見出し画像

2020シーズンでチームを去る選手たちに寄せて

 2021シーズンの開幕カードが発表され、ブラウブリッツ秋田をホーム敷島に迎えることとなった。それに続き、今シーズンのユニフォームデザイン、選手背番号もリリースされ、一気にシーズンの幕開けが近付いていることを実感した。新体制発表・必勝祈願も終わり、チームは久々にキャンプへと向かう。コロナ禍で日程がイレギュラーになった分、カレンダー的にはつい最近まで2020シーズンの公式戦が行われていたが、例年になくシーズンオフが短く感じる。
(注:書き始めた時にはこんな時期だったけど、何だかんだしているうちにチームは沖縄から帰ってきてるし、気づけばもう開幕までカウントダウン…)

 そんな時期ではあるが、新シーズンの陣容が明らかになったということはつまり、昨シーズンをもってザスパクサツ群馬を去った選手が確定したこととなる。カテゴリーが変わった&理解不能な(理解したくもない)横槍が入ったことにより、否が応にも選手の入れ替えを余儀なくされた2019→2020に比べれば、大幅なシャッフルはなかった。これは、これまで「活躍しては持っていかれる」サイクルを繰り返していた草刈り場状態からの脱却の第一歩であり、プレーする場として"選ばれる"クラブになっていっているのかもしれない。コロナ禍で各クラブは緊縮方向に舵を切らざるを得ず、例年よりも移籍市場の動きが鈍化していたことは当然考慮しなければならないが、チームの軸を失わずに戦えるのは大きい。
 それでも、チームを去る選手がいないシーズンは非現実的であり、必ず別れがやってくる。2020シーズンでチームを去った選手は10人となる。

GK 33 蔦 颯

 2019シーズン始動直後にキムチョルホが負傷離脱したことを受け、緊急補強によりアルティスタ浅間からやってきた蔦。前育出身で吉田舜の1つ先輩である。2019シーズンに8試合(+天皇杯1試合)でベンチ入りしたが、2シーズンでJリーグのピッチに立つことは叶わなかった。1人しか試合に出れない特殊なポジションであるため定位置争いは常に熾烈を極める。2019年にJ2昇格を勝ち取れたのは吉田の活躍も大きかったが、その要因の1つシュナを中心としたGK陣全体で高め合ったことであるだろう。

 2021シーズンからはヴァンラーレ八戸に活躍の場を移すことになるが、次の舞台での飛躍を期待したい。

画像2

画像2

画像3

DF 2 舩津 徹也

 舩津がウチに来たのは2016年。開幕戦は中盤で起用されると出色の出来を見せた。因みに、足が攣り56分で途中交代したが、代わりに出てきたのが後にレギュラーを掴む中村駿だった(尚、中村の起用に対し白黒に左遷させようとしていた某Sが激怒したのは一部界隈では有名な話でもある)。続く2節では、サポーターの度肝を抜く弾丸ミドルをぶち込み、とんでもない中盤の選手がザスパに来たなと印象付けた。
 その後は右SBもしくはCBでどのシーズンもコンスタントに試合に出続けた。クラブが空中分解してJ3に落ちた時も、いち早くチーム残留を決断してくれた。J3での2年間は苦しんだ場面の方が多かったが、チームを明るく鼓舞し続けた舩津の存在は大きかった。
 3年ぶりにJ2に帰ってきた2020シーズン。前例のない超過密日程となった影響は色濃く、チームとしても舩津自身としてもコンディションの波が大きく、苦しんだ。しかし、徐々に状態が改善されるにつれ出場時間も長くなっていった。特に印象的だったのは、28節の甲府戦。リーグ屈指のドリブラー泉澤に対し常に自由を与えず、ほぼ仕事をさせず完璧に封じ込めた。37節町田戦での岩上との右のコンビネーションも見事だったように、シーズン終盤の快進撃において、船津の活躍は素晴らしかった。守備は勿論、インナーラップ・オーバーラップのタイミングがとても良く、相手の脅威となった。

 やはり、辛かった2017年を一緒に経験した選手がチームを離れるのは寂しく感じる。選手たちに慕われていただけでなく、足元が時々危ういのも含めて、サポーターから愛される選手だった。岐阜に移籍することとなったが、富山時代の監督である安間氏に声を掛けられたのだろう。本人のコメントにもあるように、岐阜をJ2に昇格させて、また敷島で会える日を願う。

