2020年月記・神無月

 十月一日。「パペラキュウ」が終わってしまったので月初の楽しみがなにもない。会社が忙しいだけだ。

 十月二日。担当者から原稿の戻し。それなりの量の修正が求められている。後半が順調に進んでいたので焦る焦る。

 十月三日。人間椅子の三十周年ドキュメンタリー映画を観るために新宿へ向かう。上映館の少なさゆえかかなりの入り。ディルアングレイのバンTのお姉さんがいて驚く。付き合いで来たのか、はたまた色々と聴く人なのか……
 映画そのものはただのツアーファイナルのダイジェスト映像でしかなかった。そういうのは別にライブビデオでこと足りるのではないかと思う。恐らくはまともなドキュメンタリー映画にするだけの材料を集めたり編集したりする予算が下りなかったのだろう。残念。
 こういう些細なケチり(≒手抜き)が後々に響いてこないといいのだけれど……

 映画を観終わってから漫画を買おうとアニメイトへ向かった――のだけれど、紀伊国屋の裏から移転している!
 そういえばそんな話をちょっと前に聞いていた。ガラケーで調べても欲しい情報が得られない。しかたなくアニメイトは諦めて、駅の反対側のとらのあなへと向かう。秋だというのに汗だくになった。
 買い物を済ませて日没前には帰宅。その後は原稿の修正作業である。この日から十日までまるまる一週間かけたのだけれど、なかなか執筆ペースが上がらず焦る焦る。

 十月十日。夕方になってようやく原稿アップ。以前ソフトを購入した「LUCY」を鑑賞。クライマックスが如何にもリュック・ベッソン的。僕は小田ひで次のオマージュだと思ったのだけれど、世間的には攻殻機動隊のオマージュらしい。台北に朝鮮のマフィアがいるという状況がいまいち理解出来なかったのだけれど、なにか社会的な理由があるのだろうか。しかしそこまで調べてみようと思えるほどの作品ではなかった。

 十月十三日。会社で資格を取らせてくれるというので、早起きしてフォークリフトの講習へ向かう。受講生は、ヤンキー、老人、新入社員風青年といった感じ。見事なまでに女性と働き盛りの壮年がいない。実に分かりみが深い。
 初日は丸一日座学。最後にペーパーテストという流れだ。うすうす分かっていたけれど、テストの答は講義の最中に総て教えてくれた。(選択問題なので「この単語が出たらそれを選びなさい」という感じで)
 人生のうちでも本当に久々のペーパーテストだったので、僕は少々緊張していた。けれど、いざ問題用紙を開いてみれば、まさに講義で教えられた通りの選択肢である。当然、受講生はみな合格。
 法律でそう定められているからテストはしなければならない。しかれども受講生をハネるわけにはいかない――という理由によるものだとは分かるけれど、どうにも茶番だ。

 帰宅してPCを開くと、担当者からメールが届いていた。今回の原稿はおおむね通った模様である。タイトルも決まった。色々なタイミングが延びに延びての終結である。なんとも形容しがたい不思議な感覚に襲われた。もちろんこれから著者校正とかやることはいろいろあるのだけれど。

 十月十四日。フォークリフトの実技講習が始まる。実際に乗って運転するわけだ。ところが、実技の担当教官のオツムが完全に昭和系技術者である。ほとんどの場合において、ブツ切りの単語をバラバラに口にするだけなのだ。まれにまともな構文で説明されることがあったとしても、脈絡がないために何について語っていて、何が結論なのかがさっぱり分からない。本人としてはシナプスが繋がっているのだろうけれど、始点と終点しか語らないので中途のプロセスがまるで分からないのだ。彼の言葉に総て朱入れしてがっつり校正したい。

 帰りにヤマダ電機に寄ってヤングマガジンを買う。次の号と合わせて前後編で「ゴリラーマン」が掲載されるのだ。続けて一気読みしたいので、読まずに寝かせておく。

 十月十六日。フォークリフトの講習最終日。動きのスムーズさには欠けていたと思うけれど、とりあえずは合格。落ちた人はいなかったけれど、やはり下駄を履かせているのだろうか?

