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ぼっちの小学生時代 〜「話せない」から吃音になるまで〜

ぼっちの僕が、小学生だったときのことについて書きます。

おもに人間関係にフォーカスをあてています。

ぼっちの小学生

小学校時代は、全く話さない子でした。

クラスの誰かに話しかけたことは6年間で一度もなく、話しかけられても、うなずくか、首を振るかで反応していました。

家ではたくさんお話するし、学校でも授業中の発表とかはできるのに、同級生との対話という場面ではなぜか話せませんでした。このような症状は場面緘黙と言われるらしいです。

仲の良い友だちはいませんでした。学校の外で友だちと遊んだことは一度もありません。

もちろん休み時間も、いつも一人です。昼休みは図書館やトイレで過ごすか、教室でボーッとしていました。たまに、クラスのレクリエーションに参加して、それは楽しかったです。

学校で一番嫌いな時間は、昼休みでした。

ほんとうはみんなと仲良くしたい

全然話さない僕でしたが、クラスの人の中には話しかけてくれる人もいるんですよね。どの学年のときも何人かいました。

休み時間とかに、たまに絡んでくるような同級生がいるのです。何気なく話しかけたり、笑わせに来たり。絡んでくると言ったら悪いイメージかもしれませんが、むしろ絡まれて嬉しかったです。ほんとうはみんなと仲良くしたいのです。

それに、僕が困っていたときに助けてくれる人もいました。ありがとうもまともに言えないのに。今思い返すと感動します。

恋愛事情

小学3年生のときから、クラスの女の子に片思いしていました。かわいい子に何度か話しかけられたり関わる機会があったりするだけで好きになってしまいました。席替えでは好きな子の隣になりたいということしか考えていませんでした。

もちろん僕から話しかけたりアプローチすることはないので、勝手に好きになっているだけです。学年が変わるたびに好きな子もすぐに変わりました…

メガネをかけられない

小3のときに視力が落ちて、メガネをかけることになったのですが、なかなかかけられませんでした。周りの目がすごく気になったからです。

メガネをかけると印象がガラリと変わって別人のようになってしまうものだと思っていて、それで変に思われたらどうしようと心配だったのでしょう。

親からメガネをかけるように言われるのが本当につらかったのですが、どうしても学校ではメガネをかけることができず、結局小5のときに担任の先生の協力でようやくかけることができました。メガネをかけるきっかけを与えてくれたのは嬉しかったです。

僕は周囲の目を気にしすぎる性格なのかなと、今でも思います。

メンタルクリニックに通う

人と話せなくなる症状があったので、小4のときからメンタルクリニックに通うようになりました。担当のカウンセラーの先生と一対一で遊んだりするのですが、何か効果があったのかは今でも分かりません。でも、先生の意見や精神的な検査を通して、自分を客観視できる機会があったのは役立った気がします。

小学校高学年で吃音を発症する

はっきりとした時期は覚えていませんが、高学年頃から吃音の症状が現れました。話そうとするときに、「き、き、き、きのうね…」みたいな感じで同じ音を繰り返してしまい、うまく話せないのです。

とはいえ、もともと学校では全然話さなかったし、吃音でも喋れないわけではないので、そんなに生活が変わった感じはありませんでした。発言する場面でどもって笑われたことは、1回しかありません。

ですが、中学、高校にかけて段々と吃音のことで悩むようになるのです…

吃音の人は幼少期に発症するケースが多いようですが、僕は違いました。おそらく何かしらのきっかけがあるのだと思います。今は、人と接するのが怖かったことが、吃音の根本原因なのではないかと考えています。

まとめ

僕の小学生時代を人間関係の面で振り返ってみるとこんな感じでした。

こんな僕でも、中学・高校と、小学校とはかなり違う環境でやってこれたのはすごいなと思います。人は案外変われるものです。

でも、表面上は変わっても、根底にある気持ちは変わってないと思うんです。今でもずっと、人と話すのが苦手です。

子どもの頃を振り返ると、本当の自分が見えてくるのかもしれません。自分のやりたいこと、やりたくないことを見つけるヒントがあるかもしれません。

中学、高校についても書いてみたいと思います。

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