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# 130_「男は植物になった。あるいはなろうとした」——『一億総植物化社会』予告編

男は植物になった。あるいはなろうとした。


2020年、新型コロナウィルスの感染拡大が世界規模で起こった。1964年にSF作家である小松左京が発表した『復活の日』では、ウィルスによって地球上のほとんどの人類が死滅し、南極大陸に滞在していた1万人だけが残り、残された人々で新たな人類をつくっていく姿が描かれた。2020年代に発生した新型コロナウィルスの感染拡大は、その小松の小説を彷彿とさせる。他方で、実際に2020年代に起きたのは、劇的な人類の死滅という物語ではなく、より生々しさを持った、いつまで続くのか分からない生殺しの日常であった。人々はウィルスによる死滅ではなく、ウィルスとの共存に歩みを進めた。

当初は、デジタルトランスフォーメーション(以下DX)を始めとした、既にコロナ以前にも存在していたITサービスの活用の範囲を広げ、今までの日常行為に代替する方法で対応した。他方で、飲食店を始めとしたDXで代替が不可能なものを提供する企業体は大打撃を免れなかった。ウィルスによる人類の死滅よりも、ウィルスが存在する世界と相容れない今までの社会システムや慣習によって発生する経済的な打撃による間接的な被害によって人類は追い詰められた。そこで政府は経済支援政策を打つ。また、密集密接を避ける啓蒙活動、外出を制限する緊急事態宣言の発令、飲食店への時間短縮営業などの政策を実行した。

一時は、それらDXや政策によって「新常態」と呼ばれる、新たな生活様式の形が見えたように思われた。しかし、事態はそんなに単純ではなかった。本当の課題は人間の「欲望」にあった。どんなに手段が豊富になろうとも、どんなに政策が実行されようとも、人間が持つ根源的な欲望部分が変わらなければ、本当の意味での新常態というのは獲得できないということが明らかになってきた。DXや政策は、ウィルス発生当初の一時的な対策としては功を奏したが、長期的なウィルスとの共存においては効果は不十分であった。

そんな中、一部の活動家たちが、ウィルスと共存可能な人間の欲望を獲得するための実験を独自に行っていた。特に、声を揃えるわけでもなく、少数であったが、世界中で同時多発的に、そのような共同体の出現が観測できた。日本でも少数であったが、その活動家が存在していた。

日本においては、戦後、天皇が政治の場から離れ、その美学無き身軽さから、高度経済成長期において著しく経済的に豊かになった後、国家として高齢化し経済成長が右肩下がりになりながらも、国際社会においては一定のポジションを保っていた。他方で、ヨーロッパなどと比べ、ロックダウンを始めとした市民の動きをトップダウン的に規制する強制的な措置は取ることができない。国民の自主性にかけるしかない啓蒙活動やマスメディアによる煽りに対して国民は慣れてきてしまい徐々に効果を失っていった。また経済支援においても、当初は、新常態に移行し、その後の成長によって回収を見込むものであったが、あまりの長期化によって限界が見えてくる。また政策の効果の出なさに国際社会からも冷やかな眼差しを受けることとなり、国家ごとの意思決定の責任を、よりそれぞれの国ごとに持つ意識が強くなっていった。

当時の日本国の首相は窮地に立たされていた。今まで率いてきた自身の政権において考えうる政策は全て打った。しかし、それは短期、中期的な効果に留まり、より長期の対策を構想する必要があった。国際社会や日本国民からも非難が集中しはじめ、次の政策の設計と実行が最後のチャンスであった。背水の陣に立たされた首相は、最終手段として、その活動家の集団にアクセスを試みた。首相自身は、活動家の発生当時から、存在は知っていたものの、眼中にないどころか、危険視していた。その中での活動家へのアクセスは、究極の選択であり、追い込まれたものが行う、非論理的な行動であった。

コロナ発生当初、首相は自身の政権においてDXを推進する際に情報工学などを専門とする若手の研究者を有識者として招いていた。活動家と自身の間に入る媒体の役割を彼らに担ってもらい、新たな有識者会議のグループを形成した。活動家らは、当初、有識者としての招待を拒んだ。彼らは、そもそも主流の政治システムから圧倒的に距離を取ることによって成り立っていた。自らで自らの政治を自作していた。それゆえ、主流の政治システムへの関与は、矛盾に値した。一方で、次の政策の実行まで時間が限られていた。活動家らはいくつかの条件を提示した。その条件の内容は可能な限りの権限の譲渡を示していた。それは、実質、現政権を骨抜きにするものであった。追い込まれていた首相は、その条件を飲まざるを得なかった。その後、新たに発足したチームは非常に圧縮された政策設計のデザインプロセスを組み、それを実行した。

政府は『一億総植物化社会』という政策を提示した。その名の通り、人間という動物から、植物への変化を、それに近づくことを国民に求める政策である。活動家らは、植物の光合成に代表される生化学反応に着目していた。彼らは、独自の方法論を設計し、それを用いて、自らの日常を改変することで、時間をかけて、動物的な欲望から、植物的な欲望への移行を試みていた。端的には、人は、自らの住まいに籠もった。人と会うことを極力避けた。そして、莫大にできた、自らの孤独の時間を使い、それぞれにとっての「生成」を行う。ここで難しいのは、生成は人によって、個別のからだによって異なるということである。自らにとっての生成がなんであるかは当人が自ら見つけ出さねばならない。

活動家らの集団を構成する人数は多くはなかったものの植物化に近づくことのできている実践者らが存在していた。彼らの実践を元に国民に提供できる方法論とそれを実行する上でのツールが用意された。そして、その指示書が日本国民全員に配布される。予想通り、実行できる人とできない人に大きなムラが生まれたが、それも想定済みで、多様なエクササイズが用意されていた。


男は植物になった。あるいはなろうとした。

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Shimakage Keisuke

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