画像4

画像5

画像6

画像7

画像8

画像10

画像11

画像12

画像13

画像13

DF 3 鈴木 順也

 2019シーズン、大八と共に立正大から加入したCB。桐一出身であり、当初から期待されるルーキーだった。早速開幕戦でベンチ入りすると、6節セレッソ大阪U-23戦で途中出場しデビューを果たす。しかし、投入直後に失点し、苦い初舞台となった。宮崎に武者修行した大八と同様に、順也にもレンタルの話があったようだが、条件が合わずにまとまらなかった。昇格するチームの中でトレーニングを行うのと、カテゴリーを落としても試合経験を積むことのどちらが良いのかは答えのない選択だが、結果論としてはもっと経験を積ませられていれば、違った別れになっていたかもしれない。
 2020シーズンも、なかなかチャンスが巡ってこなかった。開幕戦は途中出場するも、またもや投入直後に失点。久々にスタメン抜擢となった金沢戦ではチームビルディングの未熟さも相俟ってルカオに違いを見せつけられ、故障もあり無念の前半途中での交代となった。その後も出番は限定されてしまった。

 結局、ザスパでの2年間で9試合、229分の出場に留まった(リーグ戦のみ)。本人が苦しかったとコメントしているように、なかなかポテンシャルを発揮する機会に恵まれなかった。2019年の天皇杯大宮戦でのパフォーマンスは、今後の希望を抱かせるようなものだっただけに、もっとウチでのプレーを見たかった。個人的には、レンタルで環境を変えて、いずれもう一度紺色のユニを着てもらいたかったが、鳥取に誘われたのも何かの縁である。自らの力を存分に発揮し、羽ばたいてほしい。大八・順也でCBのコンビを組む姿は、どこで実現したとしても、ザスパサポーター誰もが望む光景だ。

画像14

画像15

画像16

画像17

画像18

DF 4 岡村 大八

 順也と共に期待されて加入したCB。前育時代は鈴木徳真、渡邊凌磨、吉田舜らを擁し選手権準優勝を経験するも、メンバー入りのみに留まっていた。大学時に立正大の関東1部復帰に大きく貢献。
 2019シーズンは、鈴木と同様に起用されながらもスタメン定着とはならず。夏に宮崎へとレンタル移籍すると、急成長を見せる。9試合フル出場で経験を積むと、宮崎側から熱烈な引き留めがありながらもザスパに復帰。
 2020シーズンは宮崎の地で得た自信を胸に、開幕戦からフル出場を続けた。42試合3780分フルタイム出場はリーグでも2人、フィールドプレイヤーとして唯一の記録となった。試合を重ねる毎に頼もしさを増し、終盤戦ではどのFWにも当たり負けせず、完全に抑え込んだ。鹿島の強固な守備にルーツを持つ指揮官、ピッチ上では岩上、舩津、広大といったベテランたちに常に「ハチー!」叫ばれ続けたことも、成長の大きな要因だ。最終戦は、リーグ得点ランクトップのウタカとのマッチアップでも格の違いを見せつけるだけでなく自らのゴールでチームを勝利に導き、J2にいるスケールの選手ではないことを証明した。データ面でも大八の活躍は際立っており、Football-Labの守備ポイントランキングではJ1昇格に貢献した上島拓巳(福岡→柏にレンタルバック)を抑え堂々のトップとなっている。

 シーズン中盤から最早ウチにいるには勿体ない存在だと思わされていたが、兼ねてより噂のあった札幌に完全移籍。3バックの一角を担っていた進藤があっさり桜に移籍したことで、いきなりスタメン奪取できるチャンスも十分ある。前育時代の1つ後輩の金子拓郎とも再会する。ミシャの下でビルドアップの能力が向上すれば、いよいよ青色のユニフォームが見えてくると期待できるほどの存在。「岡村大八はウチが育てた」と誇らしく語る日も近い。

