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やめるという主体性も大切にする(年始の宣言として)

1月4日。
年が明けて1本目の記事、というと昨年の振り返りとか今年の目標とかがとても書きやすいし、例年私も大晦日とか元旦にはそんな記事を書いていました。(アメブロでの記事はこちら

でも、何だか例年とは違って

「今年(2020年)はそういうんじゃない!」

という私の内なる声が大きくて、大晦日の24時直前にFacebookで締めくくりの挨拶を投稿する以外は、Facebooktwitterをチラと見る以外はアメブロも書かず、SNSへの年末っぽい/年始っぽい投稿もせずに少し離れていました。

妻の実家で義父母や妻、娘たちと過ごす時間を大切にするために、スマホから距離を置いて自分の頭の中でも何かを書いたり発信したりするための思考から自由になる時間。

それはとてもいい時間でした。

何がそういうんじゃないのか、そして、どうしたいのかキレイに整理できているわけではありませんが、一つ分かっているのは、今まで当たり前にやってきたことに対して違和感を覚えることが増えているということ。

この年末年始でいえば、
・年賀状
・年末/年始のSNSやブログでの発信
・大晦日を1人で過ごし元旦に実家の実母に会いに行く
・福袋でワイシャツやネクタイをまとめ買い などなど
こういうルーティンをやめてみました


やめたルーティンの代わりにやったことといえば。

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年末はSNSから離れて、難しい本を読み終えてみたり。


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選べないワイシャツやネクタイを福袋でたくさん買うより、メンテナンスしながらはき続けられる靴を買ってみたり。


年末には久しぶりに会って話したいと思っていた友人2名にお願いして一人とはサシでランチをしたり、一人とは一緒にサウナ&ランチに行ったりといった過ごし方もこれまでやっていなかったこと。


2020年はこの2019年後半から感じ始めている、今まで普通にやってきたことに対する違和感を大切にして、必要ならちゃんと変わろうって思っています。


変化はときに痛くて、寂しいもの。
その多くは今持ってるものを手放すことと一体だから。

でも、自ら望んだ変化のために自分で選んでやめるのなら、やめるっていう行為はとても創造的だと思いませんか。

古い靴をはいたまま、新しい靴をはくことはできません。



2020年は大きな変化の年にしたいと思っています。

そのためにやめるという主体性も大切にすることを、

ここに宣言します。



手始めに、アメブロをやめて、noteを書き始めます。
このあたりの発信ツールの移行についても、おいおい書かせていただきます。

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