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2020年8月1日付の中日新聞総合面に記載頂きました。

20200801_中日新聞記事

最近太ってしまったので写真うつりは不満です笑

今までご注文頂いていたのは酒屋さん経由、InstagramやFacebook、個人的な知り合いが大半を占めていました。

ところが、というか当然というか、、、
昨日記事を掲載頂いた後は注文があれよあれよと。

新聞記事の影響を改めて感じました。
掲載頂いた中日新聞様誠にありがとうございました。

紙面の文字数や分かりやすさの問題から、1点表記が簡略化されていますので、ちょっとだけこちらで捕捉したいなと。

お酒を飲んだのは通夜の晩ではなく、通夜の寝ずの番(蝋燭の火が消えないように番をするのです)の時でした。

そのため、正確にはお通夜の前の晩で、他の人もいない状況で祖父と向かいあってお酒を味わうことができました。
飲んだのはまだ自宅に残っていた「敷嶋 純」です。

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今までも「純」は何回も飲んでいました。
純米大吟醸らしい、華やかできれいなお酒です。
でも、この時は音もなく、薄暗い中で話しかける人もいなかったので、多分お酒の味に集中できたのでしょう。
メロンのような吟醸香、口に含んだ時の甘みの広がり。
五臓六腑へ染み渡るお酒でした。

飲みながら、ふと生き死について考えていました。
生物は種として、子孫を残して死んでいきます。
それは人間も当然同じこと。
そんな中9代目として生まれた自分は何か残せるのか。
お酒造りを通して、極一部でも日本の、知多の文化を造ってきた一端をうちの家は担っていたはず。
それなら、お酒をもう一度造ることによって自分の、伊東の家の意味をまた残すことができるんじゃないか。
それが9代続いている自分の宿命なんじゃないか。

それなら、もう一度お酒造りをはじめよう。

横たわる祖父を見ながら心に決めました。

ずっとドコモで社会を変えるんだと思って働いていましたが、一方で自分しかできないことではないなとも感じていました。
そのため、実家に戻ろうとはなんとなく思っていました。
口ではお酒と言っていたりもしていました。
ただ、明確に「酒造り」を意識したのはこの時です。
祖父の死、そしてそこで飲んだ敷嶋の純。
このお酒が人生を大きく変えたのは間違いありません。

ちょっと自分の中で大事な出来事だったので細かく書いてしまいました。

ただ、そこから具体的な行動に移せたのはだいぶ後です。
とは言っても具体的に何をすればいいのか。
安定した生活があった中、捨てる勇気、決断するという重み。
なかなか踏み出せませんでした。

また自分の中の整理も踏まえてここに書きたいなと思います。


重ねての御礼とはなりますが、掲載頂いた中日新聞様誠にありがとうございました!!


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