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シカク運営振り返り記 第19回 シカク出版を始める その1(たけしげみゆき)

 中津商店街に移転して少ししたころ、あるニュースが飛び込んできた。
 同人即売会の中でも珍しい、文学作品中心のイベント「文学フリマ」が、初めて大阪でも開催されるというのだ。
 今でこそ全国各地で開催されている文フリだが、東京以外の場所での開催はこのときの大阪文フリが初めて。そんな記念すべき会にはぜひとも参加しなければならないと、とりあえずサークル参加を申し込んだ。

 さて、サークル参加するからには何かしら本を作らないといけない。どんな本を作ろうかとあれこれ考えた結果、シカクで取り扱っている商品などについての本を作ったら面白いんじゃないかということになった。
 そこで、当時あった100前後の商品目録と、レビュー・インタビュー・コラムなどを収録し、『シカクの本』という1冊にまとめた。これがシカク出版として初めて作った本だ。

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 画像からでもなんとなく荒い雰囲気が伝わってくると思うが、それには理由がある。
 貧乏だった我々が本を作ろうとしたところで、印刷会社に依頼するお金はない。もっと安く作れる方法はないものか。ありったけの検索力を駆使して調べた結果、自転車で20分ほどの距離にある「生涯学習センター」という何が行われているかよくわからない施設に行くと、リソグラフ印刷機※を1枚1円で利用できるという情報を知った。これを使わない手はない。

 そうしてさらに検討を重ねた結果、たどり着いた方法は以下。

(1)約80ページ×200部ぶんの紙をリソグラフで印刷
(2)自宅に持ち帰り、道で拾った裁断機で裁断
(3)束ねてホッチキスで留める
(4)背表紙に薄めたボンドを塗って表紙を貼り付ける

 こんなガムシャラなやり方で印刷・製本したため、自然とこの写真のような出来栄えとなったわけだ。
 1冊1冊手製本のため、モノによっては裁断がズレて文字が切れていたり、かすれて読めなかったり、変なところにインクがついていたりする。もちろん労力もハンパではない。大量の紙を運んだり、裁断機を何十回も上げ下ろして、上半身が全体的にバキバキになった。
 しかしクオリティと時間と肉体を犠牲にした甲斐あって、1冊あたり50円くらいという爆安原価で本を作ることができた。また、あまりに荒々しい作りが「情熱が感じられる」「ミニコミらしくていい」と、一部の好事家からは一周回った高評価を得た。

※リソグラフが何かわからない人は、「小学校のプリントがわら半紙に印刷されてた時のあの感じのインク」を思い浮かべたら、だいたい合ってるはずです。

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 さて、文学フリマに出るためにアイデアをひねり出して作ったこの本だったが、いざ売り始めてみると、すごいことに気がついた。委託の本は売っても売上の30%しか手元に残らないけど、自分たちが作った本は100%手元に残るのだ。
 このときシカクの展示以外の売上は、せいぜい月1万円くらい。
 仮にそのうち1万円全てが委託商品だった場合、手元に残るのは3000円。だけど、半分の5000円が自社商品ならば、同じ売り上げでも手元に残るのは6500円と、倍以上の差が出るのだ。
 私たちはようやくそこで、自社商品を作ることの大切さに気付いた。

「よし、どんどん自分たちの本を作って、利益率をあげて行こう!!」

 貧乏生活を抜け出す活路を見出し、張り切って作った2冊目の本『シカクの本 #002 』は、しかしぜんっっぜん売れず大ゴケした。1号は200部作って、イベントと店頭で数ヶ月のうちに100部くらい売れたが、2号は300部作って50部くらいしか売れなかった。

 内容は1号とほどんど同じだったので、悪くなかったと思う。
 考えられる敗因としては、まず2号は印刷所に依頼したこと。
 1号の製本作業があまりにもしんどかったため、私は再び検索力を総動員し、学会の論文などを印刷している破格に安い印刷所を発見し、そこに依頼した。しかし結果的に、見た目のキレイさと引き換えに前回の変なエネルギーが失われ、編集ソフトに不慣れな私のデザイン力の低さも目立つようになってしまった。
 そしてもう1つの要因が、初代店長Bが作った表紙が、なんというか……中身が伝わってこない、ミステリアスな魅力もない、何とも掴みどころのない……いや、「いい表紙!」と思ってくれる人もいるかもしれないけど……まあ、良さが万人には伝わりにくいデザインだったことも原因だと思う。

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 私は本文のレイアウト作業に追われており、また洗脳生活(前回参照)の影響で、Bはセンスがある人間だという「マンモスはIQ200」ぐらい根拠のない思い込みをしていたので、表紙のデザインをお願いした。
 この表紙があがってきたとき、まず「これは一体……?」と思った。そして「これはどういうコンセプトなの?」と尋ねたところ、「幾何学っぽい感じ」という答えが返ってきた。Bの辞書にコンセプトの文字は、何か間違った意味で掲載されていたようだ。
 しかし私は『自分のセンスがBのデザインを理解するのに追いついていないのだ』ということにし、それ以上何も言わなかった。Bは自分が作ったものにダメ出しされると、キレるか拗ねるか物に当たるかをランダム再生する、困った機能を搭載していた。また、私がダメ出ししたら「じゃあお前が作れ」となることが目に見えているが、スケジュール的に本文と表紙を両方手がける余裕はない。さらにもし頑張って表紙を作ったとしても、結果あまり売れなかったら「やっぱり俺が作ったやつがよかった」と数ヶ月~数年にわたりネチネチ嫌味を言われるに決まっている。
 どの未来予想図になったとしても、自分のセンスが間違っていることにした方がはるかに楽だったので、私は考えるのをやめた。
 そして2号が大ゴケしたとき、売れなくて悲しい気持ちになりつつも、自分のセンスが大衆とそこまでかけ離れていなかったことにちょっと安心した。

 ちなみに1号の表紙はどうやってできたかというと、Bが安定のサジ投げを発揮した結果、かなり早い段階からデザインも中身の文章も関係者とのやりとりも、すべて押し付けられた。あまりに作業量が多く精神が追い詰められたため、最後の最後に書いた「あとがき」をものすごくイタいテンションにしてしまい、あとで猛烈に後悔した(もし手元に本がある人がいたら、確認して「なるほど」と思っていただけると、当時の私が供養されます)

 Bがサジを投げたら作業を全部背負い、投げなかったら赤字。どっちに転んでも暗黒未来しか待ち受けていないことに気付いた私は、シカクの本の歴史にあっさりと幕を降ろした。
 一応当時は「1年に1冊発行し、数年後に読み返したとき、シカク周辺だけとはいえミニコミや同人誌の歴史を振り返れるようなアーカイブにしたい」という気持ちもあったのだが、それよりも精神の穏やかさのほうが大切だ。今思うと少しもったいなかったけど仕方ない。アーカイブは国立国会図書館に任せよう。
 のちに3号の計画が一応持ち上がりはしたが、そのとき私は別の仕事で忙しく、暗黒未来に向かっていく余裕がなかったため「作りたいならBが作って。私は手伝いぐらいはするけど基本何もしない」と言ったら結局完成しなかった。つくづく実行力のない男だ。

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 こうしてシカクの本の計画は頓挫したが、「本を作って売るのは楽しいな」という、全同人作家・出版人が抱く気持ちを感じることはできた。
 また本を作りたい。しかし、収入の少ない我々が売れない本を作るのは死活問題だ。売れる本はどうやったら作れるだろう。
 それを考えているうち、シカク出版は《シカクの人たちが書いたものを本にする》ステージから《別の人が書いたものを編集し、本にする》というステージに移行していくことになる。

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