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ラジオのある風景

スイッチを押すと、〈音の風景〉が始まる。ナレーターが口をつぐむと、音がやって来る。午後の街角の喧騒。花火の上がる夏の夜。雪融けのすすむ川辺。帰宅ラッシュのプラットホーム。音が引き、ナレーターが囁き、もう一度音が押し寄せてくる。

素足で台所にいる私は、おろしたてのコンバースを履いて、喧騒の街角を闊歩する。なれない下駄の鼻緒を指に噛ませて、群青の空を見上げる。ブーツの爪先を川の水に浸したまま、手袋の指に息を吐く。革靴の固さを呪いながら、滑り込む電車の轟音を迎える。コマーシャルが始まると、私は靴を脱ぎ、素足になって台所に戻る。

小さな液晶にトルコの海岸に打ち上げられたシリアの少年の背中が映ったり、香港の学生と警察の衝突が怒声と罵声とともに流れてきたり、見知らぬ人のプリクラ写真とか、友だちの友だちらしい人のバースディケーキを見るともなしに見るような時代に、小さな黒い四角から声が、音楽が、生活音が、不協和音が聴こえたとしても驚くことはない。
好きです、という告白が、雲一つない空を駆け抜けて誰かのスマホに到着し、おやすみなさい、という祷りが、一等星のように明るくあなたのパソコンで瞬く夜、音楽と、ナレーションと、どこかで録取され編まれた音が、スタジオを飛び立ち、みごとな隊列を作って、背後のラジオに向かい羽ばたいてくる様子を思い浮かべながら、銀のシンクを磨き続ける。

蛍光灯の下で鈍く光るステンレス板に、今日の仕事を終えた私のシルエットが歪んで映るころ、荒れた指でラジオのスイッチを切る。そして、嘘のように静かになった黒い四角にむかって呟く─また明日。

緑内障を患った祖母は、まず新聞紙が読めなくなった。向田邦子の〈思い出トランプ〉も〈暮しの手帖〉もただの紙になり、テレビを観るのもだんだん難しくなって、小型ラジオを手放せなくなった。
晩年の祖母を思い出すと、割烹着を着て、ひねもすラヂオをつけっぱなしにし、夜もすがら深夜ラジオに浸りきっている姿が、真っ先に浮かんでくる。 過剰労働に文句一つこぼさないそれは、小さな体の頼もしいやつだった。

ラジオを消せないのは寂しいから?と訊いたことを憶えているのは、その答えがすこぶる印象的だったからだろう。
─消せないんじゃなくて、消さないのよ。窓を閉めたら、世界から置いてかれるでしょ。だから閉めないのよ。ずっと全開にしているのよ。

日中は介助の手を借り、夜は私を頼りながら、100才を目前にした春の初めに最後の入院をするまで、彼女は世界の窓辺に座り続けた。手編みの朽木色の膝かけの上に、しわくちゃになった包装紙のような、白い、小さな手を重ねて。

体調を崩して入院すると、何よりもラジオの電波がきれいに病室に届かないことを嘆いた。
私は一計を案じる。夜な夜な〈NHK ラジオ深夜便〉をカセットテープに録取する。カセットケースに日にちとアンカーの名前を書き、ティッシュの空き箱に、数日分のテープをサンドウィッチよろしくきれいに詰め込んて、祖母のもとに届ける。テープレコーダーにテープをセットし、祖母の巻き貝のような耳に、黒いイヤホンを挿し込む。祖母は大きく目を見開き、「ああ、聞こえる。とっても良く聞こえるよ」と言って相好を崩す。そして、満足げに目を閉じ、頭からラジオの世界に潜っていく祖母を見るのは、言葉に尽くせぬほど嬉しかった。
静かに手を振り、エレベーターで地下1階に降りて、院内コンビニで新しいカセットテープを買うと、足取り軽く家路につく。いまごろ、昨日の深夜便を楽しんでいるだろうか。聞きながら眠ってしまっているかもしれないな。

容態は回復しなかった。テープレコーダーは点滴ポールに押し除けられ、冷たい黒い塊になって、サイドテーブルの下に押し込まれた。それでも、私は深夜の録音を続けた。録音を続けることは、祈りにも似ていた。

ラジオを聴けなくなった祖母は、早回しの映画のような速さで小さくなっていったように思う。世界から置き去りにされた落ち葉は、刻一刻と色褪せ、わき目も振らずに朽ち果てていく。

世の中の動きから遥かな場所で、ひと夏たたかい続けた人は、秋風がか細い口笛を吹く深夜、静かに逝った。
私はレコーダーをサイドテーブルから引き出し、絡まった黒いイヤホンをほぐして、見慣れた貝殻色の耳に挿し込むと、力を込めてスイッチを押す。テープの両目がぐるりと回る。昨日ラジオでかかった音楽が、今宵葬送曲となって、まだ温かな祖母の亡骸に流れ込んでいく。

ラジオのある風景が、瞼裏に浮かんでは消える。

大学院の休日、私はメイヨ―州にある知人宅のゲストルームで目を覚ます。アイリッシュ・シープ・ドッグの片割れが、傍らに寝そべるベッドで身を起こし、200頭もの羊が長閑に草を食む、果てしない野をしばらく眺める。犬と一緒に伸びたり縮んだりして凝った体をほぐし、犬語と英語と日本語であれこれ考え事をしてから、白黒の毛むくじゃらを撫でると、その横にある灰色のラジオをオンにする。

ローカル放送局の女性の声が、感情を抑えて私に告げる。どこどこに住むミス・Mが昨夜亡くなりました。今夜、どこそこで何時から通夜を行います。明日、どこそこで何時より葬儀を行います。
まさか、あの人だ。私と同い年の。

