【生涯探求】幸せと収入の多さは比例しない
こんにちわ、しまさんです。
今回は「成功」について僕の見解を書いてみます。
世間的に言われる成功と、僕がイメージする成功とにだいぶ乖離があるので、それを。
自分と他人を比べて悩んでしまっていたりする方は、ぜひご参考いただければと思います。
ではいきます。
成功(幸せ)とは、何かを探求し続けられること
まずはじめに、結論からお伝えします。
成功と言うと抽象的すぎるので、幸せの定義とでもいいましょうか。
それは、
です。
探求し続けられるものがあれば、毎日が思考と実践の繰り返しになります。なので、自分の人生に飽きることがなくなります。
さらに、強い探求心には、好奇心と集中力が伴いやすくなります。
これは「今幸せかどうか」という幸福度とも実は深い相関性を持っています。
さらに探求したものは形に残すことを意識するとより楽しくなります。
僕も実績は意識的にログ化するようにしてきました。
これらの成果物=実績は、それが趣味であれ、仕事であれ蓄積するほどに信用と収入のレバレッジにもなるので便利ですよ。
仕事の目的は収入ではない
世間的には収入を得るために仕事をされている方が多いと思います。
その考え方はもちろん理解できますが、僕の場合、仕事は収入のため「だけ」にするものではないと思っています。
下記の通り。
そして、大切にしている考え方は
こんな感じ。
いまパッと書いただけなので、明日には変わる可能性もありますが、概ねこの辺です。
上記に書いた僕の仕事に対する向き合い方の目的と動機に、お金が含まれていないのがお分かりいただけるかと思います。
要するに僕にとって収入は目的ではなく条件なのです。
では、はじめから稼げてたのかと言うと全く稼げませんでした。
ホームレスをしていたことで、お金がなくても人はわりと普通に生きていけることを知っています。
この経験値が、今の僕のお金に対する価値観に影響を与えているのかもしれません。お金があってもなくても幸せに生きることってできるんですよね。
稼ぐ前と、生活費程度を稼げるようになった今とで、やってることの本筋は何にも変わりません。
自分が探求したくてやっていることを、たまたま必要だと感じてくれる人がいて、それが仕事になっているだけ。
という具合です。
自分の探究心がはじめて仕事に繋がった経験
10年くらい前の話ですが、僕の実例をご紹介します。
当時「人間」に興味を持った僕は引きこもって勉強していました。
当時、自称芸術家の無職だったので時間だけは無限にあり、プロメテウスコアアトラスという医学書を全ページ1年半かけて描き写しました。
この素描を描いた後に「やっぱり実物を見たいな」という気持ちになりました。
無学の僕でも実物を見れそうな場所はないかと、色々調べてみたところ、上野博物館が唯一そうした場所だったので年パスを購入して通い詰めました。
でも、探究欲が十分に満たされず、もっと近くでリアルなものを見て描きたい。と思うように。
ですが素人の僕がそんな人脈を持っているわけもなく悩んだ挙げ句に、学会に入ることでそのルートを作れると思い、とある学会に参加。
その上で、その学会の本部でもある某有名大学に直接連絡を取り、「〇〇学会の島田と申します。〇〇さん(学会の発起人かつ学科長)とお会いしたいのですが、いつどこにいけばいいでしょうか??」とあたかも関係者のようにアポをとりました(学会に所属していたので関係者は嘘ではない)。
内心ドキドキです。
そしたらなんと「何月何日の何時にきてください」とアポ成功。
当日出向き、怒られる前に謝罪し、上記の素描を見せたところ
「これ全部1人で描いたの!?こんなとこまで来て、きみ面白いね笑」
言っていただけて、
「せ、世界は優しい、、」
と感じたのを覚えています。
そのあと、学科長自ら大学内の骨格標本保管室や、超絶広いデッサン室などへ案内してくれて
「これからは、ここで自由に描いていいよ」
と了承をいただきました。
(でも申し訳なさすぎてその後あまり行けなかった)
さらに「これやってみる?」と後日仕事の紹介までいただきました。
この時はじめて、自分の探究心が仕事に繋がったわけです。
いただいた仕事は、サイエンス(メディカル)イラストレーションという、外科手術を解説する医学論文の挿絵を描く仕事でした。
8年前のフォルダ漁ってたら当時やった案件データ残ってました。
唇を3種類ともちゃんと描いてるあたり、強いこだわりを感じる、、、
ちなみにこの時期に、人体だけでなく精神にも関心があったので宗教学や心理学にもハマって勉強してました。
何をしたらいいかわからない人は、ともかく自分の興味のあることをとことん勉強してみるのもおすすめです。
仕事、趣味、遊びに境界線はない
