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#7報われない努力もあるという認識

努力は必ず報われる。よく聞く言葉だが、本当にそうなのだろうか。

私には尊敬する人がいる。
高校時に所属していた陸上競技部の同期だ。

彼女は、小学校から高校まで約12年間に及んで陸上競技に励んできた。
私が一緒に陸上競技をしたのは、高校の3年間だけだあったが、当時の彼女の努力量は圧倒的だった。

朝練は、誰よりも早く来て、夜練は、誰より最後まで走っていた。
オフ日には、顧問とマンツーマンで練習していた。
電車なら10分で通えるところを、体力をつけるために毎日往復1時間半もかけて自転車で通学していた。それに対し、一切の文句も言わず、常に自分と、そして陸上競技と向き合い続けていた。そんな存在だった。

果たして、彼女の努力は、報われたのだろうか。高校3年間で結果は出たのだろうか。

残念ながら、彼女は、小学6年次にマークした自己ベストを、中学高校の6年間をかけても更新する事ができなかった。

そして、高校1年次に県大会で入賞した種目があったが、高校3年次には、同種目で地区大会予選敗退に終わり、陸上人生に終止符を打った。

“努力は必ずしも報われるとは限らない”

どれだけ努力したとしても、結果が出ないことだってある。努力量が自分より少ない人に負ける事だってある。私は当時、彼女の陸上人生を間近で見て、そう知った。

では、努力をする行為は、時として無駄になってしまうのか。結果が出なかった人にとって、あの時の努力って無意味なのだろうか。

私は、意味のあることだと思っている。なぜなら、努力したという事実は消えないからだ。

努力したら必ず報われるとは思わない。
また、努力抜きに報われることはない、とも思わない。ただ、努力したという過去が自分の中に残る、それだけでも充分に意味のあることなのではないだろうかと思う。

吐きながらも走り続けたあの日々も、大怪我しても下を向かずにリハビリに励んだあの日々も、精神的に落ち込みながらも筋トレに没頭したあの日々も、自分の中に残り続ける。その過去は決して色褪せない。

それをしても尚、報われなかった時は、結果が出なかった時は、どうなるのだろうか。

私の場合、正々堂々と結果を受け止められるのだと思う。一生懸命やり切ったからこそ、結果が出なくても完全燃焼で終われる気がする。

そして、次に何かに打ち込む際に、より正しい努力をしようと思考できるし、前これだけ頑張れたのだから、今回もまた少しだけ頑張ってみようと踏ん張れるのだと思う。

だからこそ、報われなかったとしても、その努力には、大いなる価値があるのだと、私は思う。

社会人になり、結果、数字に追われる日々がこれから続くだろう。
そんな中で、結果が出なかったとしても、腐らないこと。もがきまくったあの日々を思い出して、踏ん張り続けること。その気持ちを、私は絶対に忘れない。

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