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モンテッソーリ教育・オルタナティブ教育って?--勝手にレポート

2020.6.14、beyond Laboさん主催のイベントに、Gaiaxの木村智浩さんが登壇されました。

コロナ前は、仕事帰りによく永田町GRIDのイベントに参加させていただき、お世話になっていた木村さん。
オルタナティブ教育に精通されており、これまでも、モンテッソーリ教育を中心に何度かお話を聞いてきましたが、今回のセミナーでは、その背景にある木村さんのアツい思いを知ることができました。

オルタナティブ教育は「子ども」中心

オルタナティブ教育というのは、日本語訳すると「代替教育」というのが一番近いと思います。
いま、日本の一条校(学校基本法第一条に掲載されている学校)の主流は画一的な授業形態、つまり、先生が生徒に対して知識を伝授するというスタイルです。
それに対して、オルタナティブ教育は子どもが中心。クラスの人数もその学校によりさまざま。少人数クラスもあれば、異年齢クラス(1~3学年、4~6学年の混合)もあります。子どもが中心となって、先生や保護者、地域の人たちも巻き込んだ共同的な授業形態です。

画一的な授業形態が「教育」、オルタナティブは「共育」・「協育」とイメージすると分かりやすいかもしれません。

モンテッソーリ教育との出会い

木村さんは数多くあるオルタナティブ教育の中でも、まず初めにモンテッソーリ教育にはまっていきます。
モンテッソーリ教育はオルタナティブの中でもいまかなり注目されており、Google、Facebook、Amazonの創業者は、いずれもイタリア生まれのモンテッソーリ教育を受けています。

自由な環境を作っていき、自分で考えて行動することを学びます。
ホンモノに触れ、時間をかけて一人で使いこなすようになります。
そこでは個人の時間が尊重されています。
自分のことが大切にされたと体感すると、一人の自由を大切にするようになります。
モンテッソーリ教育は興味のあることをとことん追求することができ、自律心と集中力を養うことができるのです。

将棋の藤井聡太7段も幼児期、モンテッソーリ教育を受けたことがわかっています。
これだけのスターがそろっているのには訳があるのかなと思います。
私自身もこれからもう少しモンテッソーリについて深く学んでいきたいなと改めて思いました。


モンテッソーリから「きのくに」へ

モンテッソーリでとてもいい経験をしてきた木村さん一家。
ただ、モンテッソーリの小学校は少なく、小学校をどこにするのかを考えていくうちに、和歌山にある「きのくに子どもの村学園」の系列校が南アルプスにもあるということを知ります。

実は私自身、北九州市に在住していた時、息子を小学校に行かせるにあたり、「きのくに子どもの村学園」の系列校である「北九州子どもの村小中学校」を検討していた時期がありました。
平尾台というカルスト台地に囲まれた自然豊かな空間にあるこの学校に惹かれました。自由主義な息子にはこういう学校の方があっているんだろうな、と思いつつも、3歳年上の姉は無条件で地元の小学校に入れたのに彼だけ、というのはまずいかな、と思い断念した学校です。
なので、南アルプスの系列校は、実際どういう雰囲気の学校なのかとても興味がありました。

南アルプス子どもの村小中学校は、文科省の認可のあるいわゆる一条校と呼ばれる学校に含まれています(きのくに子どもの村学園以下系列校は全て一条校です)。
自然に囲まれた自由な空間で、チャイム、テスト、宿題がなく、先生と言われる大人もいない学校です。
あるのはプロジェクトだけ。
子どもたちで活動を決めてやっています。
劇団活動、畑でものづくり、料理、工作、などが縦割りになっています。
あとは自分たちで何をするかを決めています。
ホンモノの体験をさせてもらえるところはモンテッソーリと同じで、経験があるということが重要であるという教育を受けます。

南アルプス子どもの村小中学校は、体験入学もあります。
実際に足を運んで、子どもが「ここに入りたい」となったときに入学できるのだそうです。

評価ではなく事実

ここからは主に木村さんの教育論をお話いただくような形になりました。
評価することへの問題点を世の中は知るべき、という言葉とともに例をあげていました。

受刑者にはもともといい子だった子が多い、という統計結果が出ています。
幼少期から親の期待にこたえるために無理を重ねて、ある日その無理がたたり、爆発したところで手に負えなくなってしまいます。

「絵を上手だ」というと喜ぶんだ、と思ってしまいます。
冷静に考えると「2歳にしては」上手という観点なんです。
それより大事なのは、「絵が好きなんだね」、「ここを描いているんだね」ということです。
なぜ評価をつけてしまうのか?
それは、評価が絶対的なものだと思っているからです。

怒りかたひとつにしても、事実。
ほめかたひとつにしても、事実。
飴や鞭を使ってしまうと、子どもは親の顔色ばかりをうかがう子供になってしまいます。
実際、自分の子どもたちを見てもそうでした。
ここは、反省しなければならない部分です。

子どもは子ども

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モンテッソーリだけにいえることではないのですが、体験を通していろいろな学習が発生します。
砂糖の歴史
小麦の歴史
なぜ小麦アレルギーがおこるのか

ただ、現場は肯定的な意見ばかりではないようです。
大人が見守っているだけの授業形態なので、保護者の中には、放置しているのではないか、丸投げしているのではないか、いったい何を学習しているのかわからない、と子供を心配する意見もあるようです。

心配するのはいいけれど、結局、心配するということはそれだけ子どものことを信頼できていないことにつながってしまいます。
子どもの人生なわけで、子どもはこども。
自分で考えているのだから、大人の権限でそれを奪うのは良くないことだと思います。
失敗するのを見ていられなくなり、大人が先回りして失敗しないように裏で修正をかけてしまいがちです。
それよりも、失敗がどれだけできるのかが成長。
失敗から成長していきます。
成功する喜びと失敗する自由。
大切なことだと思います。

公立学校をどのようにみているのか

お子様を公立には通わせていない木村さんにこの質問をぶつけてみたところ、「いいと思います」との回答。
公立の学校はそこまで生徒一人一人に手をかけない、ちょっかいをかけないので悪くないのだそうです。
どちらかというと、先生が一人一人に対し手厚く保護する学校に対してはあまり好意的ではないようです。

まとめ

今回、この話を聞く前は、「きのくに」のことを多めに聞ければ嬉しいな、と思っていました。
レポートは学校の話中心にまとめさせていただいたのですが、実はそれ以上に教育論、精神論のほうに話が進んでいきました。
木村さんのあまりのアツイ思いに、セミナー中感動して涙を流すという体験を初めてしました。
それくらい考えさせられる内容でした。
子どもを信じてあげること。事実を伝えてあげること。
大切なピースを拾い上げたような気がします。


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