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取り戻すために失う

高層階の病室に、音のない雨が降る。
私はそれを知らない。雨が降っていることも、私から音が奪われていることも。
面会時間が始まると同時に、濃い斑模様を付けたコートの裾を翻し、雨の匂いを運んでくる人が降る雨を伝える。湿度に髪を膨らませ、微かに睫毛を光らせ、雨が降っていることを、その雨には音があることを。

─雨。真剣にざあざあ降ってるよ。

私は視線を娘の瞳から窓に移し、窓の外を見詰める。はぐれた雨粒が窓を叩いて糸を引き、窓枠を蟹歩きで伝って視界から消える。幻のように。

─そうなの。

とりたてて話すことはなく、とはいえすぐ帰るでもなく、彼女は編んだ髪の毛をほどきながら、癖のない滑らかな言葉を編み始める。

─今朝、雨の音で目が覚めてね、窓から梅の木を眺めていたら花の奥に鳥が見えた。いつも見ていないものを見ると、いつもは見えないものが見えるんだなって。音もそうじゃない?耳を澄ませて聴いてると、聴こえない音が聴こえたりする。

私は視線を窓から娘に戻し、肩の上で波打つ豊かな髪を眺める。伸ばすと言っては切り、伸ばさないと言っては切らずにいる天の邪鬼のような彼女の髪。

脱毛と関節痛と微熱の果て、娘自身が長い入院をしていた3年前の夏、驚かせようと思って物音を立てずに現れた私を見るなり、彼女は顔を歪めた。お母さんが来る音がしなかった。お母さんが来る音が好きなのに、と。

お母さんが来る音、という音は、誰にも聴こえない娘だけが知る音なのだろう。ごめんね、と謝りながら私は想像する。それは孤独と不安で凍えた心を、束の間あたためるような音なのだろうか。

高層階の病室の窓から見えるのは無機質な空と無表情のビルの群れで、微かな音すら届かなかった。
他方、窓の内側では絶えず放送が流れ、看護士や医師の足音が跳ね、子どもたちの泣き声が響いていた。電子機器の甲高い音。気管支が砕けそうな咳。車椅子やストレッチャーが空気を掻き分け走る。走り去るものを見送る人が、明日は見送られる人になる。

あの茹だるような暑さの凍えるような日々、彼女は音に疲れながら音に餓えていたのだと思う。ひねもすイヤフォンを耳に挿し込み、音楽を聴き続けているみたいです、と看護士が私に告げた。それでも面会時間になるとイヤフォンを外し、〈お母さんが来る音〉をひたすら待っていたのだった。

雨が上がり、私は小さな鞄一つで家に帰る。

ゆっくりと家事を進め、音に耳を澄ませる。
鳥の羽ばたき、手紙の投函、夜風の通過、犬の寝言、樹木のざわめき、遠い踏切、ケトルの沸騰、猫のいさかい、隣家のラヂオ、娘の鼻唄、娘のギター。
帰ってきた音を聴く。

家族が寝静まった深夜、独り台所に立ち、萎びた林檎を煮詰めて明日のジャムを作る。
朝が近づいてくる音を聴く。

日常を奪われるとき、人は音を失う。
私もたくさんの音を失ってきたと思う。この先も数多の喪失を繰り返すのだろう。何度失おうと私は日常を取り戻したいと願う。失われた音を手繰り寄せ、失われた日々を取り戻すために、私は何度も失い、そしてまた、取り戻す。

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