画像19

画像20

画像21

画像22

画像23

画像24

画像25

画像26

画像27

DF 6 飯野 七聖

 七聖も96年組。アルビレックス新潟ユースに在籍するもトップチーム昇格は叶わず国士舘大に進学。大学4年時にアルビレックス新潟の練習参加するも、またもや獲得の打診がなく断念。プロへの道が閉ざされかけた状況で、ザスパからのオファーが舞い込み、加入することとなる。
 開幕戦の秋田戦でいきなり翔大のゴールへのアシストを記録するなど、縦への突破はウチの生命線になると思われた。しかし5月に負傷すると、代わりに出場機会を得た吉田将也が台頭。一気に立場が逆転し、七聖は復帰後も思うように出場時間が増えなかった。それでも、腐らずにプレーを続けていたことにより、シーズンが佳境になるにつれて左サイドで長い時間起用されることが多くなった。迎えた32節のガンバ大阪U-23戦。負ければ昇格が絶望的になる状況下での53分、姫野のヒールを受けると右足一閃。プロ初ゴールとなるゴラッソをぶち込み、昇格への望みを繋いだ。あのゴールはクラブにとっても七聖自身にとってもターニングポイントとなった。
 迎えた2020シーズン、古巣新潟を迎えての開幕戦に七聖はメンバー入りすらしなかった。コンディション不良とのコメントは一応あったが、チーム内での序列は決して高くはなかった。中断を経てのリーグ再開後も出場機会が多いわけではなかったが、短い時間の中で縦への意識を前面に押し出して闘い続けた。終盤にかけてコンディションも万全になり試合勘も戻ってきたこと、そして何より七聖の前にKJがいたことにより、左サイドを切り裂く働きが冴えた(右の稔也とも相性が良かったため、当然右SBでも機能)。新潟に乗り込んだ40節では、ビックスワンを静まり返らせるゴラッソを叩き込み恩返し。最終節の京都戦では長い距離ドリブルで切り込むプレーを披露するだけでなく、負傷により数的不利に陥った際、ピッチ上の選手たちとのコミュニケーションを頻繁にし、意思統一を図っていた姿も印象的だった。

 森下が引き抜かれた後釜として鳥栖に移籍。左右どちらもこなせるが、やはり左サイドをオーバーラップしていく七聖は、最終盤のウチの大きな武器となった。バレてても警戒されていても止められない縦の仕掛けは鳥栖でも存分に見せつけてほしい。

画像28

画像30

画像31

画像32

画像33

画像33

画像34

画像35

画像36

画像75

DF 39 高瀬 優孝

 2019シーズンは昇格のライバルとして鎬を削っていた熊本から加入し、3年ぶりに帰ってきた。2016シーズンは豊富な運動量と攻撃参加で活躍したが、膝の大怪我により離脱。翌シーズン復帰するも、チームが崩壊していて優孝自身のコンディションも回復しないまま大宮にレンタルバックとなった(その後熊本に移籍)。

 2020シーズンは、左SBの主軸としてサポーターからも期待されていた。しかし、未曽有の過密日程を考慮してか時間限定の起用が続いた。小島が台頭した煽りを受け、出場時間も減った。アウェイ水戸戦の翔大へのアシストなど攻撃面では違いを見せていたが、ディフェンスの機能性を重視するチーム方針の中では活かし切れなかった。攻撃に厚みを加えたい場面ではもっと起用すべきではなかったかと個人的に思う部分もあるが、致し方ない。

 終盤にかけてはメンバー入りもない状況だったため、他チームへの移籍は残念ながら既定路線気味だった。残留争いのライバル秋田に行くのはウチにとっては脅威だが、秋田のスタイルにフィットするだろう。いきなり開幕戦で対戦するが、バチバチしたバトルを見たい。

画像37

画像38

画像40

画像40

画像41

MF 23 磐瀬 剛

 2019シーズン夏に京都より加入。市船で布さんの指導を受けていた経緯からウチに来たことは想像に難くない。加入後すぐにメンバー入りし、主に京介と交代して試合をクローズする役割を担った。KJの守備の負担を軽減するように左サイドのケアをしつつ、祥と共に球際の強さを見せた。昇格のかかった最終節の福島戦では、オーバーラップからPA内に侵入したところで相手と交錯しPK奪取。このPKを高澤が落ち着いて決めたが、結果的にこれが決勝点となり昇格を決めた。磐瀬は昇格の陰の立役者といってもいいだろう。
 2020シーズンは、前シーズンがレンタルだったこと+監督を山賊に狩られたことによってウチに残るかは微妙だったが完全移籍で獲得。しかし、シーズン序盤はコンディション不良によりなかなか試合に絡むことが出来なかった。17節徳島戦で戦線復帰しスタメンで存在感を示す試合もあったが、23節山形戦でカウンターの大チャンスをレイトタックルで潰されたのは痛かった。勿論敵陣にも入っていない位置だったが、間違いなく数的優位な状況を作れていた分、あのままフィニッシュまで持っていければというモヤモヤは残る(たらればはキリがないが…)。その後、内田が怪我から復帰すると再びメンバーから遠ざかることとなった。

