴァンゲリヲン:Q」を鑑賞する。極論すると「破」はエンタメに全振りしたような作風だったけれど、「Q」は私的作品としてのクオリティに特化した作品だったと思う。何度も通して観て初めてぼんやりと判明してくるような世界観とか。恐らくはこれから公開される最終章に至るためのブリッジとしての作品という性質もあるのかも知れない。シリーズものの一作品という意味では「STAR WARS・帝国の逆襲」と立ち位置は近いと思う。たぶんだけれど、「Q」は単体での評価を無視しているのではなかろうか。この「Q」という作品の悲壮感があった上で最終章が庵野的カタストロフに殉ずるのか、それとも庵野的カタルシスへと昇華されるのか、今から不安と緊張でいっぱいである。

 十二月二十五日。関係者を通じて東西堂書店さんの終業が十二月三十日であると知る。東西堂書店のかたにお断りして、ツイッター上で情報を出させていただく。

 十二月二十六日。東西堂書店さんに伺う。すでに店頭に「閉店セール」の張り紙がされていて、店内には五人程度の客入り。すでにかなり陳列棚は整理が進んでいて、映像ソフトはそこそこの売れ具合。
 店長さんと少しだけお話ししたのだけれど、在庫のハケ具合によっては年始も営業するかも知れないらしい。どのみちテナントの現状復帰なんかで営業後もしばらくは賃貸契約が続くのだろうし、小規模な小売店ならではの柔軟さである。

 本来ならこの日は覇叉羅のライブだったのだけれど、メンバーに健康上のNGが出たため、公演中止になってしまった。そのため夕方以降の予定は白紙である。とりあえず、神保町から足を伸ばして秋葉原へと向かった。この日が最終開催だったガメラの展示会を覗きに行く。
「特撮のDNA」系列の展示会はいつもカメラ撮影がOKなので、この日もパシャパシャと撮影させてもらった。ギャラリー自体がとても小規模だったので展示数が少なく、見ようによっては絞られた展示になっていたと思う。イリスの足元に転がる「大和煮」とか、ギャラリーの隅に置かれた「ゲド戦記」といったマニア心をくすぐる展示がニクい。そういえば、天井から「札幌交通局」の懐中電灯がぶら下がっていたんだけれど、あれは劇中のどこで使われたものだったのだろう。

 帰宅してツイッターを開くと、友人からDMが届いていた。LUNASEAのコンサートが中止になったとのこと。ライブが中止ってこと自体がそうそう経験しない出来事だというのに、二日続けてである。こんなことは今年だけだと思いたい。

 十二月三十日。今年最後のサバゲである。こんな時期にわざわざ来場するのはそれなりにコアなゲーマーなようで、かなりタイトなゲームになった。前半はともかく、後半はほとんどキル出来なかった。

 夜になってから神保町に移動する。友人たちと連れ立って東西堂書店さんに表敬訪問である。結局七千円近く本を買ってしまった。全部エロ関連なので、これは資料代でイケるだろう。

 近所の居酒屋で食事をしていた折に「チェンソーマン」が話題に上がった。僕は三巻くらいまで読んで止めたのだが、第一部の幕引きというのがとにかくスゴいというのだ。また買い集めるのはシャクなので、漫喫に行ったときにでも読んでみよう。

 食事のあとはカラオケに移動して、いつものヲタカラ。「ベスト10に入ってる曲しか知らない人」を意識しなくてもいいカラオケというのはやはりとてもありがたい。九十年代のアニソンばっかり唄っていた気がする。それにしても横山光輝三国志の主題歌「時の河」なんて三十年ぶりに聴いたなあ。

 十二月三十一日。これまでならば大晦日はたいてい年越しライブなどへ行っていたのだけれど、最近は「スタッフのスケジュールを考慮して」という理由でイレギュラーな時間帯のライブは減少傾向である。それに加えて今年はこういう状況――となれば出かける用事などあろうはずもなく、自宅で過ごすしかない。買うだけ買って積みっぱなしのビデオは山ほどあるし、読まなければならない本は海の水の如くある。

 そういえば結局今年は新刊は出せなかったなあ……

 今月読んで面白かった漫画(必ずしも新刊本ではありません)

『怪獣8号』……たしか連載開始時にすでに大きな話題になっていた作品。さすがに話題になるだけあって面白い。同じく職業的モンスターハンターを題材にした「チェンソーマン」もそうだけれど、圧倒的にテンポがいい。読者が感情移入し難い、主人公の下積み時代の努力やら訓練やらのエピソードをばっさりとカットしているのだ。これは「HUNTER×HUNTER」とか「GANTZ」の功績が大きいのではなかろうか。メインヒロインっぽい黒髪の女性が未だキャラ立ちの不明瞭な人物であるのと、ツインテのヒロインは少年漫画においては確実に当て馬で終るだろうなあってのがちょっとトゲになっている。

『和服な上司がいとおしい』……テンションが上がったときに出る「わっ」という描き文字がとても可愛らしい。恋愛素人っぽい男女の話のつもりで読んでいたら、新刊になって急にキャラクターが増えてきた印象。作者も手探りなのだろうか。

『怪獣自衛隊』……先月に第一巻が出たばかりでもう第二巻。読者のテンションを落とさない勢いってのはモンスターパニック作品には大事なのだろう。ヒロインのお婆ちゃんが物語の足を引っ張るところが、いい感じにむず痒い。こういう「分った上でのブレーキ」ってのは演出上とても重要だと思う。っていうか自衛隊は早く攻撃してくれ!

『愚者の星』……第三巻までは、ちょっとシリアス寄りのアダルトジュブナイルというノリだったのが、最新刊でいきなり「羊たちの沈黙」になってしまった。これはすごい。とても面白いと思う。けれど、この強烈な敵キャラクタ(?)の個性に、ドライかつあまり活性が高いとは言えない主人公が食われやしまいかと、少々心配である。

『どろろと百鬼丸伝』……みおのエピソードは原作では暗喩的な描写で流されていたけれど、その部分をどろろの生い立ちに絡めて描いているのがすごい。構成力の高さと、なにより絵柄の流麗さがその辺りの生臭さを薄めているのが救いだろうか。これから百鬼丸と似蛭と多宝丸がどう絡むのか、楽しみで仕方がない。あと、原作以上にイタチの斎吾の最期をカッチョよく描いて貰えることを信じている。

 今月で終ります。
 一部敬称略とさせていただきました。ご了承ください。

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