見出し画像

無責任な結末を避けるには

兄、34歳独身、自宅警備員歴二年。
弟、29歳独身、兄の保護者歴二年。
 
幸いにも弟が俺である。自堕落で惰弱な日々を謳歌していた兄だが、近頃は家事に精を出し、ピアノ演奏を再開するようになった。邦楽のピアノ編曲から少しづつ難易度を上げ、最近はラフマニノフの音の絵シリーズを軽々と弾いている。そんな兄が言った。
 
「そろそろ再就職、かな」
「え?外出んの?」
「ん、や、自宅でピアノ教室とかどうかなと」
 
それは再就職と言うのか?とにかくまだ外に出る勇気は無いらしい。最近の兄は変わろうとしている。社会復帰に向けて前向きになっている。それが本当に良い事なのか、俺には分からない。
 
大抵この手の物語の最後は引きこもりの主人公が社会に出てハッピーエンド、というのが常だろう。でも現実にハッピーエンドは無い。あるのは飽くまで区切りだけだ。語られない物語はその後も続いていく。幸と不幸の天秤は置き去りにしたまま。結末はいつだって無責任なのだ。
 
「いいじゃん、やりなよ」
「ほんと?じゃあ稼いじゃうかな〜」
 
正直、そう上手く行くとは思わない。でも俺は尊重することにした。無責任な結末を避けるには、責任ある過程を過ごすしかないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?