光あふれる眩いばかりの部屋に、ラジオは一点の染みを付ける。そしてその報せは、漂泊された朝の心に、一滴の不穏を落とす。26才の私は、再び果てしない野に目を遣るが、二度と200頭の羊を見ることはない。

動揺した私の腕がラジオに当たり、ガチャンと床に落ちて沈黙する。白黒の犬がひらりと床に飛び降り、灰色の塊となってドアの向こうに消える。
彼女の26間年の人生が終わり、私の26年目の今日が始まる。

兄は抜きん出ていた。小学6年生で、当時の大学受験共通一次試験の数学問題を、数学を使わずに算数できれいに解いてみせ、塾にも通わずに、東京都内最難関とされる高校すべてから合格通知を受け取った。そんな彼にしてみれば、大学受験など鼻歌交じりの楽勝に違いなかった。
片や、妹の私は天才はおろか秀才にもなり得ず、凡才というより盆栽で、黙々と手を動かし、伐ったり捻ったりしながら形を整えることでなんとか人並みになる。そうして私は、深夜の受験勉強を余儀なくされ、18才にして人生なるものを疎んでいたのだった。シビアな兄妹格差。

一人暮らしをしていた兄は、前置きもなくひよっこりと帰ってくることを好んだ。階下で物音がするな、と思った次の瞬間、私の部屋をノックする音がする。眼の下に隈をひろげ、ガリガリ勉強している私を気の毒そうに見つめると、「休憩、休憩」と言いながら、部屋の電気を消してしまう。

凍えるような12月のダイニングテーブルの上には、当時流行していたハーゲンダッツでもホブソンズでもなく、幼いころからの私たちの定番、レディボーデンのアイスクリームがずらっと置いてある。ガスストーブをつけ、ラジオをつけると兄は、私のために椅子を引き、隣の椅子に腰を下ろす。ほら、好きなだけ食べろよ。

あの夜、兄と何の話して笑い転げていたのかもはや思い出すことはできない。お祭りのように賑やかな深夜ラジオが、何の番組であったかも。ただ、徐々に温まっていく部屋の空気の変化と、舌先のアイスクリームの痺れるような冷たさと、屈託のない兄のおしゃべりの向こうで、屈強そうなラジオが陽気に歌ったり踊ったりしている深夜2時の休憩時間に、18歳の妹がどれほど救われたか、いつか兄に伝えたい。

あの頃4人だった私たち家族は、最初の計画停電の夜、誘蛾灯に集まる蛾のようにダイニングテーブルに集った。中心には、LED電気が素っ気ない光を放ち、その隣では、クリスマス用に買ってあった華やかな蝋燭の炎が揺れていた。あの夜、それがこの世の灯りのすべてだった。

怯える8つの瞳にちらつく金の輝き。部屋中の家具を覆い尽くす漆黒の闇。窓の外では、灯らない街灯が街塔となり、濃い闇をいっそう濃くしている。弱い光を見つめながら私は、遥かな海で立ち上がった波が、数多のかけがえのない人生を飲み込んでいくあの映像を、脳内で繰り返し再生することをどうしても止められない。

子供たちはすすり泣く。言葉にならない言葉の代わりに。私は、ミヒャエル・エンデの「モモ」を娘たちに読み聞かせる。自らの混乱を鎮めようとして。夫がラジオをつける。見えない明日に目を凝らすために。

一瞬の無のあと、メロディーが溢れ出す。娘たちは瞬きをし、私は本を閉じ、夫は虚空を見つめる。そして、均しく音楽に満たされる─ビリー・ジョエルの「ピアノ・マン」に。
うんざりするような日常と、草臥れた人生に生きる、冴えない男のどうしようもない物語が、私たちの非日常のテーブルに降り立ち、照れたような目で笑いかける。

午前7時、母はTBSの〈スタンバイ〉をつける。政府を糾弾する森本毅郎さんの声に押し出されるようにして私は門を越える。午後6時半、娘はJ-WAVEのボリュームを上げる。軽やかな音楽と朗らかなトークが私を迎え入れる。午後10時、私はTBSの〈session-22〉を選局する。荻上チキさんの冷静な語りが、斑模様の脳内を格子柄に仕切り直す。そして、家族の寝静まる午後11時、ラジオ深夜便にチャンネルを合わせる。
残りの家事をしながら祖母のことを考える。特段の感傷はない。ただ懐かしいだけだ。でも、少しひりつく。

火曜日のアンカーの低声が耳に囁きかける深夜、もう二度と帰ってこない日々、もう一度会うことの叶わない人びと、再び訪れることのできない場所、損なわれてしまった大切な思いについて考え続ける。
シンクは輝くほどに磨き上げられている。窓から濃い百合の香りが漂ってくる。思い出に浸る一人夜というものはなぜ、こんなにも哀しくて深いのだろう。

東京FMにチャンネルを合わせ、福山雅治さんの〈JET STREAM〉を聴き始める。番組が終わると、軋む階段を上って、娘の部屋に足を踏み入れる。耳に挿されたままのイヤホンを慎重に抜きとり、傍らに落ちたウオークマンをそっと拾いあげる。〈オールナイトニッポン〉火曜日のパーソナリティー、星野源さんの穏やかな声が手のひらに伝わってくる。そういえば源さんも高校生のとき、ラジオに救われたって何かのエッセイに書いてたな。
そして、読書灯を頼りにラジオを消し、娘の規則正しい寝息にしばらく耳を傾ける。

「人生はごくたまに、自分がいつまでも永遠に生きられると確信できる瞬間が訪れる」

(フランシス・ホジソン・バーネット『秘密の花園』)

追憶が引き、哀惜が囁き、もう一度思い出が押し寄せてくる。

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