無門関第三十五則「倩女離魂」①

 無門関第三十五則「倩女離魂」について、綴ります。
 公案の現代語訳は、こちら。

 今回の公案は、実に考えにくいです。
 そもそも題材が、唐代の伝奇小説。
 ネタ元の「離魂記」の現代語訳も、公案の現代語訳の後に付記してありますので、よければお読みください。

 5年もの間、ひとりの人間が、ふたりに分れてしまう。
 最近はこういう事象を、バイロケーションと称するそうです。
 いわゆる体外離脱のひとつということだそうですが、幽体離脱やドッペルゲンガーなどとは、それぞれ細かい違いがあるそうです。

 そもそもこのバイロケーション現象、本当に現実として生じうるのか。
 私は実際にこれを体験したことはないので、何とも言えません。
 少なくとも、実感を伴った思考はできません。
 宋代の中国でどのように捉えられていたのかも知りません。
 なので、どういうスタンスでこの公案に向かい合えばいいのか、決めかねているんですが、とりあえず、「離魂記」を読み込みながら考えてみることにします。

「どちらが倩女の真底か」
 これが今回のテーマです。

 真底というのは、「物事のいちばん深い奥底」というような意味です。
 本則の現代語訳では大抵「どちらが本物か」と訳されているようですが、では何をもって本物と断ずるのか、そういうぼんやりした部分も、「真底」という単語には内包されているような気がしています。
 なので、私は敢えて「真底」という単語をそのまま使い訳しました。

 いちばん深い奥底。
 自分、自我、そういうものを掘り進め突き詰めた果てに行き着く何か。
 それが備わっているのはどちらか。
 今回の公案は、そういうような意味の問いなのでしょうかね。

 ふたりの倩女。日本語でいうと「お倩さん」くらいの感じでしょうか。
 衡州の倩と、蜀の倩。どちらが「倩」なのか。

 話の中身について考える前に、まず思い至るのは、これが公案として成立するということは、当時の禅僧にとっても、この手の現象は、少なくとも普遍的な事象ではなかったのだろう、ということです。
 実際に体験した、あるいは、身近に実際に体験した人がいる、そういう状況が普通であるのなら、「どちらが真底?」と問われても、問われた瞬間すぱっと答えが出せてしまうと思うので。
「仏道に不思議なし」などと禅の世界では言われているそうなんですが、「不思議なことは何一つないのだ」などと言われながらも、きっと当時の禅僧も、結局は想像の範囲でうんうん唸って考えてたんでしょう。
 そう考えると、少し気が楽にはなります。

 まずさらっと読んだ限りでは、衡州の実家に肉体を残し、魂だけが抜け出て王宙のもとに飛んできた、と解釈できる構図です。
 王宙が船で移動した距離を、女の足で、靴も履かずに追いつけるとは、ちょっと考えにくい。実体がなかったからこそ、一息にすっ飛んで来れたのだろうと考えるのが自然な気がします。
 また、そもそも、靴を履いていないというのが、霊魂の隠喩であるような印象も、個人的にはあります。
 蜀の倩は魂。実体は衡州の倩。そういう構図。

 しかし、衡州の倩はずっと寝室に籠もって寝たきり。それでも日常的な動作は出来たようですが、会話は出来ないらしいことが窺えます。
 それに対して、蜀の倩は、息子を二人産んでいます。その息子は成長してそこそこ高い地位に就いてもいるのですから、幻ではなかったということになりそうです。
 そう考えると、より確かな実体を伴っていたのは、むしろ蜀の倩の方のようにも思えてきます。

 分れていた5年間、より充実した生を生きていたのは、蜀の倩です。
 ふわふわした頼りない霊魂のレベルを大幅に超えてしまってます。
 最初は確かに魂のレベルだったのかも知れない。しかし、蜀で生き生きと暮らすうち、その生き方に確かな実体が伴い始めたのかも知れない。
 最終的に、蜀の倩は、血色が良いように見えた、と書かれています。
 霊魂特有の青白い儚さとは全く違う風情だったということでしょう。
 こう考えると「本物は、蜀の倩」と決めてしまいそうになります。
 しかし。

 蜀の倩は「私ひとり幸せでいるのはつらい」と言って泣くのです。
 これを王宙はおそらく「故郷に残してきた父母を泣かせたままなのはつらいと感じているのだろう」と解釈しています。
 しかし、このシーンは多分それだけではなくて、「故郷に残してきたもう一人の自分」の境遇にも思いを馳せて泣いているのだろうと感じられるくだりです。

 もしも、「蜀の倩が本物」すなわち「衡州の倩はニセモノ」であるのなら、蜀の倩は5年も泣きはしなかったんじゃないかという気がするのです。
 蛇や蟬が自分の抜け殻を惜しんで泣くでしょうか?

 恋しい相手と添い遂げたいと思う自分。
 父母を悲しませたくないとと思う自分。
 倩にとっては、きっとどちらも嘘偽りない気持ちだったのでしょう。
 だから、ふたりの倩が出会ったとき、「翕然」として一体となった。
 翕然というのは、「多くのものが集まり合う様」を表す単語です。
 つまり、ふたりがひとつになったという以上の意味が、ここにはあるのだと思うのです。

 分れている間、それぞれが過ごしてきた日々の記憶、経験。
 それに対する様々な感情。
 衡州の倩はほぼ寝室に引きこもりきりでしたが、それでも、寝室の窓から眺める景色、漏れ聞こえてくる家人の声、部屋の外から漂ってくる様々な匂い、それらに対し生まれた気持ち、そういう記憶は、きっと蓄積されていたでしょう。
 蜀の倩の経験に比べればあまりにもささやかではありますが、それでも、大切な経験であることには違いない。
 これらが、双方どちらも失われることなく、すべて残ったまま、ひとつになった。
 翕然として一体となったというのは、多分、そういう意味なのだと思うのです。

 どちらかが本物で、どちらかが抜け殻であるのなら、ひとつになるとき、どちらか一方に吸収される形になるような気がするのです。
 しかし、原文には「衣装までもが皆重なった」と書いてあります。
 重なってひとつになっている。どちらかが主でありどちらかが従であるわけではない。どちらも何一つ失われてはいないのです。

「どちらが真底か」。
 どちらもが倩である。どちらもが、本物となりえる。
 私にはそんなふうに思えます。
 だから、もし、ひとつになった倩に、「どちらが本当のあなただったの?」と訊いたとしたら、ひょっとすると倩自身も「わからない」と答えるんじゃないか、という気も、私はしているのです。

 では、この話を、どう現実に落とし込んでいくか。
 評唱と頌に関しては、次回綴ります。

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