 シーズンオフの早いタイミングから噂にはなっていた韓国2部安山グリナーズに移籍。ボールを刈り取る能力はチーム随一であり、マツ、秋葉、サク、誠秀等々、ウチの中盤に必ずいた6番系統のプレイヤーだった。2020シーズン終盤のCMFのタスクと合わなかったが、あの球際の強さはコンタクトの激しい韓国の舞台で必ず活きるだろう。いつかクールな顔でがっつりボールを狩る姿を、また敷島で観たい。

画像42

画像43

画像44

画像45

MF 35 宮阪 政樹

 選手を大事にしない某クラブから2020シーズンに加入した中盤の名手。対戦時はあのシュートもロングフィードも怖さしかなかったが、味方になるととても頼もしかった。

 開幕戦及び再開後しばらくは中盤の底で起用されていた。チームの骨格が定まっていない中で、そのしわ寄せが中盤に来てしまい、攻守で精彩を欠く場面も散見されたが、そんな状況下でも豊富な経験を基に奔走していた。5節の古巣山形戦では、らしいミドルショットを決めシーズン初勝利に向けての口火を切った。宮阪の働きがなければ、チームは空中分解していたかもしれない。
 24節千葉戦でこれまで何度か試していたアンカーに岩上を置く形を初めて90分通して採用(通称岩上システム:全然通称じゃないけど、大前システムより岩上システムの方が言い得てると思う)。これにより最終ラインからのビルドアップの出口問題が解消されただけでなく、2CBの間で岩上が位置することにより相手FWを挟みやすくなった。中盤の選手のポジショニングもはっきり出来るようになり、シーズン序盤に見られた寄せの甘さは改善され、負担軽減に繋がった。一方で、岩上が中央でゲームメイクできるため、中盤のもう1枚より守備で特徴を持つ選手を選択するようになっていった。宮阪の出場時間もそれに伴い若干減った。それでも、途中出場で攻撃のリズムを生み出し、スタメン起用された試合ではゲームを組み立てた。特に、37節町田戦・39節栃木戦は強い印象を残した。町田戦では岩上を右のWBで起用する片上げの可変5バックを用いたことにより、中盤のタクトを宮阪が振った。自らもミドルシュートを沈め、快進撃の流れを作った。ダービーでは、逆転され敗戦濃厚の90分にPA内に走り込み、林の落としからゴールを決め、土壇場でダービー全敗の屈辱を免れた。

 試合途中で流れを変える稀有な存在だったことから、残ってほしい思いは当然あるが、中盤の選手がダブついており、多少ディスカウントされてただろうとはいえ人件費を考えると決断も仕方ない。次の舞台は2020シーズン最後の最後に昇格を逃した長野。慣れ親しんだ長野の地でチームをJ2へと導き、また南長野で再会することを期待したい(早く南長野遠征したいけど、あくまで戦うカテゴリーは"J2"で)。

画像46

画像47

画像48

画像49

画像50

画像51

画像52


FW 9 岡田 翔平

 2017シーズンに鳥栖から加入。ゲームモデルがなく、最悪のチーム状況の中、FWとして気を吐いた。開幕当初は最前線で起用されるも、シーズン途中のカンスイル加入後は主に1.5列目で出場することが多かった。31試合に出場し4ゴールを記録したが、チームは降格。その中で岡田はチーム残留を決意し、早い段階で契約更新のリリースが出たことを憶えている。
 迎えたチームとしても岡田個人としても初のJ3の舞台。開幕直後は独特の色を持つチームが多いJ3にアジャストできずチーム全体として得点力不足に陥ったが、岡田は8節北九州戦、9節相模原戦、10節長野戦で3試合連続ゴールを決める。特に南長野で見せたボレーは印象的なゴラッソだった。しかし、6月下旬の練習中に左膝前十字靱帯断裂及び左膝内側側副靱帯損傷(全治8か月)の大怪我を負い、シーズンが終了してしまった。一説によると某Sの我儘で下増田の芝のグラウンドが使えず、人工芝での練習を余儀なくされ、そこでの怪我だったという。岡田がいなくなったチームは攻撃の再構築を余儀なくされ、結局シーズンを通して得点力不足に泣き、J2復帰を逃した。
 翌2019シーズンも前年の怪我により開幕には間に合わなかったが、5月からメンバー入りすると、元来の働きを見せ5ゴールを決め、J2昇格に貢献した。
 久々にJ2に帰ってきた2020シーズンは、開幕戦と再開後初戦には途中出場したものの、その後は出場機会がなかった。7月末には左太腿の肉離れで離脱。結局シーズンを通して26分間の出場に留まった。

