黒い羊と鬼

『黒い羊と鬼』

「鬼は外 福は内」
──あぁ、まだそんな事を楽しそうにしているのか、ここの子供達は。
そぅ感じ、十数年ぶりに帰って来た故郷である。
そして俺自身には、その言葉が可笑しくて笑いそうになってしまった。

〝鬼は内 福は外〝

それが俺の思考であった。

幼少期、ほぼ虐待と言わざるを得ないことを、されて育ったからなのか、初めから狂っていたのであろうか…もはや今、大人となった俺には、どちらでも良かった。

───自分は鬼である、人の形をした鬼
仲間たちと同じものに喜べず、同じものを悲しめず、仲間たちが心地よいと感じるもの……愛や優しさや思いやりを理解できない。
そんな惨めな自分にできることは、白い粉を被り白い羊のフリをすることだけだった。
そうして自分は今も、仮面をかぶり、道化を演じ続けるコトだけだ。

話がそれたので戻そう。

今回の帰郷は、一人で暮らしをしていた祖母が亡くなった為、家の処分をしなければならなかったからである。

実の娘である母は、この町を、この家を嫌っているのか、俺に「暇なのだから、お前が片付けにいけ」と言われたからだ。暇な訳ではない。しかし、特に断れる理由も無かった。
事実、時間はあった。仕事もしておらず、家に引きこもり、貯金を切り崩し、母からも支援を受けているので大人になった今も、親の束縛から逃れられないのでいる。
そんな現状では、断れなかった。重い腰をあげ何とか町に辿り着いたのであった。
──さて、こんな田舎では、駅にタクシー1台すらいない。歩くしかないか。深くため息を吐き、とぼとぼと歩き始めた。
さて家に近づいて来たが、予想通り嫌な展開になった…近所のおばさま方に声をかけられ引き留められてしまったのだ。
──あゝ、面倒な。見つかってしまった…
「あら、吉野さんの所の娘さん?」
「それにしては若いわ!お孫さんかしら?」
などなど、興味深々で湧き出すように止めどなく、話しかけてくる。予想通りの言葉を放たれ、俺の気鬱は、より一層深みへ堕ちてゆく。

──そう。俺こと私は、解離性性同一障害…精神疾患者だ。
他者からは、理解の得られない身体であるのだから、厄介であった。今は、ほとんどの時間〝中性〜男性〝と、なっているが肉体は〝女〝であるため「お嬢さん」「娘さん」「お姉さん」と、声をかけられるため、その都度〝女〝を演じ、やり過ごさなければならず、外へ出るのが嫌で仕方なかった。そして今。この瞬間もまた、例外では、なかった。

「はい。孫の吉野と申します。生前は、祖母が大変お世話になりまして、ありがとうございました。」と定型句で挨拶を簡単に済ませて、さっさとこの場を離れようとしたのだが、老人とはなぜに、他者の家の事情を詮索したがるのか、なかなか話が止まらず、俺の気鬱が重みを増していった。
── 一刻も早く家の中へ逃げ込まなければ…
  照りつける日差しにさえ苛立ちが募る。

「すみません、業者の来る時間なので、申し訳ありませんが、また後日、改めてご挨拶に伺います。」と、頭を下げ話を打ち切った。
隣人も〝後日〝と言ったのが効いたのか
「あら、そうね。またね。」と、やっと解放された。
ぺこりと軽く頭を下げ、その場を立ち去る。
すかさず家の鍵を開け中へと逃げ込んだ。

とたん安堵の深い溜め息が、出た。
はぁ…。深く、ゆっくりと呼吸を数回しら部屋へ上がるとタバコに火をつけた。
ふーっと吐く煙が、ゆらゆらと上がって消えてゆくのを見つめながら少しずつ、気持ちを落ち着かせた。しかし…ここからがまた、難題だった事を思い出した。話しかけられた事で忘れかけていた。数本タバコを吸いながら考えた末、不動産関係の仕事をしている知人に電話をし、家の売却八話をまとめた。
さて、問題の家の中の片付けだが、ぶつぶつと文句を言いながらも、それでも1度は母が大まかに、家財処分をしていた為、大した物は残っていなかった。
伝えておいたのにも拘らず捨てられてしまった、いい焼き物の食器類もすべてなくなっていた。残されたものは、着物や大型の食器棚など、ザックリとしたモノだけだった。

──まったく…あの人は、本当に自分勝手な人間だ。
母のことである。自分にとって血縁者で他者は、他者でしか無い。自分ではないし、融合体でもない。自分の分身ではないのだと分かっているから余計に、憎たらしく思ってしまう。

──だから人間は、嫌いなのだ
行動が予測できない。
言った、聞いた言葉に責任を持たない。
見た目で他者を格付けする。

だがしかし、無くなったものに対して、これ以上考えても仕方がない。そう、気持ちを無理やり切り変え、着物の選別のみに、集中することにした。
──着物の知識はあった。和裁を習っていたこともあり、好きだったからである。
帯、襦袢、腰紐、藍染の浴衣、其の外…もろもろ手縫いの物も多かった。正絹。素人目でみてとれる状態の良いものだけ数枚を持ち帰ることにした。
残りは、リサイクルショップに売ることにした。
これで、俺の任務完了したので、日が暮れる前に帰路へ着くことができた。
しかし着物を持ったため、俄然荷物は、多くなっていた。
──重たい。
いや、それよりも…来た時もだが、公共機関の〝臭い〝や〝雑音〝〝密集空間〝に居ることが、目下 大問題であった。そのためには、ヘッドホンやマスクは、欠かせない。
早々に電車へ乗り込むも、やはりとても気になる。

