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家族という呪いと解放

わたしをまっすぐ見てくれなかった母

小さいころから、「家族」という言葉にコンプレックスがあった。家族と、特に母と、うまく関係を築くことができなかったからだ。

我が家は4人家族だった。出版社に勤める父と、塾の先生をしていた母、そして2つ下に弟がいる。わたしは長女だから、「優等生に育てなきゃ」という思いが強かったのだろうか(話したり字を読めるようになるのが早かったらしいから、余計に期待が高まったのかもしれない)。幼稚園のころから塾に通わされ、宿題を毎日やらされていた。

塾の勉強がつまらなくて、イヤでイヤで仕方なくて、教室で泣きわめいていたのを覚えている。そんな姉を見ていたからだろう。弟はおとなしく要領よく宿題をこなし、先生にほめられるような子だった。

「弟は素直でいい子なのに」という言葉を、母からなんど聞いただろうか。塾の成績を母に報告するとき、「〇〇ちゃんはどうだったの?」と友人と比較されなかったことはあっただろうか。

他人と比べることなく、純粋にわたしのことだけを見てはくれない母に憤りを覚えた。「自分のことだけを見てほしい」と伝えるような素直さを持ち合わせていなかったわたしは、「母が文句のつけようのないくらい、完璧な成績をとってやる」と、反抗心から勉強をがんばるようになった。勉強に打ち込むにつれ、母とは必要以上に会話をしなくなっていった。

ホームドラマで描かれる「正解の家族」

そんな母との、唯一の共通の趣味と呼べるものが「テレビドラマ」だった。テレビドラマが好きな母の隣で、昔からよく一緒に観ていた(幼稚園のときには『東京ラブストーリー』の再放送を観ていた記憶があるから、かなり早熟だったと思う)。

テレビドラマ、いわゆるホームドラマと呼ばれるもののなかでは、母親の子どもに対する純粋でまっすぐな愛や、紆余曲折あっても最終的には固い絆で結ばれる親子の姿が、よく描かれていた。

『天までとどけ』『大好き!五つ子』『キッズ・ウォー』『渡る世間は鬼ばかり』──いずれも母と同じ部屋で観ていたドラマだ。そこに出てくるような仲のいい家族が、「正解」なのだと思っていた。

「なんで、わたしの家族は正解じゃないんだろう?」

ドラマを観ながら、正解の家族への憧れはつのりつづけた。

同じドラマを観ていた母は、そこになにを見ていたのだろうか? 隣にいながらも、感想を言い合うなんてことはなかったから、母がそこに自分の家族をどう重ね合わせていたのかはわからない。

わかりあおうともしないまま、わたしは「自分の正解の家族」をあたらしくつくりたいと願うようになった。将来の夢は、「はやく結婚して、子どもを産むこと」。母とは出せなかった正解を、自分の夫と子どもと、導き出したかった。

「家族ってなんだ?」結婚して芽生えた問い

27歳で結婚した。周りの友人と比べても、わりとはやいほうだったと思う。

そのときは転職をしたばかりだったかったから、子どもはしばらくつくらないことにしたが、わたしはあたらしい家族を手に入れた。

夫は家族ととても仲がよかった。親や兄弟だけでなく親戚ぐるみのつきあいも多く、祖母も住む夫の実家には、いとこや叔父叔母もよく集まっていた。まさに、ホームドラマ! わたしが思い描いていた理想の家族が、そこにはあった。

そんな家庭で育った夫は、親との関係をこじらせているわたしのことが、あまり理解できなかったのだろう。どうにか関係を修復させようと、両親との食事会をセッティングしたり、わたしに代わって母の日・父の日に贈り物をしたりと、橋渡しをしようとしてくれた。

しかし、20年以上かけて頑なになったわたしの心は、なかなかほどけることはない。これまでの確執をなかったことにして、急に笑顔で関係を築き直すことはできなかった。巣立った家族との関係修復に心を砕くよりは、あたらしい家族との関係構築に注力するほうが、賢明だと思っていた。

夫から「家族は仲がいいほうがいい」「親にはやさしくしなくてはいけない」という価値観を暗に示されるたびに、天邪鬼なわたしは、「ほんとうにそれが正しいの?」と疑問を抱くようにもなっていった。もともとその「正解」にとらわれていたのは、自分なのに。

「家族ってなんなのだろう?」

わたしのなかで、その問いは徐々に大きくなっていく。

夫にさりげなく問いかけてみても、「正解」を返されるだけ。正解以外の選択肢はないの──? 悶々と悩んでいたわたしの心に光をさしてくれたのは、大好きなテレビドラマだった。

