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解き放ち得ぬものたち


はじめ、それは今まで経験したことのない重さで私の腰を砕き、背中を軋ませ、両腕をもぎ取ろうとした。だから私は、それを闇に向かって押し込み、ドアを閉めて、鍵をかけたのだった。

ずっと開けなかった。錆びついたドアノブを見詰め、その奥にあるものを想像しそうになると、目を瞑り、背を向けて遠ざかり、心の扉もことさら固く、念入りに閉めた。
そうして、間もなく6年になる。

もとより折り合いの悪かった夫の兄夫婦は、彼の死因ゆえにそれを受け入れず、それを拒んだ。奇妙な明るさをまとった夫の親戚たちは、葬儀が終わるとすべからく連絡を絶った。夫の母は、彼の死を受け止められず、それをなかったことにした。彼を産んだことも、彼を育てたことも。そうすれば、彼を喪うこともなくなる。
そうして、彼の遺したものは、そこに残された。残されたものを抱え上げるのは、私しかいなかった。
 
彼を亡くしてすぐ、私と娘は引っ越した。
胸に洞穴を抱えた彼女は、独りになることを嫌がったので、彼と暮らした大きな借家を片付けるのは、娘が眠ったあとの、平日の夜だった。
22時、私は自転車を漕いだ。闇に浮かび上がる桜の下を通り、紫陽花の道で合羽の裾を翻し、昼間の熱が残るアスファルトを走り、朱色の枯れ葉を荷台に積もらせ、手袋を二重にしてもかじかむ指でブレーキをかけながら。ときどき、その指をふっと緩めたくなる心と闘った。
そうした日々は、1年とひと月続いた。

彼は、抱え込むと、捨てられない人だった。
20足を下らない靴。80枚近くあるワイシャツ。ジーンズが30本。ワインは100本以上。書架からあふれて雪崩る本。高校時代から始まるすべての鞄。途中で数えるのを諦めたCD。数えるのが恐ろしいほどの薬。好きなシャンプーを買い込み、時計はお店をひらけるほどだった。
どれを捨てればよいのだろう?自分に尋ね、そこにいない彼に尋ねる。答えはない。最後は虚空に尋ねる。もちろん、誰も教えてくれはしない。

結局、自分のものは捨て、彼のものはダンボールに詰めることにした。私のものは消え、彼のものは残された。私もいつか死ぬのだから、私の残したものを前にして、誰かを途方に暮れさせたくはなかった。彼のものを前にして、途方に暮れている私のように。

深夜、夥しい数のゴミ袋を門の前に置き、無数のダンボールが積み上げられた家の扉を閉めた。
閉めると夏は背中の汗が引き、冬は指の震えが止まった。外の方が暑く、外の方が寒いのに。只ならぬ感情が、身体を凌駕していた。

とうとう、家の中あるものは、ダンボールと、ダンボールに入りきれなかった彼の遺品だけになった。
退去の日が迫り来る中、心は千千に乱れた。遺されたものすべてを、新しい住まいに運び込むことは不可能に思えた。家には空間があったが、心の隙間がなかった。無理やり押し込めば、間違いなく私の心は、耳障りな音をたてて、バラバラになるだろうから。

意を決して、懇意にしている工務店の親方に相談すると、彼は仲間を引き連れ、ダンプを走らせて来てくれた。
瞬く間に家の敷地に物置きを造り上げた翌朝、3人の男たちが、遺品のほとんどをその中に運び込む。これでいいですか?と尋ねられた私は、ロボットのようにギクシャク頷きながら戸を閉め、小さな鍵をかけたのだった。6年にも渡る封印になるとは、予想だにしないで。

物置きは、家の中からも外からも、見えない位置にあった。
春はその傍らで、山椒の木が実をつけた。秋には、柿がたわわに実った。冬になると、柚子が金色に輝いた。
収穫のために、籠を抱きかかえて、物置きの前をそっと歩いた。そのたびに、ここに物置きがある、と思い、心臓の存在を、流れる昏い血の流れを感じた。そして、それ以上は想わないようにした。物置きの中にあるものを、その経年劣化や、然るべき破損を、考えないようにした。

そうして流れていく年月を、ただ見送った。

それでも時に、物置きと心の扉を開けずとも、閉じ込められたものの呻き声が、聞こえ気がするときもあった。
そこにあるものを、ないものにすることなど、ほんとうは出来ない。それにも関わらず、封じ込めようとしている私を嘲笑うように、それは気配を伴って迫ってきた。
私ごと、燃えてしまえばよいのに、と思ったこともある。私を焼き尽くし、遺品を焼き尽くし、私の存在もろとも全てなかったことにしたいと思ったのは、義母の激しい苦悩のすぐ傍まで、近づいていたからなのだろうか。

このままではいけない、と思い始めたのは、今年の夏が終わろうとするころだった。
萌芽したその思いは、たちまち背丈を伸ばし、枝葉を茂らせ、私の心をすっぽりと覆った。そうなると逃げられない。庭の一角にひっそりとたたずみ、非存在であろうとしていた物置きは、私の心の隅に、錆びついたまま移動した。

あの革靴やスニーカーが、柔らかな黴に包まれている様子を、縄で束ねた本が、緩やかにうねっているさまを、息耐えた冷たい時計を、形を失った錠剤を、ゆっくりと思い浮かべる。
私が贈ったブレザーや、娘が渡した誕生日カード、彼の鞄につけられた、燻し銀のストラップを考える。
救い出さなければ。でも、下ろした錨を引き上げたところで、どろりとしたその塊を、いったいどこに置けばよいのだろう?滴る思い出が乾くまで、それを見つめ続けることはできるのだろうか?

6年間、私の内に確実にあったイメージは、彼の家族が連絡をよこし、あかずの扉を、ともに開くシーンだった。彼の残したものを、彼/彼らの手に触れてもらいたかった。いらない、と拒絶され、知らない、と背を向けられた彼の、生きていた証となるものを。

彼の遺品を物置きに収めた日、義兄にそれを知らせた。
〈いつでも足をお運びください。大切に保管しておきます。いつかお兄さんにお渡しできるようにと願っております。〉ということを、何度も消しては、また書いた。そして、送信ボタンを押して、ぎりぎりまで削って痩せ細った言葉を、矢のように解き放ったとき、はじめて涙が出たのだった。
〈冷静〉や〈気丈〉という、上ずった声の陰で囁かれる、〈薄情〉という低い声を片耳で拾いながら、一筋の涙すら頬に走らせなかった私の深い悲しみの一切を、遅れてやってきた涙に、ぜんぶ託して。

一昨日の深夜、引き出しの奥から小さな鍵を取り出し、昨日の朝、小糠雨の降りしきる庭を横切り、物置きの戸を開いた。
彼の匂いはもうなかった。あの日のままの段ボールと、忍び込んだ埃と、主のいない蜘蛛の巢と、麻痺したような時間と、黴の匂いが、そこあった。

優しい雨と冷たい風が、澱みと闇を撹拌する。
私は目を閉じる。私の前に降り立ち、或いは沸き上がり、強ばったこの手を引いてくれる何かの訪れを、目を閉じたまま、じっと待つ。

─引き受けるのだ、当惑しつつも。

(『プリーモ・レーヴィ全詩集』所収
「代理委任」抜粋)

やがて、プリーモ・レーヴィの詩の一行が、やってくる。

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