「うるさいな」「臭いなぁ」「早く着かないかなあー」そんな事をマスクの中で、ぼやいてみるも電車は通常どうりにしか進まない。
───早く速く!時間と距離が進まないものだろうか。
そう無意味だとわかっていても気持ちは、逸るばかりで、あった。
外出することは「苦痛」でしかない。

1時間後やっと自分の住む家への駅に着いた。
電車のドアが開くと同時に、飛び出すように電車を降りた。急ぎ足でホームを抜け、階段を駆け下り、タクシーへと急ぎ乗り込んだ。周囲で先に待っていた人間にも目もくれずに、先に割り込み乗り込んだのだ。
──それだけ早く帰宅したかった。

半日、否 丸一日と言っていいほど外出した自分は、荷物の重さも、もう気にならない程に疲れていた。
臭いに、雑音に、日光にさえも苛立ちを感じるのだ…!
手短に運転手ヘ住所、道順を伝えるとタクシーは、走りだした。

深くため息を1つ、ついた。
──これで、しばらくは平穏な生活に戻れる
そう安心感が心を満たしてゆく。

タクシーが家の前まで着くと、早々に会計を済ませ、自分の部屋へと階段を上り、鍵を開け中へ滑り込む様に入り鍵を閉めた。
帰宅した俺は、居間へズカズカと入り荷物を投げ捨てるように置き、愛猫2匹に出迎えられた俺は、優しく頭を撫でてやった。

──猫には、色々な感情を持つことができた。
人間…血縁者であっても人間の「死」には、何ひとつ心が揺さぶられないが、猫だけは違う。飼っている猫だけではない。野良猫、捨て猫、保護猫、全ての猫には、愛しさをを感じ、亡くなれば、涙が自然と流れる。
──おそらく自分の中で「大切な存在」と、いえるのは
、猫だけだろう。

それ以外のことでは、集団行動や他者と適度に接することは、困難であると幼児期から感じていた。だが幼すぎて、初めは、なぜ怒られるのか、なぜ友達ができないのか、一緒に仲良くすることも出来ずにいるのかさえ分からずにいた。そのうえ、それを言葉にし、周囲に理解してもらうことすら出来ずに成長してしまった。
更には、小学校中学年あたりでは、男子と喧嘩するのは日常茶飯事であり、兄も存在するが、毎日のように、こちらもまた殴り合いばかりの日々、親からの「女の子なんだから」との理不尽極まりない虐待、再婚相手の男からのセクハラ。兄からも性的要求が絶え間なく続いていた為、俺の精神と肉体は壊れ始めていた。
家にいても気が休まらず学校にも馴染めないで、大人になった。

──自分は、最初から黒い羊だったのだ。
そんな単純なことにも気付けず、白い羊のふりをし働いていたが、それは突然 形となって現れた。
「鬼」とも云える男の人格。
初めは、「私」が受け止めきれず、理解もできず、精神科に入院し、安定させることとなった。
もちろん投薬によってである。
一週間経った頃には、一応コントロール出来るようになったので退院した。しかし、まだ不完全だったので、母に家に泊まり込みに来てもらい、世話をしてもらっていた。

──精神疾患は、併発する。また、気圧・天候でも鬱になって闇へと飲み込まれてゆくのである。

猫に「ただいま」といい、……荷物の収納は、明日にしよう、そう思い、出かけ着を脱ぎ捨て洗濯機へと投げ入れ、湯を沸かし風呂へと、いそいそと入った。

──あゝ…とても疲れた。後は、薬を飲んで寝るだけだ
明日は、丸一日寝ていよう。でなければ、精神的疲労     が回復しない。
などと、出掛けない日の過ごし方をぼんやりと、天井を眺めながら考えた。
──この瞬間が好きだ。湯船に浸かりながら、ぼんやりと働かない頭を使いながら、その日した事、次の日したい事、
起こった出来事の記憶をゆっくり思い出しながら情報の整理をする。

自分は、「黒い羊」だ。そして「鬼」でもある。

性同一性障害・好血症・発達障害・摂食障害・鬱・希死念慮・睡眠障害・解離性障害……
挙げればキリがない。特筆するならば「摂食障害」「睡眠障害」が酷いのだろう。

──摂食障害。自分は、「食べたくない」症状が強いので、食べても無理にでも吐き出したい欲求に歯止めがきかない。その結果、慢性胃炎・逆流性食道炎で、吐きたく無い時でも吐いてしまうように、なってしまったが、困ったなどとは、思わない。
──睡眠障害。不眠によるODからの過眠。、
生きていることに何の意味も感じられず、喜びを感じないため希死念慮に支配されたり、人格の入れ替わりによって、記憶の消失、相違が生じるため「死を選び、この生き地獄から解放されたい」と、強く思ってしまう。

そんな自分である。肉体と精神と心、どこに「魂」という存在が宿っているのか…そんな不毛な思考を。
「根源へと至るには」などと毎日考え、誤った死に方をしないようにコントロールするので手一杯で、一般的な、朝に起き、食事をしたりなど、何一つままならない。
傍から見れば、何もしない、できない日々を無碍にやり過ごす。そんな愚か者にしか見えないであろうし、死にたいのなら早く勝手に死ねばいい。と思うのだろうか。

──だがしかし、多少なりとも生きて居たいと、存在していたという情報を残して居たいと想う事もあるのだ。

「鬼」を内に秘めながら、俺の日常は過ぎてゆく。

肉体は、器でしかない。
そこに潜むのは、鬼なり…




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