 2021シーズンより関東リーグに参入する南葛SCに移籍が決定。チャレと戦うことになる。膝の怪我によってプレーできない時間が長くなってしまったのは痛手だったが、やはり2017年、2019年を共に戦った選手が去ってしまうのは改めて残念。同じく膝を怪我した青木翔大への精神的なケアも行っており、翔大は岡田のことを尊敬、かつ溺愛していて、チームを離れることを悲しんでいた。選手からだけでなく、ダンクとコラボしてプリンを販売するなど、ピッチ外でもサポーターに慕われる選手だった。個人的に湘南時代の一瞬で抜け出して得点を奪うプレーぶりが強く印象に残っていて、ウチに移籍してきたときは嬉しかった。次のチームでも多くの人に慕われる選手となるだろう。

画像53

画像54

画像55

画像56

画像58

画像58

画像59

画像60

画像77

FW 13 林 陵平

 言わずと知れたJ2のレジェンド。ヴェルディユースから明治大学に進学し、大学3年時は天皇杯において5得点を記録して4回戦進出を果たし、ジャイアントキリングに大きく貢献した。
 2009年よりヴェルディに加入し、初年度から活躍。因みに初スタメンを果たした8節の鳥栖戦では、開始6秒で退場者を出すという前代未聞の状況の中、74分にJリーグ初ゴールを決め、2-0の勝利にチームを導いている。この年は32試合に出場し6ゴールと活躍を見せるも、クラブの財政難により移籍せざるを得ず、柏レイソルへと移籍する。
 2010年シーズンは、J2で圧倒的強さを見せつけた柏の前線の一翼を担った。北嶋秀朗、田中順也、工藤壮人、ホジェル等々の破壊力抜群のFWとのポジション争いは熾烈だったが24試合(うちスタメン14試合)に出場し10ゴールを記録。ゴール数を2桁に乗せたわけだが、これにも紆余曲折があった。32節水戸戦のドッピエッタにより2桁にリーチを掛け、続く33節岐阜戦では、57分にレアンドロドミンゲスの上質のボールに合わせ、見事2桁ゴール達成かと思いきや、最後に北嶋が押し込んだことにより、林のゴールにはならず。その後もゴールを決められず迎えた最終戦の相手は、何とウチ。前半から好き放題にやられまくったわけだが、67分にしっかり林にゴールをプレゼント(工藤がもらったPKだけど)。ゴールセレブレーションでもしっかり「10」ゴールをアピール。この時から、林とは何かの縁があったのかもしれない。
 翌2011年は、北嶋の好調、田中・工藤の成長もあり、リーグ戦では14試合出場1ゴールに留まったが、開催国王者として出場したCWCでは、準々決勝のモンテレイ戦で途中出場すると、PK戦では5番手のキッカーとして冷静にPKを決め、勝利を手繰り寄せるラッキーボーイ的活躍をした。
 2012年も前線の層は厚く、更にシーズン前のグアムキャンプ中に左足の内転筋を怪我して出遅れ、出場機会が少ないことから、夏のウィンドーでJ2山形にレンタル移籍。16試合に出場し2得点を挙げた。この当時の山形の監督が奥野さんであり、現コーチの小林亮、宮阪政樹、元ザスパの萬代宏樹、永田亮太らも所属していた。35節では、竜樹のハットトリックというJ昇格後クラブ史上初の快挙達成というメモリアルな場面にも、しっかり林は関わっている(相手チームだけど)。
 2013年に山形に完全移籍すると、2016年まで在籍し、通算22ゴールを挙げた。2013年は12ゴールを決め、中島祐希と共にチーム得点王になるも、40節の松本戦で左膝前十字靱帯損傷という大怪我を負った。復帰した2014シーズンは無得点に終わったが、昇格プレーオフでは、準決勝で負傷したディエゴに代わり決勝にフル出場し、J1昇格に貢献した。2015年はJ1の舞台で2ゴール、2016年も6ゴールを決めた。
 2017年はユース及び大学時代の指導者である西ヶ谷氏に声を掛けられ、水戸に移籍する。前田大然と形成した2トップは脅威であり、林もキャリアハイのシーズン14ゴール。ウチとのダービーでも活躍し、敷島では決勝点を決め、ケーズではドッピエッタ。降格するチームとの差を見せつけた。
 水戸での活躍が認められ、古巣のヴェルディからオファーが舞い込む。9シーズンぶりに緑色のユニフォームに袖を通した林は、要所で活躍。ロティ―ナ、イヴァンによるポジショナルプレーは当時のJ2では異色の存在であり、海外サッカーフリークである林にとって刺激的であり、多くのものを吸収した。アラン・ピニェイロ、ドウグラス・ヴィエイラと共存しながらも結果を残し、チームは2年連続のプレーオフ出場。そのプレーオフでは、大宮、横浜FC相手に2試合連続でアップセットを起こし、決勝に進出。
 しかし、ロティ―ナが去った2019年は、ヴェルディが迷走。後任人事が難航し、イヴァンも候補に挙がったらしいが、結局香港代表監督を務めていたホワイト氏を招聘。しかし、チーム始動直後からピリッとしない試合が続き、前半戦を終えた段階で更迭。林自身も序盤は古巣柏戦で恩返し弾を決めるなど好調だったが、チームの迷走と共に調子を落とす。クラブのレジェンドであり、ユースの監督だった永井氏が後任監督として就任すると、林は構想外に。夏場に町田にレンタル移籍するも、小さな怪我があり思うように試合に出ることが出来なかった。

