『自分の本当の心』
──今日は、年に一度のカーニバルである
何でも手に入れられ、好きに望みの叶う日だ。
しかし自分は、何が望みなのだろうか…
街の皆は、それぞれに好きなモノを手にして頬を赤らめ満面の笑みで溢れている。
幸せそうだと思った。しかし〝幸せ〝とは、なにであるのか分からない。子供である自分には理解が出来なかった。
とある老人が問いかけてきた。
「君の望みは何だい?」
しわくちゃの顔は満面の笑みに溢れ優しく問いかけてきた。
その隣にたつ老婆もまた、温かい眼差しで見つめている。
自分には何も無い、何1つ思いつかない
同い年くらいの子らは、くちぐちに自慢をしてくる
「私は、西洋人形をもらったの!可愛いでしょう」
「僕は、空をとんだよ!」
「僕は、電車のオモチャ買ってもらったよ!」
各々、そう口々に話し、皆それぞれに嬉しそうである。
如何に楽しく嬉しいかを胸を躍らせ語り騒がしい。
───楽しそうではある
しかし、自分には、わからない。選べない。選べない理由さえも分からない。
自分には、「選択する、選択肢がない」
──いや、違うか…
「選択できない。」という選択肢しか無いのだ。
自分は、伽藍堂だ。
悲しみもなく、心揺さぶられる事もなく
ただ虚無だ。
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