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音楽が私の思い出を保持してくれてる

私の演奏遍歴を記しておくと。

祖父の宅にヤマハのUピアノがあった。伯母もピアノ教室の先生をしてる。「一丁、稀代の天才ピアニストになってやるか」と意気込んだ幼少時、手が小さい私は稽古の度に「指がもげる」と駄々を捏ねて一向に上達しなかった。挫折。ギターはどうだと始めてもFを前に「指がもげる」と挫折。歌声なら…指はもげないが羞恥心に心がもげ挫折。

以上である。ザコぉ。

それからは聴き専の人生で、学生時代はCDプレイヤーをカバンに忍ばせて登下校を楽しんでた。バンプやアジカン、ゆら帝やナバガ、たま、ムーンライダーズ、はっぴいえんど…友達のいない私のささやかな青春は自転車と音楽と共にあった。

今、あの頃耳にした音楽を聞くと、沢山の思い出が想起されます。まるで音楽が私の思い出を保持してくれてるように。過去と今の私を繋ぐ結び目のように。音楽は凄いなぁ…それをつくる音楽家って凄いなぁ。それで思い立って書いたのがユウ楽譜です。

知人の音楽家をモデルにしました。晒して申し訳ない。

数日したら今度は別の話を書いていきます。今度は孤独と舞踏の話です。一週間程度で終わるニッチな短い話になると思いますが、時々暇つぶしに覗いて頂けたら嬉しいです。

ところで、東京アラートが解除されましたね。最近の私はテニスの王子様の石田銀のことをよく考えてます。「ワシの波動球は百八式まであるぞ」で有名な彼です。コロナの第一波は終息したとされてますが…百八波くらいまで在り得る可能性を前提に、日々生活してます。心の手塚部長も「油断せずに行こう」と言っているので…。

コロナから大切なものを守るために外出して経済を回す人、自宅に籠り感染の可能性を少しでも減らす人、どちらも尊いと思います。その優しさからくる行動が誰にも責められることの無い社会がいつか来たらいいなぁと思い馳せつつ…私は自宅で懐メロ記憶の小旅行を満喫します。

中身のない話をだらだらすみません…。この駄文が数分の暇つぶしになっていたら幸いです。またお暇なときにでも、チラと覗いて頂けたら嬉しいです。ここまで読んでくださり、ありがとうございました^^

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