常識と非常識と

 先日、美容室に、髪を切ってもらいに行きました。
 私は、基本的に美容室では、ずっと週刊誌や料理雑誌などを読んでいるのですが、とある週刊誌に、「新しい常識」とかなんとかいう題の小さな記事が載っていました。
 主に、料理に関する内容のようでした。

 読んでみました。

「タケノコは、皮を剥いて、切ってから茹でてよい。糠を入れて、串がスッと通る程度まで。鷹の爪は必要ない」
「煮魚をつくるときは、煮汁を煮立ててからでなく、水から煮てよい」
「里芋は、下ゆでをする必要は無い」
「ゴボウは、酢水につける必要は無く、水にさっとさらしたら、すぐに水からあげて、調理してよい」
「ハンバーグを作るときは、玉葱は生のみじん切りを入れてよい。パン粉は牛乳に浸す必要はない」
 などなど。

 これが「新常識」?
 一瞬、思考回路がストップしてしまいました。
 これらはすべて、私が母から教わり、長年やってきたことだったからです。

 記事中には「これまでの常識」なるものも一応付記されていました。
 曰く、「タケノコは皮のまま茹でる」「里芋は下ゆでする」「ゴボウは酢水に程度つけてアクをとる」「煮魚は煮汁を煮立ててから」などなど。
 知識としては、知ってはいましたけど、これらは、毎日の家庭料理では必ずしも必要ではないと、私は母から教わり、今に至ります。
 いちいちこんなことしなくても、充分美味しく仕上がってましたしね。
 なので、これらのことは、私は家庭の夕食の調理で行ったことは、実は一度もありません。

 しかし。
 若い頃、友人や、恋人との会話のなかで、「うちではこうやってるよ」と、話の流れで出したりすると、「へぇそうなんだ」と楽しそうな反応を受けることも勿論ありましたが、場合によっては、「ええー? 『変わってる』ね」みたいな反応を受けることが、ちょいちょいあったわけです。
 で、こういうときは大抵「これはこういう理由でね、こうしたほうがいいんだよ」と、プロの料理人がテレビで喋ってたような知識の講釈をぶたれる羽目になるわけです。
 知らないわけじゃないんだっつーのに。

 でも、こういう人って、「いや、どっちでやっても、味にそこまでの差は出ないよ? 一度試してみるといいよ。そしたら解ると思うから」と私が言っても、「こいつ、バカの上にバカ舌なんだね」みたいな目で私を見てくるだけで、絶対自分で試そうとはしないんですよね。
「だって、みんなそう言ってるし、こっちが『正解』だし」
 ってな感じだったんでしょうか。
 で、結果的に、その手の話が話題に上らなくなっていくという…。

 で、長い時を経て「新常識」などと言われてしまうわけですね。
 ほんと長かったなあ。ガリレオの気分ですよ。

 結局のところ、「正しい常識」なんてものは、「どんな内容か」ではなく「誰がそれを言ったのか」で決まっていくものなんでしょうね。
 無名の人間が言っても鼻で笑われることが、偉い肩書きの有名人が口にするとあっという間に浸透する。
 これからも、専門家という肩書きの方には、がんばっていただきたいところです。

 そういうわけで。
「いりこだしは、基本的には、頭とはらわたを取り除く必要はない」
「煮魚の生臭さを取るためには、煮始めるときに、日本酒を適当に加えて、浮いたアクを取り除けばいい」
「落とし蓋は、なくてもよい」
「魚焼きグリルの網を洗うときは、スチールたわしでガシガシ擦ってよい。その都度、サラダ油をきちんと塗って、少し空焼きして馴染ませればいい」
 などが、「新常識」などと言われて広まればいいなあと、のんびり願っています。

 とくにいりこだし。
 いりこの頭をつけたまま、というのはいろんな人から悪し様に言われるんですけど、「手間暇かけたという満足感」の違いがあるだけで、取っても取らなくても大して変わらないと思います。よほど大きいいりこなら、はらわただけは取りますけど。
 基本的には、水のうちからそのまま放り込みっぱなしでも、さほど味を損ねることはないので、適当に放り込んで、適当に引き上げれば、それで充分おいしいお出汁になります。
 昆布や鰹節よりも手軽で取り扱いも簡単だし、おすすめですよ。

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