 そして迎えた2020シーズン。ヴェルディにレンタルバックしていたものの、永井監督は林を構想外の選手だと明言。移籍先を探していた林と、前線の駒不足に悩まされていたザスパの思惑が一致。奥野さんとの縁もあり、中断期間にレンタル移籍が決まった。非公開のTMでは結果を出しているという情報もあり、サポーターの期待も高まっていた。しかし、リーグ戦再開が再三延期になり、結局6月末まで中断していた。再開後、林はスタメンフル出場を続けたが、チームにフィットしきれず、なかなか結果が出なかった。更に、翔大が戻ってくるまでは代えも効かず、なかなか休ませられなかったのも勿体なかった。
 翔大が戻ってくると併用されるが、夏の暑さや前代未聞の過密日程の影響もあり、なかなか身体のキレが戻らなかった。11月19日に引退を発表。発表後初スタメンとなった37節町田戦。チーム全体で林へゴールを取らせようとお膳立てする。KJとのワンツーで抜け出した七聖がPA内で倒されてPKを獲得すると、林がボールを持ちキッカーを名乗り出る。試合前のミーティングでキッカーに指名されていたというが、そのPKをど真ん中に蹴り込み、移籍後初ゴール。待ちに待ったザスパでの初セレブレーションはブルーノ・フェルナンデスをチョイス。ピッチ上の選手もベンチも喜びを爆発させる。
 このゴールで憑き物が落ちたのか、一気にプレーの強度が上がると、栃木とのダービーでも宮阪の劇的同点ゴールをアシスト。それに加え、やはり林は「持ってる男」だった。ホーム最終戦で61分から出場すると、86分に技ありのループを沈める。現役最後のゴールセレブレーションは、敬愛するズラタン・イブラヒモビッチだった。最終節京都戦に途中出場し、J通算300試合を達成し、有終の美となった。

 現役を引退し、2021年より東京大学運動会ア式蹴球部監督に就任。多くの選択肢がある中で、指導者として新たなスタートを切った。一方で、海外サッカーフリークとして書籍も出版。さらに、DAZNのプレミアの解説も務め、マニアックな情報を散りばめながらも自身の経験を基にした解説で好評を博した。
 林がキャリアの中で最もゴールを決めた相手がザスパクサツ群馬である。散々やられ続けた印象があるが、現役最後のクラブとしてウチを選んでくれたことは嬉しかったし、群馬の地でネットを揺らしたことは俺たちの誇りとなる。
 次の舞台でも活躍が見込まれるが、いつかまた群馬の地に凱旋してほしい。

画像61

画像62

画像63

画像64

画像65

画像66

画像67

画像68

画像69

画像70

画像71

画像72

画像73

画像75

画像77

画像78

画像79

画像80

画像81

画像82

最後に

 J3から昇格し、新たな希望を持って迎えた2020シーズン。予想不可能な感染症が蔓延り、試合開催が当たり前でないことを嫌というほど実感した。そんなイレギュラーなシーズンを戦い抜いてくれた選手たちに感謝しかない。ザスパを離れたとしても、元戦士として変わらず見守り続ける。

画像83


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?