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体験派と箱入り派、どっちが幸せ?

「何事も経験」だと、ずっと思って生きてきた。
でもそれは、望まざる体験をしすぎた自分に対する慰めの言葉であり、自分への言い訳だったともいえる。

日本屈指の箱入り娘である眞子さまが、まもなく嫁いで「民間人」になろうとしている。そのことに対し、単なる外野である日本人の多くが、親戚のオバちゃん的な目線で「やめておいたほうが」などと無責任にコメントしている。

眞子さまの結婚に関し、私個人の考えは「望むように生きられることを願う」のみだ。
彼女の育ってきた深窓すぎる環境を、一般人である私には計り知れない。ただ彼女にとって、我々の暮らす「世間」こそが「好きな人と一緒に暮らせる幸せな世界」だと思い込んでいるであろうことは、想像に難くない。

眞子さまの例を挙げたが、世間の側にいる一般人でも「箱入り」な女性は一定数存在する。過去、私のところに婚活相談をしてきたアラフォー以上の女性の中にも、どうすればここまで「何も知らず」に生きてこられたのか、疑問に思うレベルの箱入り娘(もはや娘と呼ぶ年頃でもない)が少なからずいた。

彼女らは決して「ご令嬢」ではない。大半はご両親の過保護さが裏目に出たケースだ。もはや冒険をする勇気も若さもなく、引きこもりながら「いい出会いがない」と悩んでいる。

外へ出なければ出会いはない、と思うのは時代錯誤だ。令和の今はネットでいくらでも出会うことができる。
真面目な婚活サイトからヤリモクなマッチングアプリまで、目的や年代に合わせて多くの出会いがネットには転がっている。それらの出会い系アプリ以外にも、誰もが日常的に使っているSNSで遊んでいれば、それなりの出会いはあるはず。

恋が芽生えにくいのは、熟女になったから

残酷だが、先に真実を述べておこう。
アラフォー以上の熟女に出会いが減るのは「旬」を過ぎたからだ。

恋愛は、発情に限りなく近い感情である。惚れっぽくなったり恋が芽生える場面(お誘いを受けるなど)が増えるのは、ひとえに発情期ならではの現象だ。特有のフェロモンを無意識に発してしまうから、いいのか悪いのか雄をむやみに惹きつけ、セクハラや性被害にも遭いやすくなる。

好む好まざるにかかわらず、10代から30代前半の女は「雌」としてピークを迎える。その年頃を過ぎ熟女になってまで、あの頃と同様に雌扱いされると思ったら大間違いだ。
同年代の雄たちはさっさと「つがい」になる。一部離婚して恋愛市場に戻ってくる者もいるが、ともかく年齢に反比例して対象者の絶対数は減る一方なのだから、アラフォーともなれば、待っているだけでは出会う機会はなくなってしまう。

閑話休題。
私と同年代の熟女には「回り道しまくった再婚熟女(私のことだ)」「ディープな経験を秘めた独身熟女」と「20代の恋愛を成就させた既婚マダム」「学生時代の淡い恋を最後に未婚街道を突っ走る箱入り熟女」の4タイプに分けられる。言わずもがな前の2つは体験派、後の2つは箱入り派である。

80年代の「女性上位な恋愛」を青春時代に刷り込まれた熟女は、いくつになっても当時のままデートも告白もプロポーズも男性からするものだと信じて疑わない。デート代を女性に負担させようものなら「私のこと好きじゃないのか」と怒り、自分から好きな男性にアプローチするのはプライドが許さない。

その意識が抜けないまま歳ばかり重ねた熟女は、時代が変わった今もなお「女性は受け身であるべき」だと信じて疑わない。そして婚活市場にエントリーしている独身の熟女は、ほぼ「箱入り(これ皮肉ね)」だ。

私はせっかちな性分なので、若い頃から「好きなタイプから誘われるのを待ってたらおばあさんになっちゃう」と、自分からアプローチしていた。そして体感的に「女性からいくほうが勝率高い」と悟っていた。

今や女性からのアプローチどころか、交際全般において女性がリードすることは当たり前な世の中だ。戦後から長らく引きずっていた「男が強くあらねばならない」定義が、ようやく薄れてきたのだろう。

昭和の当時から「かかあ天下」という言葉があったように、実は男女の関係性としては女性優位なほうがベストだと私は思っている。男性自身、最近は女性からリードされることを望む人が増えてきた。

恋なんて、しなくたって死なない。
人生は、恋愛や結婚のためにあるわけじゃない。

それでも孤高に生きることを望む人以外は、いくつになっても恋したいし出会いたいし、恋人や伴侶がいたほうが人生が豊かになる。

ならば待つな。受け身になるな。
数打ちゃ当たる勢いで前のめりに接触しろ。
「幸せをつかむ」ことに貪欲であれ。

以上は、男性ではなく熟女に向けての助言だ。

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