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恐怖は無知を媒介する

内海くんとの文通は同じ大学に通っても続いていた。入学して半年経ったが、未だに内海くんの家に遊びに行ったことは無い。というか、2人でどこかに遊びに行ったことすら一度もない。
 
私は勇気を出して手紙に書いた。『ps.内海くん、たまには私と何処かに遊びに行ってみるのはどうだろう?』返事は一週間後に来た。『次の日曜日、高円寺改札前、十五時に』手紙を読んだ私はリアルに「うひょ~!」と言った。後にも先にもそんな馬鹿みたいな声を上げたのはそれきりだ。
 
内海くんは待ち合わせ時間に五分遅刻して登場した。いつもの履き慣らしたジーンズに、丸襟のシャツを羽織ってる。入学以来整えてない髪の毛は無造作だが清潔感がある。開口一番に内海くんはこう言った。
 
「香川さんって、いつも幼い恰好してるよね」
 
他の男に言われたら「何だとコノヤロー」と思うところだが、私はその言葉をチャンス到来と捉えた。
 
「じゃあ、内海くん選んでくれない?」
 
内海くんは返事なく歩き出した。歩き出したはいいが、特に行く当ては無いらしい。私主導で古書店を巡った。特に会話なし。内海くんはエリオットの詩集を買っていた。次に古着屋を渡り、私は多弁を尽くす。結果、内海くんのチョイスでリネンのブレザーを購入した。ゆったりとしたベージュのブレザーで、秋めく季節に丁度いい。私は買ったその場で羽織り、内海くんとポエムという老舗の喫茶店に入った。
 
「今日はありがとう」
「香川さん、高円寺よく来るの?」
「まあね」
 
嘘だった。下調べの賜物だ。この店はサンドイッチが美味しいらしい。内海くんはサンドイッチが好物の筈だ。何もかもが完璧だった。サンドイッチを平らげた内海くんは、まじまじと私の顔を眺めた。
 
「何?」
「寄りたいところがあるんだけど」
 
内海くんからはじめて提案された。勿論と二つ返事をし、私たちは店を後にした。内海くんはまずアンティークショップへ行き、クラシカルな丸眼鏡を買った。「はい」内海くんはそれを私にくれた。何故かと聞くと「大人っぽく見えるから」らしい。私が内海くんに貰った最初で最後の形あるプレゼントだ。私はもう有頂天だった。その店に着くまでは。
 
そこはシーシャバー、所謂水煙草を扱う酒場だった。流石に戸惑った。
 
「私煙草吸わないよ」
「水煙草はニコチンを抜いて、タールも含まれない」
「よく分からないけど、煙草でしょ」
「恐怖は無知を媒介する。知る事を恐れるのは本末転倒だよ」
「いや、だから、煙草でしょ。身体に悪いよ」
「インディアンは長生きしてる」
「私インディアンじゃないし、未成年だから」
「だから?」
「ルールは守らないと」
「赤信号は渡り、ビールだって飲むのに?曖昧なルールだね」
 
はじめて内海くんと口論、みたいなことをした。口論と言っても熱くなってるのは私だけで、内海くんは普段通り、平静な口調だ。「勿論、強制はしない。僕は店に入る。香川さんは好きにすればいい」私は返事が出来なかった。沈黙の後、内海くんは一人、店内に消えていった。扉の外、夕暮れの秋風、私は一人佇んでいた。
 
丸眼鏡を外し、リネンのブレザーで、目元を拭った。優しい肌触りだった。


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