仕事、趣味、遊びという一般的な分け方がありますが、僕はこれらを分ける思考をしません。
趣味や遊びを大人が本気でやれば仕事になりますし、本質的にこの3つは同じものです。
そうした意味で「自分の行う活動」をこの3つのどれかに限定分類することに意味はありません。どれでもあり、どれでもなくていいわけです。
また、数十万〜数百万円なら稼ぐことってそんなに難しくありません。
スキルさえあれば。
僕の人生のファクターとしてのお金は勝手に増えたり減ったりするものですけど、テキトーに考えているわけではなく。だからこそ、稼げない遊びは一切しないということです。
ゆえに、成功=お金持ちという世間一般のイメージが、どうも僕にはピンとこないわけですね。そこって本質じゃなくない?という意味で。
収入と成功はあまり関係ない
成功と言う言葉を聞いた時に、まずはじめに誰もが思い浮かべるキーワードはお金や収入のことじゃないかなと思います。
年収数千万や、年収何億円とかそういうやつ。
よくよく冷静に考えてみると、収入が高ければ成功者だという考え方は少し前時代的というか、だいぶ短絡的な考え方ですよね。
特に成功=収入の多さという考え方は、その時点で収入が低い人の方がそう考えている割合が多いような気がします。あくまで僕の感覚値ですが。
こちらのnoteに詳しく書いておきましたのでご興味ある方は参考ください
収入が高いかどうかは、ビジネスモデルの違い、仕事の環境によります。
ぶっちゃけ運の要素もかなりあります。
ビジネスモデルに関しては自分で創意工夫の余地がありますが、そもそも売り上げを出しやすいモデルをやっていて、それを面白いと感じない人もいると思います。
面白いと思うことは人それぞれ違うわけですから当然です。
さらに、運の要素なんてそれこそどうしようもないですよね。
こうした意味で、収入の多さ=成功ではありません。
年間1000万円稼いでいても不幸な人は不幸だし、年間150万円しか稼いでいなくても幸せな人は幸せです。
成功=幸せと仮に定義するのであれば、収入=成功でないことは明白ですよね。なぜなら、収入=幸せではないからです。
幸福度と収入の額はその差ほど違わない
実際に僕の経験からも、幸福度と収入の額はあまり比例しないと感じています。
僕はフリーランスですが、例えば全く同じ工数の案件でも50万円の時もあれば、150万円の時もあります。
SNSのマーケを4時間教えただけで30万円/月もらえる案件もありますし、作業に2ヶ月かかったのに20万円しかもらえない案件もありました。
でも、僕はそうした上下する収入の額をあまり気にせずに仕事をしています。気にしても、コントロールできないからです。
自分の懐にお金が入るかどうかは、僕の問題ではなく、他人が判断することです。僕の役割は常に「いい仕事をする」ことなわけです。それなら自分でコントロールできますから、楽しいですよ。
依頼案件ではなく、自身のコンサル事業でも考え方は全く同じです。
コンサル生の数によって僕のやる気が上がるわけではありません。
こうした僕の経験からも「たくさん稼いだら成功」という考えは、たしかに間違いではないけど、だからといって本質でもないと感じています。
日々を有意義に過ごせることや、普通に生活を続けられることの方が成功の本質に近いと思います。
着目すべきは価値の創造
お金は仕事やビジネスを構成する要素の一つであって、目的そのものではありません。
僕の知り合いでも派手に稼いでるな〜って人が何人かいますが、そう言う人ほど自己成長を大切にしていたり、事業構築を黙々としたりしています。
少なくとも「お金欲しい!」とかは、まず言いませんね。
そういう人たちはお金がなんなのかを、誰よりも真面目に考えてきてるので、「お金欲しい!」という言葉は冗談でなら言いますけど。
要するに、
この例え、我ながらめっちゃわかりやすい。
どちらにせよ、お金に執着している人で稼げてる人を、僕は一度も見たことがありません。
稼いでいる人たちが着目しているものは、お金そのものではなくキャッシュフローです。
その上で、事業のクオリティや、ビジネスモデルの探求であったり、それに伴う自己成長、価値の提供と創造に関心を持たれてる方が多い印象です。
お金のために苦労するのは本末転倒
ちょっと極端な考え方かもしれませんが、お金のためだけに生きるなら死んだ方が早くない?という考えを僕は持っています。
とは言っても僕のこの考えは、たぶん世間的には暴論だと思うので、誰に押し付けるつもりもありませんけどね。
今回はこんなとこです!
では、また次のnoteでお会いしましょう〜!
記事を読んでいただきありがとうございます◎普段はアートディレクター・デザイナーをしています。「つくることは生きること」そんな思いでnoteを更新しています。