 十月十七日。趣味で書いている小説を少し進める。午後になってから「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」を鑑賞。多少は色々な映画作品を観た上で観ると、本当にオリジネイターな作品なのだと思い知らされる。皮肉たっぷりのラストシーンはやはり最高。

 夜になってからガイ・リッチー監督の「シャーロック・ホームズ」を鑑賞する。飽くまで「原案:コナン・ドイル」という前提だったようだけれど、原作のエッセンスをきちんと踏襲していたと思う。五百円くらいで叩き売りされていたビデオだったのだけれど、値段以上の面白さだった。続編もあるようなので、いつか買おう。

 そう言えば、僕はガイ・リッチーとガイ・ピアースの区別がつかない。ついでにスパイク・リーとスパイク・ジョーンズの区別もついていない。別にどうでもいいか。(しかも四人のうちで顔が分かるのはスパイク・リーだけだ)

 十月二十一日。ヤンマガを購入。本屋でもコンビニでも見つからず、結局四件もお店を探し回ってしまった。さらに間違えて「月刊ヤンマガ」を買いそうになる始末である。
 帰宅してすぐに「ゴリラーマン」を読み始める。面白い。藤本軍団がみんな出てくる。この手のリターンマッチ的作品にありがちな「作者がうろ覚えなせいで雰囲気だけ踏襲た全くの新作」という感じがないのだ。連載直後に外伝として描きましたと言われても納得出来るくらい、あの当時の空気が再現出来ている。しいて言うならゴリラーマンの顔が下手になってるというくらいか。
 怒涛の如く繰り出されるプロレスネタや「ゆうれい自転車」。理由もなく目頭が熱くなった。「岐阜のおやつ/チンタ」ってなんだ!?
 そもそも最初の見開きがキックで建物をぶっ壊すシーンなのだ。池戸道場の真価は蹴り技にあるのだ。
 ハロルド作石は青春サクセス漫画とかシェイクスピアも面白いんだけれど、また「ゴリラーマン」みたいな自堕落なモラトリアム(ちょっと違うか)漫画を描いてくれないものだろうか。もしくは「サバンナのハイエナ」を!

 十月二十二日。「タクティクスオウガ」特集のファミ通を買った。今月だけで三冊も週刊誌を買っている。その昔、サラリーマンになりたてのころはまとめて使えるお金の存在が嬉しくて、幾つもの雑誌を買っていた。人によると思うけれど、僕の場合は「雑誌を購入して読む」という行為に情報収集の積極性みたいなものを感じていたのだ。恐らくは、能動的に情報を取り込む自分に満足感を覚えていのだろう。そんな当時の感覚が甦った。

「タクティクスオウガ」はモラトリアム末期のころに狂ったようにプレイしていたゲームだ。当時、ファストフードの夜勤をしていたのだけれど、夜中二時にシフトを上がって帰宅して、明け方四時ころまでプレイして、二時間寝て学校へ行く――という生活をしていた。若くなければ出来ない異常な生活だったけれど、あのころはそれがとても充実していたのだ。「タクティクスオウガ」というのは、そんな風に時間を浪費していた日々の記憶とがっちり結びついているゲームソフトである。
 それにしてもファミ通の記事を読んでいて、当時のプレイヤーが如何に真面目にゲームをプレイしていたかを痛感させられた。皆よく内容を憶えているのだ。僕は所詮モラトリアムの一環として、言わば逃避の手段としてプレイしていた人間である。その辺りでやはり差が出るものだ。なにごとにも惰性で取り組むのでは意味がない。

 十月二十四日。そろそろ著者校正が始まるので予定を空にしておいたのだが、連絡なし。趣味の小説を書き進める。どこに発表したものか。
 ツイッター上で、とあるエロ作家のかたにフォローされた。一冊出したばかりの新人さんか――と思っていたら先輩作家の別PNである。エロ業界はこれがあるから本当に困る。変なことを言わなくて良かった……

