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欲しいもの

40近くになり、ゴール(死)を意識するようになって、人生について改めて考えている。



もう、若くない。もう、今より体力が増すことも、容姿が艶めくことも、能力が活性化することもない。あとは緩く、或いは急速に坂を下っていくのみだ。

はて。残りの人生、私は何をしたいのだろう?

たとえば今、余命宣告を受けたとして、自分が何に対して1番執着を感じるか?


医者「残念ながら余命はあと1年です」

ワイ「エッ………そんな…………!!だって、私まだ、◯◯だってしてないのに………!!」


の、◯◯に入るものは何か、という話だ。

わたしの場合、この◯◯に入るのは、やはり

「素敵な彼氏と相思相愛になること」

だ。


まったく40近くになっても、私は未だに恋愛に希望を抱いている。「男なんてもういいわ〜」とか1ミクロンも思っていない。


むしろ、相思相愛の男さえいれば、この世に他に望むものはない。海外旅行に行きたいとも思わないし、高級ブランドバッグがほしいとも思わない。


仕事は、もっと高みを目指したほうが良いのだろうと一応は思うけれど、彼氏ができたらきっと仕事のことなんてどうでも良くなる。

つまり、私が【ひとりで】やりたいことなんて特にないのである。

わたしがやりたいことは、

【愛する人と生きること】 

なのであって、その「生きる」の中には、美味しいものを食べる、とか、旅行に行く、とかが含まれているわけだけど、それらは、ひとりでしたいことではないのである。


ところで問題なのは、この「相思相愛になる」は、あくまでも相手ありきで叶う夢である、ということだ。つまり実現に向けて取り立てて具体的な方策がないのである。

だからわたしは、せいぜい太りすぎないように、食事や運動に多少気を配ることくらいしかできないまま、ただ年を重ねている。


この年になると、長年連れ添った夫婦のドキュメンタリーなんか見たときに「あぁ、私にはこういう経験はもうできないんだなァ」としんみり思う。若くして出会って、苦楽を共にして築き上げてきた関係性。互いが隣にいることが当たり前で、身体の一部になっているような関係性。それは、私にはもう手に入らないものだ。

いや、今からだって遅くはないと慰める声もあるかもしれない。たとえば40歳で出会い、80歳まで連れ添えば40年間は苦楽をともにする。だけど、話はそう単純ではない。


何を隠そう、私には異性と真っ当な関係を持続させてきたという実績がないのだ。実績がないところには、自信もない。

欲しいけど、手に入らないもの。


異性との継続的な愛情、信頼関係は私にとって永遠の憧れだ。

これから、私が素敵な男性と出会い、その人と人生を共に歩むなんてまるで夢物語のようで、ハリー・ポッターとかドラえもんとかと大差ない。

でもなんとなく、いつまでもそういう夢をぼんやりと見ている。まだそういう夢をみても良い容姿だと思っている。

でも近い未来、異性に好かれるなんてもうとても考えられないほどの老いを肉体に感じるときが来るだろう。


そうなったら、わたしはたとえ肉体は生きてても魂は死んでるのと同じだと思う。


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