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20年前の景色・ー宇多田ヒカルー、そして共有したいという思いと希望

7月4日、今日は、プールとマクドと雨とわかった事。

最近よく宇多田ヒカルを聞いている。いい曲だよなーって思いながら。宇多田ヒカルが社会現象的にヒットしていた頃は、たぶん20年前?時間の経過は早い。その頃の事を少し思い出した。

大学生、何回生かは忘れたが、大阪の中心地京橋に引越しして、コンビニでバイトしてる頃、店内のUSEN?の聞こえてくる音楽が、宇多田ヒカル浜崎あゆみとかがヘビロテに流れていたので、一番はそのコンビニバイトの頃の情景が浮かぶ。

悶々としていたなって思って。自由はあったし、好きなバンド活動もして、でも何か満たされず、何も満たされず、ただ日々が過ぎているって気がしてて。自分が何者で、何をしたいのかって事が全くわからず、一人で京都へよく行って自分はここに来たかったのに、、、なんて思ってたな。(卒業後は強引に京都へ引越した)

聞いているのは、宇多田ヒカルの『First Love』このアルバムやっぱいいなー。歌唱力ももちろんだけど、楽曲がやっぱいんだろうなーって思う。

ここから話は逸れます。ここ最近の不安定な未来と宇多田ヒカルの曲が書かせていますきっと。

いい音楽、いい映画、いいドラマ、いい景色、いいデザインに出会った時に感動するのは、この思いを共有したいって思う事が理由の一つにあるのかもしれない。

町づくりもそうで、なんかさ、もういろんな人の理由とか、プライドとか、固定観念とか状況とかいろいろあるだろうけど、みんなでどでかい目標掲げてそれに向かって思いを共有できないのかなって思う。

共有できる人がまとまって、何か未来に向かって希望を抱けないのかなって思う。田舎だからとか、人がいないからとか言ってたらそのまま何も変わらず全てが無くなる方向にしか向かっていかない。地域の課題なんて、はっきり言って馬鹿でかいので、ちょっとやそっとで解決できるわけがない。わかっているのに進めない自分も情けない。

明確な、いや明確でなくてもいい、希望が必要だきっと。今。

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