『カルテット』が教えてくれた、あたらしい家族の可能性

坂元裕二という脚本家がいる。

幼いころに母と観ていた『東京ラブストーリー』の脚本家でもある彼は最近、戸籍や血のつながりのない「疑似家族」をテーマにした作品を多く描いている。

『カルテット』は、一流にはなれなかったけど、それでも夢を諦めきれない4人の奏者が軽井沢で共同生活をおくる話だ。

満島ひかり演じるすずめが、確執のあった実の父親の死に立ち会うべきか迷っているとき、同居人の真紀(松たか子)はこう言う。

すずめちゃん、軽井沢帰ろう。病院行かなくていいよ。カツ丼食べたら軽井沢帰ろう。いいよいいよ、みんなのとこに帰ろう。

わたしたち同じシャンプー使ってるじゃないですか。家族じゃないけど、あそこはすずめちゃんの居場所だと思うんです。髪の毛から同じ匂いして、同じお皿使って、おんなじコップ使って。パンツだってなんだって、シャツだってまとめて一緒に洗濯物に放り込んでるじゃないですか。そういうのでもいいじゃないですか。(『カルテット』第3話より)

わたしが知っている「正解」だったら、「いろいろあったかもしれないけど、実のお父さんなんだから、最期くらい笑顔で見送ってあげよう」のはずだ。

でも、ちがった。実の家族よりも、自分の気持ちと、自分がいま大切にしたい「家族」を優先していい。そんな「解」を出してもいいことに、おどろいた。

家族のいない4人が閉鎖した印刷工場に住み、ニセ札造りに手を染めていく『anone』も、血のつながりを超えた絆を描いている。

自分の娘(夫と愛人の間にできた娘)に嫌われていた亜乃音(田中裕子)は、一緒に住むようになったハリカ(広瀬すず)の母親のような存在になっていく。

もし何かあったときは、私がお母さんになってあなたを守る。偽物でもなんでも、私があなたを守る。だからあなたは私の側にいて。私の側から離れないで。(『anone』第7話より)

暮らしを共にし、お互いがそこを居場所だと思ったら、家族になれるのではないか? 血縁や戸籍だけが家族ではないのではないか?

血のつながりより濃いシャンプーのつながりがあってもいい。なろうと思えば、だれの娘にだってなれるのだ!

この2本のドラマは、わたしにあたらしい家族の可能性を見せてくれた。

事実婚、養子縁組、シェアハウス──これも家族のかたち

家族にもいろいろなかたちがあるのかもしれない。

そんな仮説を持って世の中を見渡してみると、さまざまな家族のあり方を選択する人がいることに気がついた。

事実婚を選ぶ人もいる。同性パートナーが、異性の友人の協力を得て子どもをつくることもある。シェアハウスやコーポラティブハウス(*)など、他人と近い距離感で共同生活を営む人も増えている。

20代で結婚して、二人以上の子どもを生んで、妻は専業主婦になる。それが当たり前ではなくなった。これから時代に合わせて、「家族」という言葉の定義はどんどん拡張していくのではないだろうか。わたしも、血縁や戸籍上の家族だけにとらわれる必要はないのかもしれない。

*コーポラティブハウス……居住希望者同士で組合をつくり、自らが事業主となって建物の企画・建築を行う集合住宅のこと。テレビドラマ『隣の家族は青く見える』でも描かれた、住まいのあり方のひとつ。

正解がないから、希望がある

さて、わたしのあたらしい家族づくりへの挑戦は、うまくいかなかった。ひと月ほど前に離婚届を提出し、夫は、元夫になった。

離婚の理由は、いまこのタイミングでお互いが家族というものに求める価値観のちがい。モヤモヤと抱いていた家族観のちがいを、埋めることはできなかった。

結婚当初は、「夫とあたらしい家族を築く」ことに期待と希望を抱いていた。それが夢半ばで終わってしまったのであるが、意外なほどに落ち込んでいない。戸籍上の婚姻関係だけが正解ではないと、いまのわたしは知っているから。

元夫のことは、いまでも人として好きだ。お互いに納得して離婚をしたので、関係は非常に円満。わたしのダメなところも恥ずかしいところも、いろいろ知っている人間だけれど、もう家族ではない。血のつながりもない、「元家族」という程よい距離の、あたらしい関係を築けるかもしれないという期待が少しある。

母にLINEで離婚の報告をしたら、なかなかにひどい言葉が返ってきたので、それ以来連絡をとっていない。これまで橋渡しをしてくれた夫がいなくなり、母との距離感はまた遠のいていくかもしれない。でも、いまのところは、それでもいいかなと思っている。


いま、わたしの中には、家族についての選択肢がたくさんある。もしかしたら、また誰かと婚姻届を出すことがあるかもしれないし、事実婚をするかもしれない。あるいは、別のかたちで共同体を築くかもしれない。どれが「正解」でもないから、そのときに、自分にとって一番自然な選択をすればいい。いつの日か、わたしなりの家族を築くことができればいい。

「家族には正解のかたちがある」と信じていた過去に感じていたプレッシャーや感傷からは、解放された。

家族の定義は、自分で決めていい。

いま、わたしが家族という言葉に抱く感情は、コンプレックスではなく、希望になった。

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