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カメラことはじめ⑦ 既視感も含めて、結構うれしいこと

今回は、カメラやってみてよかったなと思えることを書こう。
あるコミュニティの広報誌作りになんとなく参加表明してしまってから三カ月。写真を撮ればいいという当初の話とはまるで違っている。
それでも、今のところやって良かったなと思える。


写真

あるイベントで写真を撮るという活動があった。撮るのはわたしだけじゃなく、ボランティアの方総勢約30名。
イベントの中で様々なブースがあり、一人がいくつかのブースを担当を割り当てられ、しかも写真を撮る位置が指定された。好き勝手に撮れないうえ、「絶対にイベントのお客さんの邪魔にならないように」との注意付き。

担当したブースで、撮影者一人につき原稿用としてアップする写真は最大5枚。だいたい10人くらいで担当するので、集まる写真は最大50枚くらい。
その中で、ブースの内容にもよるけど広報誌に採用されるのは5枚~10枚だ。

わたしが担当したブースは5つ。そのうち、写真が1枚採用されたのが二つ、2枚採用されたのが一つ。

……もしかして、
結構使ってもらえた方じゃないのかしら……!!

と、原稿案を見た時嬉しくなってしまった。

もともと空とか神社とか風景写真しか撮っていないのに、イベント数日前に初めて、「人の様子も撮らねばならない」と自覚(←遅い)。
やばいと思って、それなりに高速シャッターに慣れたうえで、当日はカメラのバッテリーがあっというまに消耗するほど連写しまくった。
その中で、コレ良くないですか!?というものを自分で厳選してアップしたので、選んでもらえたのは素直に嬉しい。

その原稿案のデータがきた日にたまたま会った友達に、実は最近カメラやってるんだよねと暴露し、採用された写真も見せると、「梢ちゃんらしい、すごくイイ写真だね!」と誉めてくれた。
彼女はいつでも何でも誉めてくれる人だし、何をもってわたしらしい写真なのかは不明だけど、それでもちょっと素直に浮かれた。

選んでもらえるといえば、note界で「みんなのフォトギャラリー」で使っていただけるのも、ものすごぉーーーく嬉しい。
数多の写真の中からわたしの写真を選んでくださるのだから、その理由は何であれありがたいし、ああもっと写真撮りたいよ……とテンションが上がる。
この感性のままでいいんだな。技術的にはもっと勉強しなければいけないけど、感覚的には、もっとアンテナを伸ばして広げるとしても受信しているもの自体を否定することはないんだ、とちょっとした安心になる。
noteさんとの相性はいまいち良くないわたしだけど、このフォトギャラリーの機能は本当にありがたい。



デザイナーの仕事への既視感?

仕事になるかどうかさておき、とりあえずWebデザイナーとかグラフィックデザイナーの勉強をするという選択肢も、わたしにはある。
結構好きな作業だから。
でも、今のところなんとなく乗り気にならない。

ぼんやりとそう思っていたら、なりゆきでこの広報誌の中の一つの記事のレイアウトとデザインを担当することになった。
誰がやってもよかったけれど、メンバーの中でわたしがやるのが一番早そうだったから。

Canvaをちょっといじるくらいはできるので、それでデザインすることに。

残念なのは、デザインしたものがそのまま紙面になるのでなく、結局「こんな感じにしてください」と印刷会社さんに頼むという流れ。
どうやら印刷会社さんからお仕事を請けおうデザイナーさんが、こちらから提供したされた写真の画像データや記事の内容のテキストを使い、レイアウト・デザインを見ながら原稿データをイチから作るらしい。
自分でどんなに凝ってパーフェクトに仕上げたところで、まったくそのままにはならないのだ。
ちなみに、こちらでレイアウトを考えず使ってほしいデータを提供して丸投げでもよい。その場合はデザイナーさんのセンスに一任となる。

そう説明されて、ああもしかしてWebデザイナーとかグラフィックデザイナーとかって、今回の印刷会社さん側のこういう仕事なんかな、と思った。
依頼された案件につき、クライアントの望むようなものを作る。
今回は、こういう感じにして!と明確な案がある。

……なるほどねえ……

とりあえず、肩がめっちゃくちゃこりそうだ。わかっちゃいるけど。

今回のわたしはクライアント側。
できあがったものを見て修正依頼をかける側。

……Webライターなんかもそうなんだろうけど、クライアントと仕事を請けおった人と、やりとりが不十分だと仕上がりに食い違いが出るんだろうなあ。そのうえ、言ってたとおりにしたつもりが、修正依頼されたら微妙になるんだろうなあ……

なんて、その類いのお仕事で起こりうる微妙さ加減も想像してしまった。




と、これから何をするかはともかく、今回の経験はどこかで生きるかもしれない。
やっぱり、何事も挑戦は必ず自分の糧になるもの、としみじみ。
それに、なんとなくでも自分で「やってみよう」と思ったことは、結果が何であれ「やってよかった」と素直に感じることができるし、結果に対しても自己責任というか納得できる。
これからも、わたしの「やってみよう」「やってみたい」というアンテナを大切に。


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