 十月二十六日。会社の休み時間に細々と読み進めていたPKDの「高い城の男」を読み終える。この作品がなぜSFにカテゴリーされているのか分からないけれど、PKDのエッセンス満載の一冊だった。
 キャラクタが出揃うまでの序盤が非常に読み辛かったものの、登場人物がドラマを紡ぎ始めると一気にのめり込んでしまった。さすがにPKDの最高傑作に数えられるだけの作品だ。読み終えてから「もっとこっちの知識があれば!」と悔しく思った。特に社会主義ドイツに関しては固有名詞が拾い切れなかった。読むために勉強が求められる本である。
 当時の(現実の)社会的背景なども含めて詳細に解説してくれている人はいないものかとネットを検索する。幾つかの書評を斜め読みしたのだけれど、「日本人を好意的に描いていてくれて、まさか米国人に愛国心をくすぐってもらえるとは思わなかった」というような感想が投下されていた。この人が読んだ「高い~」は僕の読んだものとは違うようだ。やはり素人はいかん。ちゃんとして解説者によるディック本を読もう。

 十月三十日。サム・ライミの新作が公開されるので、終業後に劇場へ向かった。ところが、上映時間を勘違いしていたことが判明。ほかの劇場と間違えたのか、作品名を間違えたのかは分からないけれど、痛恨のミスである。これが金曜日でよかった。

 十月三十一日。米粒写経の配信ライブを鑑賞。去年は丹波哲郎ネタの集大成という感じだったけれど、今回は「今年かけたネタ」の集大成という感じだった。正直なところ、使い回し感が強い。手抜きとまでは言わないけれど、年を追うごとにガッツリとまとまった新ネタが減っているように思う。
 ネットで調べるほどの熱意がないのだけれど、他のファンはどう感じているのだろうか。さすがにネタのマンネリ化は気にしている人もいるのではなかろうか。これでファンの年齢層が低かったりすると「一度観たものにお金をかける余裕がない」ってことで客離れに繋がったりもするのだろうけれど、米粒の客はみんな年いってるからなぁ……あんまり意識しない気がする。

 そして、いっさい人と会わぬまま十月が終った。

 今月読んで面白かった作品(必ずしも新刊本ではありません)

「裏世界ピクニック」……ツイッターでも書いたけれど、表紙から想起される印象と、実際に読んだ印象が全く違う。内容はハヤカワSFにふさわしいハードさだ。なにより、怖い。MIBに関する解釈もとても面白い。この作品のオリジナルではないのかも知れないけれど、作品への組み込みかたが巧妙なのだ。これは作中で扱われている他の都市伝説に関しても同様で、まさか「きさらぎ駅」がああいう使い方をされるなんて思ってもみなかった。早く続刊も買わねば。

「逢魔宿り」……三津田信三は完全に日本のモダンホラーの最先端を独走していると僕は思っているのだけれど、なぜか同好の士にあったためしがない。ホラーについて語らせてくれる人が欲しい。この短編集もとても怖い。なにかに引かれて「いなくなる」――という現象が怖いのだ。生死さえも分からないのだから。

「移動都市」……一昨年映画化された作品。翻訳小説にありがちな、地の文での説明が延々と続くような文体を想像していたのだけれど、しっかりキャラクター小説である。展開は分かり易いし、不自然な翻訳も(ほとんど)ない。非常に読み易い作品なのだ。主人公の放つ鬱屈した思春期の空気が青臭くて心地よい。腹の立つ女でしかなかったヒロインが徐々に可愛く思えてしまうのは書き手の手腕だろう。

「怪異と乙女と神隠し」……待望の第二巻。「裏世界ピクニック」とかなり通じるところがあるのだけれど、こちらは都市伝説ではなく妖怪の存在を掘り下げている点が面白い。ほどほどにひどい目に遭う女性キャラが痛々しくも萌える。新しいヒロインが眼鏡巨乳というのもいい。作者は分かっている。

「魔王様に召喚されたけど言葉が通じない。」……ヒロインの表情がとても可愛らしく描けていて、読んでいるこちらが照れてしまうほどである。最近はこういう「ガッツリ読み込むよりも息抜きとなる漫画」のほうが読めるようになった。と思ったら一巻のラストで急展開である。僕のマリィちゃんを悲しませないでくれよ。

 来月に続きます。
 文中敬称略とさせていただきました。ご了承ください。

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