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「時」

「タイパ」という言葉が昨今流行っている。

◇あらかじめ断っておかないと勘違いする方が割におられるので、それ自体を否定する内容ではない。そして個人的に否定的に捉えてもいない。

いやそもそもだが「時間が大切」と子供の頃から学校で教えられ、生産性の名の下に社会では早く早くと急かせれ、それに対して従順と広まったのなら何故にそれを否定できようか?

求めてきた事なのだからそれが具体的に体系化されて本来は喜ばしい筈なのだが、どうも報道を見るに否定的なものもあまりないにせよ、肯定的に捉えているものも殆ど無い気がする。

これは考えてみれば妙な事だと思う。


◇特に若い世代でタイパ意識は広がっている。というのは肌感覚でもわかると思う。若い方が順応が早いので当然そうなる。

首都圏の通勤時間を調査すると片道通勤時間は30分以内が平均28.9%(25年前は9.3%・50年前は16.8%)と通勤時間は短縮されている。

また通勤60分以上は48.8%だったが過去は60〜70%だったそうだ。正確な時期と数字は不明にしても通勤時間が短くなっている可能性は高そうだ。

そして「朝食を食べない」は16.8%で、50年前は8.1%から2倍になっている。また時間は5分以内と食事時間も短縮されているそう(5分で何が食えるのは不明だが)

当時の交通事情や産業構造に生活環境なども考慮すると、統計が示す意味はもう少し複雑になりそうだけど「時間を短縮している」という点に置いては間違いないだろうと思う。


◇基本的に文明社会は「タイパ」の構造になっている。

もう少しいえば「便利」になる様に進歩している。

「早く移動」する為に車輪が生まれ、馬車や自転車や自動車や飛行機ができ

また「広く伝える」「早く伝える」為に、手紙ができ電話ができ新聞ができテレビができ、今やスマホ1台あればインターネットで世界の裏側にも瞬時に届く。

今の社会に生きている人が
・不幸だけど便利な生活
・幸福だけど自給自足の生活
どちらを選ぶかといえば前者であることは間違いない。

風呂を沸かすのに薪を炊くなんてやりなくないはずだ。

技術の進歩は人類が望み
そして全て「タイパ」に繋がっている。


◇速度には限界がある。

一番早い速度は「光」だ。
だけど人間はそれよりもっともっと遅い。

昨日、自動車業界の不正が“なぜか”各社同時に報道された。もちろん思惑があってそうしているのだろうが僕にそれは分からない。わかるのは利害関係者が集って事を荒立てない様に知恵を絞っている事ぐらい。“同時”であった事はそういうことだろうと思う。

かつての東芝の不正会計事件やJR西日本の福知山脱線事故など社会を揺るがす大問題が起きるにつき非現実的な「ノルマ」や「目標」が言われる。

つまりこれは早くしろ早くしろと「タイパ」が限界を超えている、という事だと思う。

人間には人間の限界速度がある。

100m 9,58秒

これはウサインボルトの世界記録だが、もうそろそろ人類としての限界速度に来ているそうだ。

とすると資本主義社会も人では太刀打ちできなくなる。

それが次にAIが台頭となる理由だと思う。



◇最近「手業に学べ」という本を読んでいる。

日本各地の「手の業」の達人、職人たちが自然の恵と人の暮らしを調和させ、双方に役立てる事で日本人が生きてきた事がよくわかる本だ。
※古い本でもう廃盤だから気になる人は図書館に行ってみるとよいと思う。

そして、おそらくこの本に登場した「手業」の多くは現代では失われていると思う。それは機械が発達し手業の必要が無くなったからだ。

大量生産大量消費。たとえ商品の質が悪くなったとしても、多くの人が価格が安い方を求める。コスパが良くてタイパも良い。そう考える人が大半だからだ。水は低きに流れ、人は易きに流れる。

また失われていくそれを本書の中で嘆く記述は見当たらない。達人達はそれもまた自然な事で抗うことではないと身体で知っているのだと思う。

ただ現代では「自然との調和」つまりバランスが抜けている事に人類は気がついてきたのだろうと思う。

SDGsと言い始めたのはそのせいだろう。

また、それが本当に良い事なのかどうかは自分には分からないし、また、それが分かるのは未来になってからだと思う。

ただ、自然災害、地球温暖化、それもまた“自然”の出来事なのだけど、これらを人間の思うような自然として安定させたいと思うのもまた、不自然だなぁと思わなくもない。

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